驚異の空間「無響室」

TOAの担当氏が案内してくれたのは「無響室」。その名の通り、残響がほとんど発生しないように設計された部屋である。

これが、国内最大級を誇るTOAの無響室。天井・壁はもちろん、床までもが吸音構造になっている。長身の担当氏と比べると、その広さがわかることだろう。映画「CUBE」を思い出させるサイバーな空間は、ミュージックビデオに使われたこともある

その基本的な仕組みは、上下前後左右すべてを吸音素材にするという単純なもの。とはいえ、完全に吸音させるというのは非常に難しい。どんな素材でも、少しは音を反射するからだ。

そこで無響室の壁は、細い楔(くさび)形のブロックが無数に壁から突き出たような形状になっている。このブロック自体、音を非常によく吸収する素材(グラスウール)なのだが、微妙に角度をつけた楔形になっているために、吸収しきれず反射した音も、ブロックとブロックの間で何度も反射しながら、どんどんブロック間の谷間に入り込んでいく。音は反射するたびに小さくなるから、何度も反射していくうちに谷間の奥で消えてしまうというわけである。

すごいのは、床面までもが天井や壁と同じ構造になっているということ。もちろんその上を直接歩くことはできないので、目の粗い格子の上を歩くことになる。足元に目をやると、はるか下方に吸音素材の床が広がっており、高いところの苦手な人なら足がすくむほどだ。

無響室に足を踏み入れると、背後で分厚い扉が閉じられた。もちろん扉も、内側は吸音構造になっている。

すぐに、息苦しいほどの異様な雰囲気に圧倒された。静かなのだが、ただの静けさではない。しゃべってみたり、何かを叩いてみたりしても、それらの音はまったく響かない。

試しに目を閉じてみると、異様な感覚はさらに極端になった。それまでは、目で周囲の壁の存在を感じ取ることができていた。しかし目を閉じると、周囲に何もないような、あたかも空中に固定されているような感覚になるのだ。

周囲の物体の存在というものは、目だけで感じているものだと思っていた。しかし実際には、「音の反射」によっても感じてもいたようだ。

(試しに手近な場所で、目をつぶったまま頭を近くの壁にゆっくり近づけてみてほしい。空調などの音が壁から反射してくる度合いが変化するため、目をつぶっていても壁の存在を感じるはずだ。)

その音の反射がまったくなくなってしまったため、目をつぶるとまるで空中にいるような感覚になったのである。「残響がない」ということが、これほど異様なものだとは思わなかった。

いよいよ「無響室」でクラッカーを鳴らす

さて、さんざんお待たせしたが、いよいよクラッカーの「本当の音」を聞いてみよう。TOAの担当氏がクラッカーをかまえ、ゆっくりとヒモを引いた。

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「パッ」(クラッカーの音である)

終わり。「!」マークを付ける気にもなれない。口で「パッ」って言ったような、無味乾燥な破裂音(このクラッカー君には悪いが、はっきりいってムダ死にである。お祝いムードも台無しだ)。

これが、クラッカーの「本当の音」なのだ。参考までに、「普通のクラッカーの音」も聞いてみよう。

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屋外でのクラッカー。天井や壁がないので屋内よりはずっと残響が少ないはずだが、それでも派手に鳴ってくれる(よりによって、背後にちょうどバイクが通ってしまっていた。申し訳ない)。

クラッカーの「パァーン!」という音のうち、「本当の音」は「パ」だけで、残りの「ァーン!」はクラッカーの音ではなく、周囲の環境が作り出した残響音だったのである。

ここではクラッカーを使ったが、このことは他のすべての音についても当てはまる。話し声、歩く音、物を落としたときの音、周囲の喧騒、すべては「本当の音」に「残響」が加わっている。我々が普段聞いている音は、「環境が作り出した音」だったのである。

クラッカー冥利に尽きる「残響室」

さて、音の研究なら任せとけ! のTOAには、「無響室」だけではなく「残響室」もある。これは無響室とは真逆に、残響が長時間残る部屋のことだ。要するに、「風呂場のすごいやつ」だと思えばいい。もちろん風呂場よりもはるかに長く残響が残るし、室内にまんべんなく残響が回ったり、低音から高音までが残響する構造になっていたりと、ただの「風呂場」とは一線を画す設計がなされている(当たり前だ)。

残響室。殺風景な室内にポップ感を演出するため、色とりどりのアクリル板が飾られている……わけではもちろんなく、音を拡散させるための設計である。向かい合う壁(天井と床も)は、どれも平行にならないように作られている。それも、ふたつの平行な面の間で音が多重に反射して起きる現象(いわゆる鳴き竜)を防ぐためだ

残響室に入ると、先ほどの無響室とは正反対の、華やかな雰囲気。垂れ下がっているアクリル板などのせいもあるが、音がよく響くので、普通に動き、話しているだけでもにぎやかになるのである。

とはいえ、残響室もまた、居心地がいいとはいえない。なにしろ音が聞きづらい。しゃべっていても、「元の声」と「反響した声」が激しくいりまじってしまうのである。

さて、この残響室でもクラッカーを鳴らしてみよう。だいたい予想はできているが……。3・2・1・Go!

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予想以上だった。クラッカーの音は、残響が長くなるだけでまったく異次元の音に変わるものらしい(クラッカーのほうでも「クラッカーに生まれてきて良かったぁ!」と感じたことだろう)。

「残響」を意識してみよう

我々が聞いている音というのは、「残響」の有無でこれほどまでに違いが出てしまうものなのだ。そして、普段聞いている音には必ず「残響」が付きまとうと考えていい。音が聞こえてきたら、この音はどこまでが「本物の音」で、どれが「残響」なのだろうかと考えてみるのもいいだろう。

とはいえ、「残響室」は風呂場などがあるとしても、「無響室」はそうそうアチコチにあるものではない。TOAのエンジニアがこっそり教えてくれた情報によると、「新雪の雪原」は非常に残響の少ない環境だそうだ。これからの季節、雪国に向かうことがあれば、ぜひポケットにクラッカーをしのばせていってもらいたい。

もしも私がクラッカーだったなら

それにしても、無響室で聞いたクラッカーの音は哀しかった。反面、残響室で聞いたクラッカーの豪華絢爛なこと。しかしクラッカーにしてみれば、どちらのほうが幸せなんだろうか。

一見、残響室のクラッカーのほうが幸せに思えるかもしれないが、聞かせたのは「自分の本当の音」じゃない。一方、無響室のクラッカーは、たしかに地味ではあるが彼の本当の音だけを聞かせて散っていったわけだ。

自分ならどっちがいいかな。やっぱり普通の部屋で、誰かの誕生日に鳴らしてもらうのが一番よさそうだ。

取材協力:TOA株式会社

1934年創業、業務用音響機器と映像機器の専門メーカー。業務用音響機器とは、駅の案内放送、校内放送やホール音響など、公共空間で使用される拡声放送機器、業務用映像機器とは、防犯カメラやデジタル録画装置などのセキュリティ用途の商品を指す。1954年、「電気メガホン」を世界初開発、選挙用のマイク装置で事業の基礎を築く。現在では、音の入り口のマイクロホンから、音の出口のスピーカーまでのシステムを取りそろえ、あらゆる公共空間で事業活動を行なう。企業哲学は「機器ではなく音を買っていただく」。企業サイトはこちら