草木も眠る丑三つ時……とある箱から漏れ聞こえる、忍び泣き。
「うぅ……ぐず……じゅるる……」
若くはない女の、鼻水混じりのうめき泣きが、深夜の漫画喫茶に響き渡った……。ブースの中には、『はいからさんが通る』を読んで、顔中水分でいっぱいにした三十路の女……。

前半、バカスカと笑わせてくれた『はいからさんが通る』だが、後半は涙、涙である。何だよ、子どもの頃大嫌いだったラリサも大人になってよく読んでみれば、実はいい奴じゃないか!……というような、ストーリーの秀逸さは置いておいて、とりあえず少尉について。

ああ人生の酸いも甘いも噛み分けた三十路バツイチでも、少尉とは結婚したい……。世の男性たちよ、『はいからさんが通る』を読んで、ぜひとも少尉の真似っこをしてほしい。

少尉がどれだけステキかというと、その例は枚挙にいとまがありません。ちょこっと登場しては、いい男っぷりを知らしめして去っていくといったノリである。まず、花嫁修業として、慣れないお公家屋敷(少尉んち)にやってきた紅緒のために少尉は、「寝付けないといけないから」と、本を貸してくれる。その内容は、カント、ヘーゲル、弁証法……なんじゃそりゃ。わからん→眠くなる。という算段のようである。

そもそも、「慣れない家で寝付けないでしょう」なんて言って、お夜食まで持ってきてくれる気遣いができる男は、滅多にいません。だって少尉にとっては自分ちだよ。自分には不都合がないんだから、相手が苦労していることなんて気付かない馬鹿チンだって、今の日本にはわんさかいまっせ。しかもそこへ持ってくるのが、子守歌や睡眠薬といった直球ではなく、難解な本ときた。ユーモアにあふれてるじゃないですか。

そして、ぶっちゃけ紅緒のせいで少尉は、地方に飛ばされたあげくに満州へ送られてしまう。にもかかわらず、少尉はひと言も紅緒を責めず、おだやかに愛情タップリに去っていくのだ。ナマの現代男だったら「お前のせいだ」くらい言いそうなものですが(私はいったい男でどんな苦労をしてるんだか……)。

その後、少女漫画ではすっかりおなじみ、少尉が記憶喪失→紅緒のことはすっかり忘れて命の恩人の女(ラリサ)とくっつくという展開になるのだが、そんなベタな展開もまったく気になりません。記憶が戻り、紅緒への愛情を思い出した後もラリサへの義理を忘れず(ここであっさり女を捨てたら、株下がりまくりです)、紅緒の危機には命を捨てそうな勢いで助けに向かう。イケメンのくせに紅緒の気持ちを測りかねて心を痛めたりしている。

あぁ少尉……。気が利いて、ユーモアにあふれて、決して怒らず、いつも静かに見守っている……。北に女が危険に遭えば行って解決してやり、南に結核の女あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、三角関係の時はおろおろ歩き……なんでか途中から宮沢賢治になっちゃったけど、はぁ~、完璧ですよ!
<『はいからさんが通る』編 FIN>