坂井久仁江という漫画家には、ちょっとした思い入れがある。この人が高校生のころ、デビュー前の漫画を読んだことがあるのだ。文化祭で漫研メンバーが作った作品集だった。まだまだ漫画が文化として現在のように成熟する前だったのでしょう、漫研と言ってもまともに絵が描ける人は数名だった。その中で、圧倒的な画力で読者を魅了していたのが、彼女だった。

子どものころに読んだきりなので詳細は覚えてないけれど、確か吸血鬼の話だったような。それから数年後、あのめっぽう絵の上手かった女子高生はデビューを果たした。鳩の森シリーズとか、オオカミ少年の話が大好きだったなあ。しかし、漫研であれだけずば抜けた画力を見せつけていたにも関わらず、プロの中では「圧倒的に絵が上手い」という感じじゃないよな。もちろん、デッサンは正確だし、慣れたタッチで上手なんだけど……プロの漫画家たちが、どれだけ絵の上手い人たちの集まりかってことか、恐ろしい。

で、『花盛りの庭』。雅樹は、花の咲き乱れる庭の夢を見る。その夢の庭には長い髪の少女がいる。ある日、実際にその庭に行ってみると、夢に見ていた少女がその庭にいた……というところで話が始まる。こりゃーいったいなんのファンタジーなのかしら? と思って読んでいると、なんてことはない、現実の話なのである。つまり庭の夢を見ることも、夢に出てくる少女が現実にいることも、すべて理屈が通っているのだ。そういえばこの作者は、リアル寄りの話なのかと思って読んでいると、ラストでいきなりファンタジーだったりして結構、最後まで気の抜けない話を作るのだった(で、作者本人が「こんな突飛なラストを描くとは」などと後書きでコメントしたりして)。この『花盛りの庭』も、序盤ぐいぐいと話が展開していく。「えぇっ! そう来たか!」とゴロゴロ転がされるのだ。

そして不思議なのはこの話、同性愛だの愛憎だの近親相姦だのプラトニックだの一途に女を思う男だの、女の好きそうなスパイスがドバドバかかってるのに、なんでかイマイチ萌え作品って感じじゃないこと。少女漫画では、萌えスパイスを投入するなら、とことん女たちをキュンキュンさせ、悶えさせるものなのだが。

なのにこのクールな感じの仕上がりはなんなのだろう。同性愛者の一人が、ハゲのマッチョだったりして、微妙にリアルな感じだからだろうか。近親相姦シーンも、背徳感というよりはシリアスな心理描写に重きが置かれているからだろうか。メインの登場人物たちが、みなドン暗く悩みを抱えているんだけれど、その設定がどうにもあまりにドラマチックなので、彼らにあまり感情移入ができないからだろうか。かといって的外れなわけでもない。つまらないわけでもない。なんだかものすごーく、不思議な作品である。

序盤のどんでん返しが楽しい作品なので、詳細を語れないのは辛いんだけど、ひとつ面白いことを発見した。少女漫画において「死んじゃうキャラ」についてだ。大体、ものすごく傷を負ってたりしてアンニュイなイケメンが、主人公の女と出会って小さな幸せを見つけたりする話では、ラストでイケメンは死ぬことが多い。こういうヤツが幸せになっては、キャラの存在意義がなくなるからだ。

『花盛りの庭』でも、何人かが死ぬ……そしてその理由は「お役ご免になった」である。トラブルや悩みの種を作り続けているうちは、そのキャラは生かしてもらえるのだけれど、「もうこれ以上問題を起こせない」または「死んだほうが悩みの種を与えることになって便利」だったりする場合は、サッパリ殺されてしまうようだ。「なんだか存在意義が薄いなあ」と思っていたキャラも、途中で死んでいた。やはり主人公と心を深く通わし、生きることで喜びや悲しみを与え続けられるキャラは、最後まで死なないのだ。リアルな生活の中でも、自分が抹殺されてしまわないように、人にとって意味のある人間になれるよう気をつけていきたいものである。

さて次回は、全般的に誰にも深く共感することのないこの作品で唯一、深く「あるある!」と首を縦に振ってしまう、ホントに世の中にいっぱいいそうな、とある男子キャラについて語りたいと思う。
<つづく>