今の時代はコンペティション(応募による写真コンクール)が充実がしていて、そこから写真家としてデビューする人が増えている。また、ギャラリーでも展覧会を開催するために作品を審査をしているところがある。面接編の第2回目は、ポートフォリオをコンペティションや作品審査に出品する場合について。

「傾向と対策」は通用しない

雑誌のコンテストやコンペティションの作品は、写真の枚数で内容や写真の見え方はずいぶんと変わってくるね。雑誌のコンテストは1枚写真での応募が基本(雑誌によっては組写真もある)だけど、コンペティションはシリーズとしての複数の作品で審査する。雑誌のようなコンテストは、1枚でどれだけのことが伝えられるかが審査の対象になるから、完結性の高い作品や、1枚に物語が凝縮されている写真のほうが評価は高くなる。だけどコンペは複数で見せるから、はじめと終わりがあって、その間の流れが必要になる。はじめは淡々としていて、途中から盛り上がって最後まで引っ張っていく構成もあるし、最初からどんどん押していく場合もある。1枚で完結している写真ばかりを並べても作品の良さは伝わらないよね。

写真家になるためについて語る飯沢耕太郎

コンペや公募展などにポートフォリオを提出するとき、多くの人が考えるのは傾向と対策だと思う。コンペティションやギャラリーごとの好みや傾向があるか? という質問もよくされるけど、あるといえばある。当然だけど、審査員や運営側の好みや考え方が受賞作品に現れるからね。だけどそういう想定された傾向に囚われてしまうと、ろくなことにならない。傾向を想定して作った作品は、まず通過しないと考えた方がいい。その理由は、審査する側はなるべく新しい人たちにチャンスを与えたいという気持ちが常にあるからなんだ。いままでと同じような作品を提出されても選べないだろう。それに、無理して作品を作っても、のびのびした自分らしさがないので、どこか縮こまったものになりがちだからだ。

写真新世紀」のような新しい作家を発掘するコンペティションはものすごく膨大な量の出品数があり、作品の幅も広い。そうなると審査員にショックや驚きを与えることが必要になってくる。そのショックや驚きというものは、一過性の、単純に見た目だけでのショックや表面的な衝撃だけではない。もちろん「見た目」、つまり作品の仕上げの部分は大事だけど、見ている我々が、「こういう見方もあったのか」、「このような表現は気がつかなかった」といった新しい概念を発見させてくれる作品のこと。傾向や対策などにとらわれず、自分のやりたいことをやり切った作品が一番強い。なおかつ、これまでとは違う新しい世界を切り開いて見たことのない作品だったら、絶対に入選、入賞するはずだよ。

愛こそすべて

撮影するという行為は、基本的に被写体に対する愛のあらわれだね。被写体に愛があるかないかは、見る側にも伝わってくるし、撮影の粘り方や作品の仕上げなど色々なところに現れてくる。被写体に対する愛があると作品のクオリティも上がる。そういう作品には、伝えたい、表現したいという情熱を感じるんだよ。

客観的なクールな作品もある。だけど、クールな作品でも被写体に対する愛は、あると思う。たとえば畠山直哉氏の仕事だって、愛がなければ石灰岩を日本全国を回って撮り続けることはできないはずだよ(写真集『LIME WORKS』など)。愛の裏側には、尊敬や畏敬の念がある。それらの想いがあるかないかで、作品の質は変わってくる。

愛のない写真を見せられてもつまらないよ。作品は単純にお金を稼ぐための仕事じゃない。仕事は自分の好きでないものでも撮らなくてはいけないけど、自分の作品では、まず愛を持てるものを撮ってほしい。作品とは、制作し、ポートフォリオにまとめ、プレゼンテーションするという責任が全て自分にかかってくる。愛のないものに責任を持ってもしかたがない。作品を作るにはエネルギーと時間が必要になるけど、エネルギーと時間の無駄遣いだよだよ。

情熱や愛が作品の出来栄えに、非常に反映されてくる。見ている方も、好きで撮っていると伝わってくる作品の方が見ていて気持ちがいいし、評価も高くなる。あとの技術力や仕上げなどは、付随的なものなのかもしれない。一番大切なことは、情熱で突っ走って作り上げること。とくに若いうちはエネルギーを全開にしないとと意味がないと思う。年をとるにつれてエネルギーも枯渇してくるし、それまで蓄積した技術で魅せることもできなくはない。エネルギーで突っ走るのは若さの特権であるし、身体的生理的な意味でも若い時期はエネルギーが有り余っているんだから、この時期に出さなかったらいつ出すの? って聞きたいね。

愛と馬鹿は紙一重で、「馬鹿だなぁ」って思われるくらい突っ走った方がいい。以前、今年のヴェネチア・ビエンナーレの日本代表に選ばれたやなぎみわ氏と学校の講評を一緒にしたことがあるんだけど、彼女は生徒に「もっと自分をさらけ出して、恥をかきなさい」って話したんだ。やなぎ氏の作品を見ると、もっとクールな人かと思っていたんだけど、とても熱い姉御肌の人だとわかった。自分をさらけ出すという在り方が大事だと話していた。自分の個性を出していく鍵が、その言葉に現れていると思った。つまり、制作活動というのは"恥をかいてなんぼ"という世界なんだ。やなぎ氏もそうだけど、自分をさらけ出すことは、おおむね関西の人はうまいね。関東の人たちは、自分が恥をかくことに怖れていることが多い。恥をかいて「馬鹿だなぁ」と思われても、そこから認識されるくらいでいいし、恥をかくことを怖れていては個性を出すなんてできないよ。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)、『きのこ文学大全』(平凡社新書)、『戦後民主主義と少女漫画』(PHP新書)など著書多数。写真分野のみならず、キノコ分野など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)