男から「向こうが誘ってきた」とか「誘われたから仕方なく」いうのを聞くと、なにおう? と思う。だってセックスは男がその気にならなければ発動しないんだから、なんだかんだ言ったって、最後にはその気になったってことでしょう。でも、ホントに女のほうはサカっててセックスがしたかったのか? と思うのである。

真実を突き詰めたら、結構な割合で濡れ衣なんじゃないかというのが私の意見だ。内田春菊の、なんの作品か忘れちゃったけど、女が好きな男に甘えてじゃれていたら、「そんなにしたいのか」みたいなことを言われるシーンがあった。女は「そういうんじゃないんだけどな」と思いながら、そのままいたすことにする、となっていて、多くの女はこれを読んで深く頷いていたことだろう。

好きな男とのスキンシップは気持ちがいい。腕を組んで、腰を抱いてもらって、首にまとわりついて体温を感じるのは、穏やかな幸せだ。でもそっからいきなりスポーツへと進展しなくても結構なのだ。まあ、女がまとわりついてきたら、その気になっちゃうのかもしれないですが。『江口寿史の爆発ディナーショー』にそんな話があったな。超美人の新妻にいちゃつかれて、サカりまくっちゃう夫の話。

以前、女友達で集まってガールズトークをしていたとき、「自分にその気がないとき、彼(夫)がサカって押し倒してきたらどうする?」というお題に、全員が、「面倒くさいからノリノリのフリをして、早く終えてもらう」と答えた。嫌がったりして押し問答して、むくれられても面倒だし、始まってから「気持ちよくなるまで」とか言って長々されても困る。むしろこっちが折れてやらしてやったほうが(彼氏だからな)、後腐れがないというのを経験的に知っているのだ。男は、女の「して♪」を素直に信じちゃいけないのである。

でもこの法則は、子どもには通用しない。小さなころに性的虐待を受けたみちるは、大人からさんざん「お前が誘ったんだ」「子どものくせに悪い子だ」と言われてきた。なぜ子どものみちるが、大人の男を誘わなければいけないのか。だけど子どもに欲情する大人は、自分を正当化するために、こういうことを平気で言うのだ。そしてその言葉の呪縛から、子どもはなかなか抜け出せない。

みちるは、「セックスは汚いものだ」「好きな人と触れ合いたいと思うことは汚いことだ」と思う。印象的なシーンがある。晶と初めていたすとき、みちるは「私にひどいことして。もっとめちゃくちゃにして」と言う。彼女にとってセックスとは「優しくして」なんていう甘ったるいものではないのが痛々しい。だから、大好きな礼音(れおん)とは、抱き合うことができない。

しかし、漫画っていいなあと思うのは、津雲むつみの『闇の果てから』みたいに、トラウマを背負った主人公のために、男たちがどえらく献身的なことだ。礼音は登場時からみちるが好きなのに、とうとう最後まで手を出さない。たまってる風でもないから偉い。アイスダンスのパートナーやってる晶も、途中からはすっぱり手も出さずに応援したり見守ったりしてるし。男が苦手な彼女のために女の格好をしているドミニクも全面協力だし、寄ってたかって彼女の傷を癒そうとしてくれる。そのためにひどく辛い経験をしてるわけだけど、こんなものわかりのいい男ばっかりだったら、今後の人生バラ色だ。

でもそんだけやってもらっても、乗り越えるまで10巻かかるくらい、男に力でねじ伏せられた女の傷は深いんです。
<『キス&ネバークライ』編 FIN>