【コラム】

伝説的な給与を獲得後に没落、でも起業で復活した男の話

8 伝説といわれた給与を獲得したのに没落。復活への道

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これまで、「昇給・昇進のためには企画書の書き方が重要」「企画書を採用してもらうにはセルフブランディングが有効」と話してきました。今回はビジネスで成功し、セルフブランディングを確立した後に調子に乗った結果と、それからの復活の糸口を紹介します。

「お前、最低3年は会社にいないとダメだぞ」

これは、新人時代にヘッドハンターから声をかけられ、社会人2年目で外資系への転職を考えていた際に上司から言われた言葉です。結局その会社には4年弱在籍し、その後、ヘッドハンターに誘われて大手外資系へ転職しました。

それからは実績を出し、転職のたびに昇給・昇進を続け、1000万円もの契約金を積まれた時もありました。20代で世田谷に新築一戸建てを購入し、新車の外車をキャッシュで購入。30代前半にして、インセンティブ抜きのベース金額で伝説的といわれた給与を獲得し、「俺はエリート街道まっしぐらだ」と思っていました。そして、メディアのインタビュー記事も増え、連載も増え、セミナー登壇も増え、セミナーでのプレゼン後に名刺交換の行列ができることも珍しくありませんでした。

「俺は特別だから大丈夫。どんな商材でも自分がやれば数字を作れるから。仕事はいくらでもある」――そう思っていた私は、3年以内に成果を出し、ヘッドハンターに声をかけられ、転職を繰り返していきました。

40歳で変わるオファー

計算するとわかりますが、新卒から3年ごとに転職をした場合、40歳で大体7回くらい転職する計算になります。40歳で7回の転職経験があっても、仕事はありました。

しかし、今まで私の収入の相場は1440万円のベース+インセンティブというものでしたが、40歳になるとベースが600万、インセンティブで100%達成の3000万円というオファーに変わりました。このオファーは「個人的な信頼がなく、売り上げた分だけ支払いますよ」というハイリスクハイリターンな給与体系です。

もちろん、この条件で生き抜いていく人もいますが、このオファーを受けた人の大半は続かず、やがて市場から消えていきます。そのため、退場宣告一歩手前のようなものだと思っています。

ベースが600万円になると、私立の学校に2人を通わせながら、家のローンを払うことは不可能でした。「このままだと私のせいで子供が転校しなければならなくなる」――そう思いました。

IT技術者の方は要注意

「7回も転職するなんてバカじゃねー!?」と思う人もいるでしょうが、多くの場合でベースの給与も肩書も上がり、転職の成功例のような転職をしていたので、信頼を落としていることには気が付きませんでした。20代30代はどこの企業でも欲しがる年代なので、なおさら大丈夫だと勘違いしていました。

今、私が気になっているのはIT技術者の皆さんです。特にベンチャー企業在籍の技術者で転職回数の多い人がいますよね。最後はフリーで食べていけばよいと考えていて、転職に対する慎重さにかけている方もいるでしょう。

しかし、そういう方にも言えると思うのですが、40歳台前後になると、年収が上がらなくなるか、良い転職オファーが来なくなる可能性は高いです。

雇う側も、ある程度若い人のほうがプログラマーとして使いやすいですし、管理職として採用する場合はすぐにやめられると困るので、良いオファーは来にくくなるはずです。

40歳になった時、皆さんの環境はいかがでしょうか?

結婚していますか?

子供がいますか?

家を買っていますか?

おそらく若い頃よりコストがかかっている可能性は高いですよね。その時に十分な収入を得られる状況になっていますでしょうか?

転職はやりすぎてはいけません。

無責任な発言をしますが、個人的には、転職回数の多い人は1度5年以上勤務した実績を作るとよいと思います。その5年間で転職病が治る可能性もありますし、「あっ、この人5年働けるんだ」と思ってくれる人がいるかもしれません。

とはいえ、まったく転職をしないのも怖い時代になってきました。今の若者は平均寿命で100歳を超えるそうです。老後破産しないためにも、年金の受給開始年齢を引き上げる人が多くなるかもしれません。そうなると、定年後も働く必要が出てきます。その際に、1社しか経験していない人は、その会社でなければ働けない思考になっているので、良い職場環境で再雇用を狙うのは厳しいかもしれません。

転職はほどほどがいいでしょう。

没落後の復活の糸口

さて、子供の学費の支払い、ローンの支払いを抱えた状態で、ベース給与の大幅減額を余儀なくされ、没落した私の復活の糸口の話です。

普通の会社で普通のオファーをもらえなくなった私に残された道は、ハイリスクハイリターンのオファーを受けるか、業界を去るか、起業するかの選択しかありませんでした。

当時の収入を維持できる可能性が最も高かったのは起業です。しかし、起業するために準備をしてきたわけではないので、今できることで起業するしかありませんでした。

私を救ったのは、20代から会社に内緒で行っていた社外取締役や顧問などの副業でした。「よし、これを事業化しよう!」

そう考え、私は2010年4月に起業します。そして、この起業で伝説的な給与を超える収入を得られるようになったのです。本コラムの後半では、お金を投資せずに起業で成功するノウハウについて解説します。

著者プロフィール

吉政忠志

業界を代表するトップベンチャー企業でマーケティング責任者を歴任。30代前半で同年代国内トップクラスの年収を獲得し、伝説的な給与所得者と呼ばれるようになる。現在は、吉政創成株式会社 代表取締役、プライム・ストラテジー株式会社 取締役、一般社団法人PHP技術者認定機構 代表理事、一般社団法人Rails技術者認定試験運営委員会、BOSS-CON JAPAN 理事長、一般社団法人Pythonエンジニア育成推進協会 代表理事を兼任。
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インデックス

連載目次
第8回 伝説といわれた給与を獲得したのに没落。復活への道
第7回 伝説といわれた給与を獲得したノウハウ[セルフブランディング編](3)
第6回 伝説といわれた給与を獲得したノウハウ[セルフブランディング編](2)
第5回 伝説といわれた給与を獲得したノウハウ[セルフブランディング編](1)
第4回 伝説といわれた給与を獲得したノウハウ(4)
第3回 伝説といわれた給与を獲得したノウハウ(3)
第2回 伝説と言われた給与を獲得したノウハウ(2)
第1回 伝説と言われた給与を獲得したノウハウ(1)

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