ハイテク業界で英語が自由に使えるようになりたい方へ(基礎編)

いきなりだが、次の質問に答えよ。

  • 外国語習得に最も関心がないが、少しも外国語で困らない国はどこか?
  • 外国語習得に最も関心があるが、常に外国語で困っている国はどこか?

答えは順番に米国、日本である。米国は近代になって英語が事実上世界共通語になってしまって(米国の躍進以前のヨーロッパの公用語はフランス語であった)、世界中の多くの国で英語が通じるので自国語以外の外国語を習得する必要がない、ゆえに関心が低い。それに対して、日本は開国以来、貿易以外に富国する術がないので外国語の習得については非常に関心が高く努力もしている。しかし中学・高校と少なくとも6年間は英語(または他の外国語)が必須科目になっているにもかかわらず、相変わらず苦労している。英語教育改革という課題は幾度となく叫ばれてきたが、日本人のコミュニケーション能力は一向に劇的な進歩をする気配がない。電車の中の広告を見渡すと、消費者金融、痩身・美容のためのプログラム(なぜかこの頃男性向けが多い!!)、週刊誌のどぎついタイトルといった中に混じって必ず英会話学校の広告も見かける。日本人はどうしてこうも英会話の習得に熱心なのであろうかといつも思う。

私は30年間半導体業界に身を置いたが、半導体の技術的知識については基本的なものも含めて大変に浅薄でお恥ずかしい限りである。だが、ずっと外資系に身を置いたので英語のコミュニケーション・スキルではたいていの人には負けない自信がある(もちろん、私よりもっとうまい人はたくさんいるが)。ケーブルテレビでCNNニュースを見ていても大抵のことは解るし、道で訪日外国人の旅行者に急に話しかけられてもまったく慌てたりはしない。現在大学で勉強中であるが、英語オンリーの授業でもまったく違和感なく参加できる。

市場のグローバル化によって、読者の皆様の中にも英語の習得に迫られている方が多いと思うので、まことに僭越ながら私の経験から英語習得の極意について少々ご披露しようと思う(参考になるかどうかについてはまったく責任を持てないが)。

習得のカギは"必要性"

一言で言ってしまえば、英語習得の一番のカギはその人がどれだけ英語を必要としているかだと思う。日本の英語教育をだらだらと批判するつもりはないが、よく感じるのは日本の英語の初級の教科書で極端な文例を挙げると、たとえば次のようなものがある。

Is this a pen or pencil?

That is a pen.

この文章には非常に奇異なものを感じる(いまだにこのような文章が使われているとは思わないが、象徴的なものとして考えてほしい)。そもそも、ペンを目の前にしていると思われる2人が、このように意味のない会話をするだろうか(目の不自由な人の場合は除いて)。この質問を実際にされたら、通常の答えは、"はぁ?"か、"何が言いたいんだ?"、"ふざけてるのか?"とかであろう。つまりこの会話にはまったく意味がないのである。ゆえにたいていの人はそれを現実の会話として認識できない。認識しないのだから覚えられもしないということになる。私が指摘したいのは、せっかく6年間も学校で英語を教えるのに、初回からこのような形なのでまったく興味を喚起しないという残念な事実である。しかもこのような文例が累々と続くことになる。興味が喚起されなければモチベーションも生じない。

私が30年間の外資系の経験を通じてつくづく思うのは、英語習得の極意は一番に「必要性」であるということだ。言い換えれば、「その人にとって英語を学習する必要性があるか?」、「そもそもどうしても英語で伝えなくてはならないことがあるのか?」、ということである。外資系では日本法人を離れれば英語が唯一の共通語になるので、英語でコミュニケーションができなければ仕事にならないという切実な必要性がある。

英語を習得する必要性を感じない人はこれ以上この記事を読む「必要性」はない。なぜなら、その必要性がなければいくらマン・ツー・マンの英会話学校に大金をつぎ込んでも上達は望めないからだ。喫茶店で待ち合わせた友人でもない英会話インストラクターとお茶を飲みながら、「さあお話をしましょう」、という状態で会話が成立するだろうか?。相手が誰であろうと、言語が何であろうと会話は成立しないであろう(相手があまりにも魅力的で単に一緒にいるだけでいいというのなら別だが、その場合は2回目はないであろう)。言葉は単なる道具であり、伝えるべき何かを相手に一番わかりやすいやり方で表現する手段に過ぎない。よく「あの人は語学に堪能だ」などという言い方をするが、その言い方は言語学者でもない限りまったく意味がない。日本でよく聞く、「語学堪能=言葉が流暢に話せる」、というのは大きな勘違いである。

半導体ビジネスはグローバル化そのものである

「必要性」は自分から見つけるもの

さて、日本のハイテク業界で英語を話せる「必要性」はあるだろうか?。私は、ハイテク業界に身を置いている皆さんであれば、日本企業であれ、外資系であれ、その仕事が管理職であれ、営業であれ、品質管理エンジニア・設計エンジニアであれ、技術サポートエンジニアであれ、人事総務であれ、絶対に"必要"であると考える。

その理由はいたって簡単で、市場がグローバル化しているからである。読者の状況はきっと下記のどれかに該当すると思う。

  • 日本人以外のカスタマーと接触する立場にある。
  • 日本人以外のベンダーと接触する立場にある。
  • 同じ会社の海外拠点の現地スタッフと英語でやり取りする必要性がある。
  • 会社が日本以外の会社を買収するか、外資に買収される。
  • 技術報告の国際学会に出席するか、自分がプレゼンしなければならない(これは非常事態とも言える!!)、日本語化されていない英語の技術論文に目を通す必要がある。
  • 人事考課・昇進の条件に英語の能力を求められている(かなり深刻な必要性である)。
  • グローバル市場で起こっている最新の情報を知る必要がある。

などなど

このいずれにも該当しないのであれば、この記事をさらに読む「必要性」はない。

どれかに該当しているが、今では自動翻訳システム技術が発達しているので自分には必要ないと思っている人がいたら、それは大きな間違いである。必要性を感じたなら、それを自分がさらに成長する大きなチャンスととらえて、とりあえずは飛び込んでみるべきである。英語で会話できるようになれば友人も増えるし、海外出張も楽しくなるし、自分の世界観は大きく広がる。何よりもビジネスのネットワークが広がる。しかも、そういう人たちとの会話によって日本人であることを世界的視野からより客観的にみられるはずである。日本人である自分の強さ、弱さがよくわかるようになる(というか思い知らされるといった方がよいかもしれない)。

必要性は自分から見つけるもので、積極的にチャレンジするべきである。しかも給料をもらいながら実践英語を学べるのだから迷っている暇はない。英会話教室に大金を投入するくらいなら、自分の仕事に関係する分野で英語にさらされる分野にどんどん飛び込んでいくべきだ。

私が通う大学の図書館には歴代卒業生の卒業論文がすべて保管されていて閲覧することができる。その目録を眺めていて気付いたことがあった。大学初期の学生の論文にやたらと外国語で書かれたものが多いことだ。それらの著者の中には後々に日本を支える大人物になった人の名前が見受けられる。まだ日本が外国から学ばなければならなかった時代の学士たちの語学力には大いに敬服するところである。彼らにはまさに外国語を学ぶ必要性があったわけである。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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