男からすると、「女の話はつまらない」という。どこらへんが? と聞くと、同じ話をとめどなく続け、しかも大して重要とも思えない内容(誰それがどーしたとか)で、それはもう退屈らしい。おばさんになるとその上、同じ話を壊れたレコードのように繰り返すので、結婚して長く経つと結構イライラするようである(その後、あきらめの境地になるみたいだけど)。

女の話というのは、起承転結のメリハリや深い知識の話なんかよりも、「なにが起こって、そこで誰がどう思ったか」でできあがっているのだ。そもそも大抵の女は、親から「女は学問などしなくていい」という精神で育てられ、自分磨きするなら知性よりも外見を磨いたほうが男にモテるのだから、ますますそういう話の好きな女が多いのは仕方がない。

ちなみに、それじゃあ男の話がすべからく面白いかと言ったら、もちろんそんなことはないし、女にだって噂話の嫌いな人や、ニュートンからガンダムまで話ネタの豊富な人はいるから、あくまで一般論だけど。

女の話の成り立ちと同じように、少女漫画も「なにが起こって、そこで誰がどう思ったか」で成り立っている。登場人物の心理を描写するト書きは、少年漫画よりも少女漫画に圧倒的に多い。そして「なにが起こったか」のネタをなににするかが、作者の力量の問われるところとなる。ネタが恋愛なら、ドッキドキで切ないところが読みどころだし、ネタが事件なら、トリックそのものではなくてハラハラしたり悲しんだりするのが読みどころになる。

『動物のお医者さん』は、動物や人間の間でいろんなことが起きて、みんながどう思ったか、で構成される物語である。この作品には、菱沼さんに見合いの話が持ち上がったり、男子高校生が菱沼さんに淡い恋心を抱いたりするだけで、肝心のハムテルや二階堂には恋の話は持ち上がらない。もともとこの作者は、熱い恋心みたいな話を描くタイプではないのだけれど、そもそも『動物のお医者さん』に恋愛模様が描かれないのは、すでに恋愛に似た状態が、動物と人間の間に起こっているからだ。

大人しくて我慢強いハスキー犬のチョビと物事に動じないハムテルが心を通わせたり、菱沼さんが動物に片思いしたり、ネズミが大嫌いな二階堂がハムテルに迷惑をかけたりする。ハムテルたちが必死に動物たちの心の機微を読み取ろうとしている様は、まるで恋愛関係と同じじゃないか。そこに改めて女を登場させてヤキモキさせたりなんかしたら、話がとっ散らかること間違いなしだ。

フツーの少女漫画なら、間違いなくハムテルか二階堂と菱沼さんが恋愛関係に陥るところだけど、恋愛一切なしの展開に疑問を抱かなかった読者も多いはず。それはすでに動物との間に起こる「誰がどう思ったか」の話で、読者が満腹になれるからだ。

ペットを飼ったら男がいらなくなると言うけれど、漫画においても動物がいっぱい出てきたら、恋愛話がいらなくなるのである。

というわけで最後に小ネタ。『動物のお医者さん』は、とても淡々と話の進む作品なのだが、単行本の裏表紙内側にある「作品かいせつ」が、「パワーを競ってエンジン全開!!」とか「公輝くん、ガ・ン・バ・レ!!」とか、全然作品紹介になってないテンションの高さで爆笑。

※ところで前回、「次回はハムテルよりも魅力的なキャラについて」とか前振りしてましたが、よく考えたらあんまり面白そうじゃないっていうか、なにを書く予定にしてたんだか忘れてしまいました。申し訳ございません。
<『動物のお医者さん』編 FIN>