目が覚めたら、そこはミンスク

さて、前回の続きから。ようやく、2人のロシア人に先にベッドに入ってもらい、ちょっと安心。寝台の切符ではもともと中段だったのだが、「お前は下段でいい」と巨漢のロシア人に言われて、2等寝台3段ベッドの下段に、上着とコートを着たままもぐりこんだ。上段と中段とでしゃべりたいために下段をゆずってくれたのだろうが、中段より下段のほうが気分的に楽だ。1時間もたたないうちに、すなわちモスクワ時間で日が変わる頃、ベッドの上から鼾の2重奏が聞こえてきた。

少し安心して、携帯してきたビールをひと口、ふた口と含んで、喉を潤させた。0時を10分ほどすぎた頃、スモレンスク州のヴャジマに到着。そして、そのまま深い眠りに落ちてしまった。

窓から少しライトがあたったためか、目が覚めた。窓から外を見やると、青い客車が停まっている。どうやら駅に停まっているようだ。客車の上では、駅の名前が黄色く光っている。

「……バクザール……ミンスク……」

え! いつの間にかベラルーシの首都に着いていた。時計を見ると、モスクワ時間で7時5分前ぐらい。まだ暗い。冬のロシアは8時を過ぎても明るくならないのだ。いやはや、6時間半もぐっすり寝てしまったのか。あわてて、パスポートと複数に分けて身につけている財布をチェック。すべてある。一安心だ。靴もあった。

ベラルーシ時間はモスクワ時間より1時間遅い。ということは、現地時間(ベラルーシ時間)で5時55分ぐらいか。明るくなるまで時間がある。まだ体を横たえておこう。列車は現地時間6時25分に暗闇のミンスク駅を出発した。

ミンスク駅。テーブルの上にのっているガラスコップが光っている

ブレストで台車を替えて国境越え

9時を回ると、ようやく地平線から日が現れて明るくなってくる。上段、中段のロシア人も降りてきた。そこで中段のベッドをたたみ、毛布を上段に上げて座席をつくった。ロシア人たちは車掌にお茶をもらっていたので、私も車掌にお茶をもらいにいって温まる。日本の列車とは異なり、車掌は各客車付き。私の乗った6号車には、男性と女性の計2人が乗っていた。

国境の都市ブレストに近づくにつれて、車内はなぜか緊張の空気が漂ってくる。ロシア人たちは、車掌から税関申告書を手に入れて書いている。私も入手する(結局は使わなかったが)。しかし、ロシア語のみの文書でわからない。モスクワで、「地球の歩き方」を忘れてきてしまったので、書き方が全くわからない……。

ブレストに到着したのは10時15分頃。まずはコントロール(国境検査官)が乗り込み、パスポートを持っていった。しばらくすると、お土産や飲み物売りの女性が乗り込み、乗客に声をかける。同室のロシア人は拒否している。

あれれ、車体が空中に浮いている

ブレストの構内には色々な台車が。そして列車は、「台車交換所」に向かう。実はロシアの車輪の幅(広軌: 1,520mm)とヨーロッパの車輪の幅(標準軌: 1,435mm)は異なる。そのためロシアからヨーロッパに、あるいはヨーロッパからロシアに行く列車は、台車交換所に入り、1両ずつ連結をとかれてジャッキで車体をもちあげられ、台車交換がなされるのだ。

台車交換所に着いて通路側の窓から外をみると、列車の車体がジャッキで上げられている! ロシア人が手招きするので「なに? なに??」と行くと……。隣の客車との連結がとかれているではないか! 一両ずつ連結をとかれた客車はジャッキで固定され、台車をはずされる。そして、ジャッキで持ち上げられたのち、複数の車両の台車を一気に引き出していく。ヨーロッパで使われている標準軌の台車が入ってくるので、ジャッキで慎重に車両を下げて台車を取り付けていくのだ。

隣のコンパートメントにいた別のロシア人男性も、この模様がめずらしいようでニコン製のデジタル一眼レフカメラを取り出して、ぱちりぱちりと撮り始めた。同室の奥さんは、「そんなに撮ってどうするの」って顔をしている。ま、男なんてそんなもんだ。

ジャッキで車体を持ち上げる。右のワイヤーで台車を引き出していく

EU諸国への税関検査はけっこう真剣

再び台車は連結され、ブレスト駅に戻る。ここで、乗客が乗り込んでくる。コントロールが戻ってきて、厳しい審査が始まる。私の場合は意外にも同室のロシア人たちが手助けをしてくれ、無事にパスポートは戻ってきた。そして国境の町、ブレスト駅を13時3分に出発。列車はゆっくりと進み、ポーランドのテレスポル駅に12時18分(ベラルーシ時間13時18分)に着く。

ブレスト駅。スターリン形式っぽい

コントロールが入ってきた。パスポートを読み取る機械がうまく作動しない。どうやら、パスポートを読み取って、そのデータをインターネットで送信しているようだ。3分ぐらい奮闘していたが、ようやく接続がうまくいって、入国のスタンプをもらう。スタンプには列車のアイコンが描かれていて、ちょっとうれしい。コントロールの中に20歳ぐらいの娘さんを見かけた。帽子をかぶり、きりりとしている。

コントロールのチェックが終わると、次は通関。ここで、かばんを開けろと命令される。2台のカメラを持っていたのが気になるか、早口のロシア語とポーランド語でなにか話されたのだが、さっぱりわからない。すると、同室のロシア人が、「彼は日本人でコンピュータ関連の仕事をしていて、別に怪しくないよ」とロシア語でかばってくれた。いいヤツだ……。12時57分(ベラルーシ時間13時57分)、列車はテレスポル駅を出発した。こうして、国境地帯を通過するのに約3時間40分もかかったのだ。

国境の川には氷の塊が浮いている

テレスポル駅に到着する

同室のロシア人は、意外にいいヤツだった

同室のロシア人2人。20時間以上、同じコンパートメントにいるわけで、なんとなく、お互いに会話をしたくなるときも出てくる。カタコトのドイツ語とロシア単語で意思疎通をすると、1人は10年間カザフスタンで働いていたということがわかった。娘さんが1人いて、「イタリア語が話せるんだ」とプチ自慢している。私が指差し会話帳を取り出すと、彼は喜ぶ。「日本語では『わたしは日本語が話せます』『わたしはベルリンに行きます』ってどういうのか」と聞いて、持っていた新聞紙に日本語の発音をボールペンで書きこんでいく。「娘に自慢できるよ」と巨体をゆらしながら、笑っていた。もう1人は私に地図を見せ、フランスに近いとあるドイツの町を指し、「ここが故郷なんだ」と教えてくれた。ベルリンからその故郷に帰るのだろうか。

トイレから戻ると、まだ終着駅ワルシャワに着かないのに、Siedlceという駅の手前で彼ら2人は荷物をまとめており、降りる準備をしている様子。ワルシャワにはまだ遠いのに、変だなと思ったが、「ここでさよならだ」という彼ら2人と私は固い握手を交わした。しかし、Siedlce駅のプラットフォームには、彼ら2人の姿はどこにもなかった。どこに消えたのだろうか。

そのときの私はといえば、後にワルシャワでトラブルに遭うことになるとは、想像もしていなかったのである(次回へつづく)。