言葉というのは、なんのために発するか。自分の意志を伝えるためである。先日、男友達に「私は恋人がいるときは、ほかの男とは遊ばない。合コンなんかもってのほかだ」と言ったら、「嘘だ」と両断されてしまった。つまり「ちゃらちゃら遊んでるくせに、一途なフリなんかするな」と言われたわけだが、何がうれしくてわざわざそんな嘘をつくのか。ていうか、お前に一途なフリをするということは、「俺に気があるだろう」って言ってるのか? 勘弁してくれ。

そのほか、例えば恋人や結婚相手として、「土日が休日」とか「家が近く」といった条件を上位に挙げる人がいるようだが、それは本当にパートナーとして本質的に必要なことなのか。休日が異なること、家が遠いことで起こるすれ違いは、本当にそれが根本的な理由なのだろうか。

上記のような話を踏まえると、いかに「相手を理解しようと努力する」「言葉を尽くして自分を知ってもらう」「話し合いをする」ということが、人間関係において行われていないか、または軽視されているかが伺える気がしてならない。

さて、少女漫画の男子が女子をお誘いするときには、大抵「溜まってるからじゃないんです」という理由が与えられる。その戦法に乗っ取り、戦災孤児でいっぱい苦労したシ=オンは、モク=レンをお誘いする時にも、ごっつ言い訳をしている。

シ=オンやモク=レンを含めた、とある遠い星からやってきた宇宙人たちは、全部で6人。彼らは月に基地を作って、地球を監視している。ところがそこでトラブルが発生し、6人が大げんか、シ=オンは一人監禁される。その仲を取り持とうとするモク=レンに、シ=オンは「君が好きだ。君の言うとおりにしてもいい。但し、君の純血と引き替えだ」と言う。

「好きだから言うとおりにする」と「言うとおりにするからやらせろ」と「好きだからやらせろ」が、微妙にかみ合っていなくて、モク=レンも「意味がわからない」などと悩んでいる。なんでこんなことになってるかというと、シ=オンは、「サラブレッドで幸せそうなモク=レンを汚してやりたい」「ギョク=ラン(モク=レンに惚れているシ=オンの幼なじみ)に意地悪してやりたい」などと言いながら、実は単にモク=レンが好きなだけなのだ。それを隠して、無理矢理言いがかりをつけようとするから、こういうことになる。

しかし、もともとシ=オンを好きだったモク=レンは覚悟を決めてやってくる。ここでシ=オンは黙って目的を遂行すればいいものを、ストーリーを盛り上げるために、あれこれいらんことを言って(前回のイラスト参照)、ドッキドキの初行為を台無しにしてしまうのだ。

そしてそれが、後々までずっしりと尾を引く。モク=レンは、「シ=オンは、私を好きでしたんじゃないのよ」と悩み、シ=オンは、「俺の卑劣な行為を許してくれた聖女のようなモク=レン(ホントはギョク=ランを好きなのに)」と思い込む。話がこじれなければ、これは単に「両思いの男女がいたした」というだけの話なのだが。

その後、2人はとてもよい雰囲気で暮らしていたようなのだが、この誤解はとうとう漫画の最後まで解けることがない。いったい何をしてるのやら。胸の奥でモヤモヤしているのなら、なぜそこを真っすぐに向き合って相手と話し合わないのだ。相手の言葉をひとつひとつ吟味して、勝手な解釈をせず、「それはこういう意味?」「どうしてそう思うの?」と深く入り込んでいったり、「用意した」台詞を述べるなどという上っ面をせず(大問題に発展した初行為の後、モク=レンは恋人に言おうと決めていた台詞をシ=オンにつらつら読んで、また誤解を生んでいる)、つたなくてもいいから、自分の言葉を使わないのか。聞くほうも「嘘だ」とか言わないで真摯に耳を傾けろ。

結果、両思いのカップルの小さな誤解が、地球規模の大事件に発展したのが、『ぼくの地球を守って』なのである。エコだのピースだのと大きなことを言う前に、周りの人間としっかり意思疎通を図ることが、地球を守る第一歩なのだ! いや、結構マジで。
<『ぼくの地球を守って』編 FIN>