「付き合うか付き合わないか、っていう時期が、一番楽しいわよね」というのは、よく聞く話だ。相手のイヤなところは見えない、期待はあるけど失望はない、絶好調に楽しい時期。セックスもしてないから、男女のすれ違いもない。安定期に入った男女の楽しさというのもまたあるけど、この時期の高揚感は、もう脳みそが刺激を求めて活性化してる感じである。

だから少女漫画は、男に散々待ったをかけて、いけそうになる度に我慢をさせてーの繰り返しで話が作られるのかもしれないな。そういう意味では、『なんて素敵にジャパネスク』も、散々待ったがかかる話である。

時は平安時代。主人公の瑠璃は16歳、当時にしたら行き遅れの歳だ。度々父親から結婚を勧められるものの、かたくなに拒否をしている。幼いころの初恋の相手、死んでしまった吉野の君を思い続けているのだ。その上、結婚というものに幻滅している。まあ、幻滅してるからこそ、吉野の君を理想化して想い続けてるわけだけど。

そんなところに、弟の幼友達・高彬が実はずっと瑠璃を想い続けていたことがわかる。ひたむきな高彬に、瑠璃も彼との結婚を考えるようになる……というのが話の始まり。そこからしばーらくは、瑠璃と高彬の、目指せ初夜実現大会! が繰り広げられるのである。

少女漫画では、男女がいたすのは『青の封印』や『絶対彼氏。』みたいに、「二人がしなきゃいけない理由」があるという、やんごとない設定を与えるか、男がとにかく女を愛するあまり欲情しちゃって、おサカんであるか、そんな話が多い。だけど『なんて素敵にジャパネスク』では、サービスシーンは皆無と言っていいのだけれど、瑠璃がひたすら初夜初夜言うのが面白い。エロいこと抜きにして、「好きだから」「結婚するから」するんだもーんという潔さがある。

この作品は、もともとは原作が氷室冴子で、コバルト文庫から出版されていた少女小説だ。ろくに本も読まなかった高校生時代、むさぼるように巻を重ねた覚えがある。少女小説とは言っても侮るなかれ、謎解きあり、時代背景が割としっかりの大冒険活劇なのである。

もちろん、氷室冴子は現代の人なわけだが(2年ほど前にお亡くなりになり、非常にショックでした)、女子高生時代に「うっそお! 現代人なのに、こんなことできるの?」と感激したくだりがあった。

歌がヘタクソといわれている高彬が、瑠璃に歌を送ってよこす。
春立つと 風に聞けども 花の香を 聞かぬ限りは あらじとぞ思ふ
「春が来たと噂には聞くけれども、恋しい人からの返事が来るまで、私はそう思わないことにします」というもの。

高彬の上達ぶりに感激した瑠璃は、こう返す。
心ざし あらば見ゆらむ わが宿の 花の盛りの 春の宵夢
瑠璃としては、「うちの庭の花はとてもきれいよ。花の香りがしないなんて、ロマンを解さない心がけが悪いんじゃなくて?」と返したつもりが、この歌は、花=瑠璃という意味にも受け取れるのだ。つまり「あなたさえその気なら、私のOKサインがわかってもよさそうなのに」という、めちゃくちゃお誘い歌になっていた、というくだり。

まあ、大人になれば「花の盛り」なんて言われれば、女のことですか、と思うので、この解釈は非常に自然なんだけど、勉強のできない女子高生の時分には、「こんな歌の掛け合いが、現代人にも創作できるのか!」と激しく衝撃であった。

その後、ひたすら和歌を勉強するようになった……となれば美談なんだけど、残念ながらそういうことはなく、未だに歌の詠めない大人である。だけど、少女小説だからといって、ただ男女がドキドキメソメソしているだけではなく、軽く教養めいたネタが仕込まれているあたり、「少女小説や少女漫画は、こうであってほしいな」と思うのであった。
<つづく>