青森駅から三厩という駅に行こうと思って電車に乗ったら、ノンストップで北海道まで連れて行かれた。青森から北海道まで結構な数の駅があるので、まさかひとつも止まらないとは思わなかった。ちなみに北海道は行ったことがなかったので、いつかものすごい記念日に誰かと行こうと思っていたのだが、まさかこんな準備もないまま行くハメになるとは、JRにレイプされた気分である。

ちなみに木古内という駅で降りて、そこからどこかへ行こうと思ったのだが、これまた電車が2時間に1本とかしかなくて、駅前の喫茶店に入ったらママ(美人)から「函館に行けばよかったのにねえ」と何度も言われた。聞いてみると、地方では都市間で利用する以外、在来線でこまごま移動しようという需要がないのだとか。西村京太郎が活躍する意味がやっと分かった気がするよ。

その移動中、『告白』を読んだ。とても構成のしっかりした話で面白かった。興味深かったのは、作中に出てくる化学・工学系の話が、ものすごくおざなりだったところ。「グレードアップさせた」とかくらいの説明しかない。これが東野圭吾や京極夏彦だったら、せっせと説明をしたに違いない。いくらミステリと言っても、人の興味は人物そのものであったり、考え方・感じ方であったりという「人そのもの」だということなのだな、と思ったのだった。

で、今回取り上げる『夢見る惑星』は、まあ正直少々マイナーな作品ではないかと思う。そもそも「プチフラワー」(現「フラワーズ」)に掲載されていた作品は、気骨なのが多いんだ。こういうのは爆発的な人気になりにくい。でも玄人(って誰だよ)には評価が高いものである。『夢見る惑星』も間違いなくそういう作品のひとつだ。壮大な世界観、よく考査されたストーリー、そしてとっても魅力的な登場人物たち。

イリス、タジオン、カラ、モデスコ王、ズオーと、登場する男性たちは大抵かっこいい。ただし見てくれがいいというのとは違う。佐藤史生は、絵がうまいのか下手なのか正直微妙で、あんまり少女漫画らしい感じのタッチではないのだ。なので、F4みたいにぞろぞろと列をなしてイケメンが登場する、ということではない。でもかっこいい。

モデスコ王は、妾を何人もこさえたそうだけど、愛する人はただ一人、イリスの母親だけだった。王と実は異母兄弟だと知った彼女は、イリスをお腹に身ごもったまま、王から逃げたらしい。王はその後、王妃を迎えたり妾をもらったりしたけれど、愛しているのは祝福されることのない相手――イリスの母親のみという、まあ光源氏みたいな感じである。かなりズバッとバリッとしている王だけども、恋愛には一途なところが女には萌えだ。自分が王妃だったり妾だったりしたら、どうあがいても振り向いてもらえないわけで、たまったもんじゃないけども。

王の息子、タジオンは、王に似てかなりズバッとバリッとしているけれども、やはり女には一途だ。彼と王の違うところは、「妾妃も側女もなしだ」なことらしい。そう婚約者のフェーベに熱く誓っている。タジオンみたいな威張りん坊タイプは全然好みじゃないけど、作法に則って求婚して無理チューして(作法に則ったあとにご乱行だ!)、「おれのどこが不足だ、言ってみろ!!」なんて言われたら、いくら不満があったとしても「すみません、ありませんでした!」とか言っちゃいそう。

モデスコ王もタジオンも、親子だけあって豪気で快活、聡明そうなところはそっくり。そして、二人とも女には一途なところが少女漫画である。女なんか望めばいくらでも手に入るのに、想い焦がれるのはただ一人らしい。ホントにあるのか? そんなこと。だけど、威張りん坊王様が浮気性では、作品の魅力は半減したはずなのだ。島耕作は有能ゆえに女を食い散らかした風だったけど、あれで一途だったら女の読者から激しく人気が出たことでしょう(ああ、でも男の支持は減るかもしれないから、結果は同じなのかな)。

『夢見る惑星』の見所は、設定と構成と世界観である。ムダがなく入り組んでいて、小難しい。漫画というジャンルに収めておくのは惜しい作品だと思う。でも、その魅力を強力に後押ししているのが、登場するキャラたちなのである……というわけで、次回は私がもっともタイプのキャラたちについて語ろうと思う。
<つづく>