本連載の第6回で、パターン制御式のATS(Automatic Train Stop)やATC(Automatic Train Control)といった信号保安システムについて取り上げた。実のところ、この信号保安システムという分野は、情報通信技術の発展による恩恵が顕著な分野である。

ということで今回は、その辺の話をもう少し掘り下げてみよう。

アナログ時代の情報伝達

鉄道の信号保安システムは、「列車の在線検知」に始まり、「在線情報に基づく信号機の制御」と、「信号機による減速、あるいは停止の指示を守らせるための保安システム」といった要素の組み合わせで成り立っている。そして、信号機や信号保安システムの機器は地上に設置しているが、走っている列車に対して減速や停止の指示を送らなければならないから、地上と列車の間で何らかの情報伝達が発生する。

ところが、日本の鉄道で信号をバックアップする保安システム、つまりATSやATCの導入が本格化した1960年代には、まだ現在のような情報通信技術がなかったから、アナログなやり方に頼るしかなかった。たとえば、国鉄が開発して全国に設置したATS-Sでは、以下のような動作をする。

  • 車両側には、ATS車上子を搭載する。通常は車上の受信機が常時105kHzで発振しており、その出力の一部を、105kHzの周波数だけを通過させるバンドパスフィルタ(BPF)を通してリレーを動作させている。
  • 地上側には、信号機ごとに対応する地上子を設置する。これは樹脂で固めたコイルで、信号機が停止現示になると、この地上子が130kHzの共振回路を構成する。
  • その状態で地上子の上を車両が通過すると、地上子と車上子の間で共振回路を構成して、車上子の側でも130kHzの周波数を出力する。
  • ところが、その130KHzは車上のBPFでは通過しないため、BPFの出力が途絶えることになる。この動作によって「停止信号の現示」を検出して警報ベルを鳴らす。5秒以内に「確認ボタン」を押さなければ非常ブレーキがかかり、「確認ボタン」を押した場合には警報持続ベルが鳴動して注意喚起する。

ATS-Sでは、「停止信号か否か」という、単一の情報しか伝達できない。周波数がひとつ、送れる情報もひとつで、これを「単変周式」という。デジタル通信でも何でもないが、デジタル通信式の言い方をするならば、伝送できる情報は1ビットである(!?)。

ATSで使用する地上子の例

小田急電鉄で使用しているOM-ATSみたいに、地上子の側で使用する周波数を複数にして、「停止」だけでなく複数の現示に関する情報を送れるようにしている場合もあり、これを多変周式という。

多変周式の場合、車上側のフィルタがひとつだけでは具合が悪いので、使用する複数の周波数に対応する形で、複数のBPF、あるいはローパスフィルタ(LPF)を設置する。どのフィルタから出力があったかを調べれば、地上子が送ってきた情報の種類が分かる理屈だが、地上子から送ることができる情報が「一度にひとつ」である点に変わりはない。

ちなみに、名古屋鉄道のM型ATSなどでは、列車の速度を検出するのに面白い方法を使っている。地上子を2個並べて、通過にかかる時間を計るのだ。シンプルながら確実性が高そうな方法だが、地上子は固定設置するから、計測できる速度はひとつだけということになる。

デジタル化のメリット

一方、ATS-PやデジタルATCに代表されるパターン制御型の保安システムでは、車上装置が高機能化している。地上から「止まるべき位置」に関する情報を受け取って減速パターンを生成したり、プリセットしてある減速パターンの中から最適なものを検索したりする。

また、地上からの情報伝達に際してはデジタル変調を使用するトランスポンダを用いており、トランスポンダの上を通過する一瞬の間に数十ビットの情報をやりとりできる。その情報の中に、「止まるべき位置」や「制限速度」など、さまざまな情報を送信する。

ATS-Pでは車上から地上への情報送信も可能になっていて、「減速性能の高低」「運転方向」「列車番号」などの情報を送信できる。こうした情報は、保安のために利用するだけでなく、列車選別や旅客向けの案内などにも利用できる。

北越急行では、特急「はくたか」の車両にだけトランスポンダを搭載しており、そこから地上に情報を送信することで、「はくたか」に限って160km/hまで出せる「GG信号」(「緑」が2個点灯する信号現示)を出す。

こうした機能向上は、高い信頼性と、車載が可能なサイズ・消費電力のコンピュータ、それと高い信頼性を備えたデジタル通信技術がなければ実現できない芸当である。地上子と車上子の電磁結合による情報伝送だけでは、伝送可能な情報量の増大は不可能だ。

また、車上で減速パターン生成に必要な車両性能データを保持したり、勾配や曲線などといった線路情報を保持したりすることで、曲線区間での速度制限に対応することもできる。その際、既存のATS関連インフラを活用しつつ、車上側の装置を高機能化することで、たとえば曲線区間での速度制限に対応するようなことも可能になる(そこで線路情報が必要になるわけだ)。

もちろん、地上装置からいちいち線路情報を送信することも可能だが、小型・高信頼性のコンピュータを安価に利用できる昨今では、可能であれば、車上側で情報を持ったり演算処理を行ったりする流れにあるようだ。その方が地上側の設備簡素化につながる。

線路条件が変わったときには、すべての車両についてデータの書き換えが必要になるが、そういう事態がそれほど頻発するわけではない。輸送量があまり多くない、設備投資に充てられる資金に限りがある場面では特に、地上側の設備におカネをかけるよりも、車上側の設備で対応する方が理に適っていそうである。逆に、車両の数がやたらと多い場合には、地上側の設備で対応する方がよい、ということもあり得る。

また、トランスポンダが送信する情報のバリエーションが少なく、かつ車両側から情報を受け取る必要がない場合には、いちいち情報を生成して送信する代わりに、必要なバリエーションをすべてROMに書き込んで地上子にプリセットしておくこともできる。すると、地上側の保安装置は当該トランスポンダに対して「何番の電文を送信せよ」と指示するだけで済むので、それだけメカがシンプルになって経費節減になる。デジタル化した情報を安価に保持できるからこそ、実現可能な話である。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。