写真家になるためにはポートフォリオを作ることが第一歩だが、ポートフォリオを見せるという次のステップが一番難しい。積極的に見せられない人もいるだろうし、評価を受けた後で落ち込んでしまう人もいる。面接編の最終回は、ポートフォリオを見せる作家自身の心構えについて考えてみたい。

人の意見をどこまで受け入れるか?

一般的に、人に作品を見せるなら反論はしてはいけないという空気になりやすいよね。だけど、僕は自分の意見は最後まで持ち続けてほしいと思っているんだ。同じポートフォリオを見せても、見せた人によって作品の評価が変わる場合がある。周りの意見を聞き入れすぎて、自分が何をやりたかったのかわからなくなってしまう。そのような人はけっこう多いんだ。

だから見せに行った相手と自分の考えと違うと感じたら、自分の意志を伝えるために大いに反論してもいいと思う。だけど、意見を言ってくれているのに、相手の話を聞かないのはいけない。意見を述べてくれた人の話を理解したうえで、自分の考えと違っていたらちゃんと言えばいい。どこまで受け入れて、どこを受け流すかを見極めることは大切だよ。その判断ができないといつまでも自分の方向性が見つからない。

言葉にできること、できないこと

「言葉にできないことを知りたい、表現したい」という気持ちが作品を作る動機や原動力になる。だから、逆に言葉にできることは、話すなり文章にするなり、すべて言葉にしたほうがいいと思う。僕は写真評論家だから、見て感じたことを理解して言葉にしているけど、もちろんすべての現象を言葉にすることはできないと思っている。その言葉にできないことまで撮り込んで表現できるのが、写真家なんだろうね。

写真を含めた芸術には、言葉では解説できない未知の部分があって、その未知のものに接近して、表現することが面白さに繋がっていく。写真家がどれだけのことを理解しているかは、話をしてみるとよくわかる。作家の喋っている内容と作品の中身が一致する必要はないんだ。言葉で全部説明できるのなら文章を書けばいい。言葉を超えていく力や表現が、写真を含めた様々な芸術の分野では必要になってくる。その言葉を超えた部分を表現するシステムを作らないと、いつまでたっても面白い作品は作ることができない。

逆に、言葉にできないことを写真で表現できたら大成功だよ。まずは、自分が表現したいことが言葉にできるかできないか、整理してみるのはとてもいいことだと思う。

ラッキーは実力のうち

ラッキーは呼び込むもの。どうやって呼び込むかはうまく言えない(笑)。それが才能と言うことなのだろう。ただ、ポジティブに生き続けることがラッキーに繋がる可能性は高いと思うな。蜷川実花さんの事務所は「ラッキー・スター」っていうんだけど、このネーミングに彼女の生き方がよくあらわれているね。「好運の星」を信じて、ポジティブにやっていくということだ。

人生にはラッキーなチャンスは必ず来る。信じて待つことも時には必要だと思うよ。アンラッキーばかり起こる人もたまにはいるけど、よく観察してみると、アンラッキーにならざる得ない人生を自分で選んでしまっているんだ。アンラッキーを呼び起こしそうな性格とか、言動とか、行動とかね。普段の生活の積み重ねで、自分のエネルギーをポジティブに持っていくと、ラッキーを呼び込むこむ可能性が高くなるんだよ。宝くじだって買わなくちゃ当たらない。まずは、ラッキーを呼び起こすようなポジティブさを持ってほしい。人生のラッキーなんて、宝くじが当たるより確率は高いはずだ。

ただ、ラッキーが来ても逃してしまう人もいる。また、ラッキーチャンスに気が付かない人もいる。ラッキーが来たときに、どう対応できるかが写真家の資質に問われるんだろう。チャンスが来たら迷う前に乗っかってしまう勇気も時には必要だね。

結局は「本人力」

作品の魅力はもちろんだけど、それを作った本人の魅力も写真家の大事なことだよ。僕はそれを「本人力」っていっている。良い作品を作っている人は、自分の言葉で作品を理解して、話すことができる。ときどき天才肌で自分で何をやりたいか言葉にはできないのにちゃんと形になっている人もいるけど、たいていの人は天才ではない。だけど、「本人力」があればポツリポツリしゃべっていても、伝えたいことは相手に伝わるものだ。作品と作者をセットにして審査員は作品を評価している。

佐内正史がデビューする前に、僕に作品を見せてくれたときの話。当時、僕は『デジャ=ヴュ』の編集長をやっていて、1~2ヶ月に1回くらいの割合で、「デジャ=ヴュ・フォーラム」を開催していた。スタジオを借りて、ゲストに写真家を呼んだりして、若手作家が作品を持ってきてプレゼンテーションする場だったんだ。

その作品を持ってきた若者の中に佐内もいたんだけど、彼は積極的に話すタイプではなく、内向的な、ちょっと危ない感じもある青年だった。とてもピュアないい写真がを持ってきたけど、「なぜこのような写真を撮っているのか?」と聞いても、ぜんぜん喋ってくれなかった。メモのようなものを持っていて見せてくれるんだけど、そのメモの内容もぐちゃぐちゃで、何が書いているかわからない(笑)。つまり、作品世界は出来上がっていて、彼自身も確信は持っていたけど、それを自分の言葉で表せる回路はまだできていなかったんだね。このときの作品は『Stoned & Dethroned』というデビュー前の作品なんだけど、後に1995年度のキヤノン写真新世紀に出して、アートディレクターの浅葉克己さんが優秀賞に選んでいる。1995年度のキヤノン写真新世紀はHIROMIXがグランプリを取った年だ。

写真家は、作品に対して言葉を流暢にしゃべれればよいというわけではない。佐内は自分で作品を持ってきて、うまく語ることはできなかったけど、一生懸命伝えようとする姿勢は伝わってきた。つまり、言葉をうまく話せなくても、作家が見せる人の前に立って、伝えたいという積極性が伝わればいいんだ。僕ら審査員は作品より本人を見ている場合も多くて、本人がどういったたたずまいで、どんな人なのか、作品を見ながら観察している。「本人力」が強い場合は、作品の評価も高くなる。だから作品が上手くできてなくても、完成度が低くても、本人の可能性を信じたくなる人柄だったら、その後の作品を楽しみなってしまう。反対に、作品が器用にできていても、本人に魅力を感じなかったら評価が低くなる。何度もいうけど、やはり「本人力」が大切なんだよ。だから作家本人がプレゼンテーションの場に作品を持ってくることが重要になってくる。メーカーやギャラリーが開いているポートフォリオレビューなど、作品だけでなく作家自身を知ってもらう機会として積極的に参加してほしい。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)、『きのこ文学大全』(平凡社新書)、『戦後民主主義と少女漫画』(PHP新書)など著書多数。写真分野のみならず、キノコ分野など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)