『ラブホテル進化論』(文藝春秋刊)という本に、昔のラブホには、「風呂場の床が、ガーっとスライドして開きガラス張りになり、女性が風呂に入っているところが下から覗けるようになっている部屋」というのがあったと書いてあった。もちろん男が入っているときに覗いてもいいんだろうが、女としては別に興味がないので、間違いなくこれは男のためのシステムで、はっきり言って気分が悪い。親密な関係の男に、そんな覗き見みたいなことをされたら、愛情のかけらも感じられない。いかにも「性欲解消しに来ましたー!」という感じだ。

もちろん女の意見が社会的に重視されるようになったからこそ、こういう部屋は消滅したわけだが、「女(自分)の裸」には、どうしてもネガティブなイメージがつきまとう。確かに往来で裸になったら警察が来ちゃうが、裸を人に見られるということから連想されるのは、「嫌らしい目で見られる」「嫌らしいことをされる」「嫌らしいことを言われる」「襲われる」「写真に撮られる」「脅される」とまあ、イヤなことばかり枚挙にいとまがない。露天風呂とか、いくら囲いがしてあっても、なんかどっか不安なものだよ。

故に「女が衣類をまとわない」というのは非常に心細く、不安な状態なのだ。だって、いつ膨大なイヤな目に遭うかわからない状況なのだから。そうした「イヤな状況」にヒロインが置かれたとき、物語的には絶好の萌えシーンになる。その場所にイケメンを置いて、尚且つそれでヒロインをイヤな目に遭わせなければよいのだ。起こるべきイヤなことが起こらない……それだけでそのシーンの価値は格段に跳ね上がる。

『天は赤い河のほとり』(以下、『天河』)でも、もちろんそんなシーンがある。怪我をしたユーリが、ふと気付くとポロッポロと大変なところを丸出しにして仰向けに寝ており、仰天する。どうやらカイル皇子が手当てしてくれたらしいのだ。ユーリが起きたら、カイルもなんかその気になって盛り上がっちゃうが、それまではグッと我慢だか欲情しなかったのか、とにかく女としてはこういうのは安心感がある。

寝て起きてみたら、夫が自分と行為中だった、ということで強姦罪で訴えたという話を聞いたことがあるが、こういうのはかなり気分が悪いだろう。この手の行為においては、女の意志をとことんまで尊重してくれないと、こちらとしては大きな失望感があるのだ。

それにしても、ユーリはよくまあ衣類を剥がされること。確か『王家の紋章』(以下、『王家』)でも、キャロルがイズミル王子にムチで打たれた後に、服を剥かれて手当てをされるというシーンがあった。どうにも、ヒッタイトの王位継承者は裸の女を手当てするのが好きらしい。

漫画の基本設定のみならず、こうしたシーンがあることが、『天河』と『王家』が似てると言われる由縁であると思うが、上記のように女の裸は、何されるかわからないという、とても心細い状況なのだ。それを安全に過ごすことができたら、相手の男の株はストップ高の急上昇である。

加えて、恐らく現代よりも格段に野蛮であっただろう古代なら、怪我をしたり病気したり、いっぱいありそうな気がする。例えば現代で大けがをしたら、皇太子が自ら怪我の手当てなんかしてないで、即救急病院でしょう。医者以外の人間が手当てをしたら、やっぱりちょっといかがわしくなってしまう。設定が違うだけで、萌え可能なシチュエーションが異なってくるのだ。古代に萌えを持ってきたら、まあ似たようなシーンが出るのは仕方がないのかもしれない。

そのうえパーフェクトなのは、カイルはユーリが目覚めると、一気にやる気を出して襲ってみたりして、また読者を楽しませてくれるのだ。女はただ単に欲情されると面白くないけど、まったく女扱いされないのもまた不愉快という、小難しい生き物なのだ。つまりこのシーンは、「裸だけど安全」で、「でも自分に欲情はしてくれて(女としての価値を認めてくれて)」「嫌がったらやめてくれる」という、女の複雑なヲトメ心をばっちりと満足させてくれるのである。

次は何を書くか、まだあんまり考えてないけど、なにしろ28巻も読んじゃったから、もう1回ほどしたためることにして、では次回。
<つづく>