人間、若いうちは誰でも経験値が薄いので、非常にものの見方が表面的だ。自分に当てはまるかは別にして、恋人にするならルックスがいいのがいいし、学校や仕事は一流じゃないとダメだと思う。しかし経験値がたまってくると、わかりやすい見た目や肩書きよりも、もっと大事なものがあることがわかってくる。歳をとってからの不倫は、心がつながっている場合が多いので、別れさせるのが大変なのだそうだ。

若いうちは特に、男はもちろん、女も美人が好きだ。『ママレード・ボーイ』にもあるように、友達が美人だったら鼻が高い。少女漫画の主人公も、大抵が美人である。『キャンディ・キャンディ』や『はいからさんが通る』の主人公たちは作中で「ちんくしゃ」などと言われているが、絵柄的にはキレイなので、『ゲームセンターあらし』とか『銀河鉄道999』とか、まあまず少女漫画ではあり得ないルックスの主人公である。そういえばAV男優はあまりイケメンじゃない場合が多いが、少年漫画でもそれは共通項のようで興味深い。

『ヨコハマ物語』のお卯野は、~万里子に比べたら、だが~あまり美人とは言い難い。髪は黒くて重たく、田舎もので、自分のことを「おら」とか呼ぶ。子どものころは、そんな垢抜けないお卯野が大キライで仕方がなかった。が、大人になってみてみると、大金持ちの娘で人形のようにキレイな万里子と比較するには、お卯野は田舎ものの貧乏人のみなしごで、野性的な美しさ、ということにしないと、話がなんだかよくわからなくなってしまうんだろうなと、大人の事情を察することができる。

しかし、あらかじめ持っているものが少なかったお卯野は、だからこそ結果的には自分の夢をかなえ、初恋をかなえることができるのだ。これで読者は、万里子を利用して「金持ちで美人でも、恋愛に苦しんだりするのよね」と安心し、お卯野を利用して「田舎者で貧乏人でも、頑張って勉強したりおしゃれをすれば、海外に行って垢抜けて、イケメンと結婚できるのね」と、夢を持つことができる。あらゆる面で、非常にバランスの取れた作品なのである。

そして、非常に示唆的であるのだが、この話の男たちは、将来くっつく女を捨て身で、しかもマリオのように何度も助けている。竜助は、万里子を2度ほど危機から救った。最初は、万里子が船のマストに登ろうとして、途中でやっぱ登るのも降りるのもダメ~と困っていたとき。2度目は万里子が海で溺れたとき。嵐の海に飛び込み、救い出して人気のない漁師小屋で看病をしてくれる。『花より男子』でも見られた、少女漫画によくある「密室看病パターン」である。このときの万里子のうわ言に、竜助が心を打たれて愛を深めるので、この作品随一の萌えシーンである。

一方で森太郎さまは、これまた海で溺れたお卯野を助け、赤もがさ("はしか"の旧名)で苦しむお卯野を疲労でフラッフラになりながら看病する。困ったときに、捨て身で自分を助けてくれるのだから、そりゃ女も満足、偉そうになさっても文句は言わないだろう。

「そりゃ少女漫画の女は、いい思いできていいね」などとひがんではいけない。万里子は竜助を助けるために日本刀でザックリ斬られているし、お卯野は赤もがさが大発生した森太郎の病院を命がけで支えた。お互いがガッチリと支え合って成り立っている関係なのだ。お卯野は言う。「私と森太郎さまは、本当にいろいろなことがあって、もうダメだと思うこともあったけれど、その度に助け合って、支え合ってきた。これからもどちらが困っても、必ず助け合えるだろうと思う」と。

相手のために、どれだけのことができるか、というのが愛情だとすると、切ったり貼ったり溺れたり、「そこまでできる」相手と巡り会うのは、なかなか難しいことだなあと思うのである。

まあとにかく、『ヨコハマ物語』は、よいお話であるという話。
<『ヨコハマ物語』編 FIN>