飯沢耕太郎氏は、木村伊兵衛写真賞を受賞した岡田敦氏の作品を評価しづらいという。なおかつ、まだ発展させられる可能性があるとも語る。伊兵衛賞をテーマにしたPhotologueの3回目は岡田敦氏の『I am』について。(文中敬称略)

第33回木村伊兵衛写真賞 岡田敦 『I am』より

第33回木村伊兵衛写真賞 岡田敦 『I am』

岡田敦は2003年に大阪芸術大学を卒業して、その卒業制作をまとめた写真集『Cord』を発表している。その後、東京工芸大学に入学するんだけど、『Cord』を発表したころから一部では注目はされはじめていた。この『Cord』は、リストカッターやコンドームなど、割と痛々しい被写体を加工して、オブジェ写真のように見せていて、今回受賞した『I am』とはかなり雰囲気が違っている。僕はこのころの岡田の作品を見たときに、「このままだとちょっと危ないなぁ」って思っていたんだ。デザイン的な処理に走ってしまっていて、リストカットという重いテーマをうまく表現しきれていない感じを受けた。岡田自身も『Cord』の出版以降、社会や現実の世界に生々しく関わる問題を、どのように見せていけば見る人にきちんと伝わるかを模索していたと思うんだよね。

そういったデザイン的な処理をきっぱりやめて、ストレートな写真表現に戻った作品が、今回受賞した『I am』なんだ。模索の結果が木村伊兵衛写真賞の受賞に結びついたと思うよ。『Cord』は窓社から出版されているんだけれど、窓社の西山俊一社長は、岡田を最初から評価をしていたわけだから、今回の受賞を一番喜んでいると思うね。

第33回木村伊兵衛写真賞 岡田敦 『I am』 より

岡田敦の作品についていえば、僕は「リストカット」というテーマそのものが、読者にはちょっとついて行きにくいと思っている。それを被写体に選ぶこと自体が、見ている僕らにネガティブな感情を呼び起こしてしまうからね。まともに見ることができないんだよね。岡田はそのような被写体を正面から引き受けて、制作していく。本当に鋭敏な感受性の持ち主だったら精神が壊れそうなことを、作品としてここまでやり遂げているわけだから、いい意味でものすごく鈍感な感性を持っていると思う。じゃないと、こういう被写体に長年つき合っていくのは難しいよ。だから自分を保ち続ける「鈍さ」が岡田の強さなんだよね。強さと鈍感さを兼ね備えているから写真集という形でもうまく成立している。だけど、正直僕にとっては向き合いにくい作品だから、岡田の作品は評価しづらいんだ。今までも死体写真などネガティブな感情を呼び起こさせる作品はあったけれど、マイナスのエネルギーが『I am』ほど出ていないと思う。岡田の作品は、僕にとってはマイナスエネルギーがとても強すぎて、どうも評価の枠に収まりにくいんだね。

『Cord』は2003年の伊兵衛賞の最終選考に残っているけど、そのときは受賞するまでには至っていなかった。それ以降もリストカットをテーマにして、ねばり強く作品を作り続けてきた。作品を作り続けるエネルギーは感心するけど、気恥ずかしさも含めて、僕は彼の作品をうまく消化しきれない。岡田の作品を見ていると、なんか尾崎豊の歌みたいなところがあるんだよ。『Cord』に比べて、受賞した『I am』は消化不良の部分はだいぶ解消されていて、彼の表現の形が見えてきているけど、まだしっかりとは着地しきれてない気がする。ただ岡田が成長していることは認めざるを得ないし、現時点での答えの出し方も間違ってはいない。『Cord』は問題設定は良かったかもしれないけど、答えの出し方は間違っているなって思っていた。『I am』はその問題設定と答えが自然に納得できる形になっている。

岡田敦は受賞後に飛躍して、僕を含めた観客を納得させることができる表現に達するかもしれないし、できないかもしれない。まだ半信半疑だね。でも木村伊兵衛写真賞は、可能性も含めて与えられることもあるから、まだ成熟しきれていない部分の今後の展開を期待して、写真家を育てていく意味も含めて賞を与えるのは、けっして悪いことじゃないと思う。こういう肯定と否定とが両極端に分かれてしまう作品が受賞するのは、むしろいいことじゃないかな。

岡田敦 『Cord』 窓社。第29回木村伊兵衛写真賞の最終候補作品に選ばれる

第33回木村伊兵衛写真賞 岡田敦 『I am』 赤々舎

第33回木村伊兵衛写真賞受賞者 岡田敦。1979年北海道生まれ。2003年大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。08年東京工芸大学大学院芸術学科研究科博士後期課程修了、PhD取得、芸術学博士。2002年「Platibe」で富士フォトサロン新人賞受賞。主な著書に2003年『Platibe』『Cord』(ともに窓社)、2004年『リストカット』(窓社)、2005年『紙ピアノ』(共著、風媒社)

木村伊兵衛写真賞の影響力

岡田敦の場合はちょっと違うかもしれないけど、木村伊兵衛写真賞ほどの大きな賞は、極端な言い方をすると、その写真家のひとつのピークの終わりを意味すると思う。写真集を出してそれなりの評価を得て、また次の写真集を出して、自分の世界を高めていくという上げ潮の時期が写真家にはある。賞を受賞するということは作家にとって大きな区切りだから、受賞後が写真家の正念場だよね。賞を取ることで舞い上がってしまって、自分のペースを崩してしまった人も何人かいたと思う。逆に賞を一つのステップとして、自分の仕事を広けていく人もいるんだ。

木村伊兵衛写真賞はそれなりに大きな賞であるわけだから、それを転機として自分の作品をうまく作っていくことが受賞後の作家活動で大事になってくる。2000年の3人同時受賞の長島有里枝、蜷川実花が受賞後に精力的に活動したのに比べて、HIROMIXの活動が難しくなってきたという対照的な例もあるよね。偶然が積み重なって受賞が決まることも多いんだけど、結果的に写真家としての生き方とか運命とか、作品の世界の成立の仕方とかに強い影響力を与えているのが、歴代受賞者をみていくとよくわかる。

写真界のいろんな賞の中で木村伊兵衛写真賞は、『朝日新聞』紙上で受賞発表が行なわれることも含めて一番知られている賞だよ。その賞を受賞することで受賞作家は、一躍時の人になる。去年受賞した本城直季や梅佳代なんかも一気に知名度が上がったよね。受賞後に一番変化するのはメディアの対応だろうね。

賞は巡り合わせみたいなものがあって、最終選考まで残っても、その年にすごくいい作家がいると受賞を逃してしまうことがよくある。たとえば藤原新也が受賞した第3回(1977年)は、牛腸茂雄の『SELF AND OTHERS』が最終選考まで残っている。今見れば牛腸の『SELF AND OTHERS』は戦後の写真史に残る素晴らしい仕事だと思うけど、藤原新也と牛腸茂雄を並べたら、牛腸の端正な仕事も評価できるけど、どうしても藤原の作品の方が華やかだし可能性を感じるよね。このような巡り合わせはどの年にでも起こっている。藤原は受賞後に『全東洋街道』とかの充実した仕事を展開していくから、彼にとって受賞はとても大きなステップになったのは間違いない。受賞すると名前が載って、写真の歴史に残っていくわけだけど、何度も最終選考に残って結局取れなかった人もいるし、最終的にちゃんと受賞した人もいる。賞の選考は作品と時代との相性や、審査員の力関係、候補者の顔ぶれ、写真家自身の勢いや運など、いろんな要素が絡み合ってくる。なんか運命の綾(あや)みたいなものを感じるよね。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)