『気まぐれ美術館』と横浜駅跨線橋

先日、洲之内徹の『気まぐれ美術館』をパラパラとめくっていたら、昭和初期の画家・松本竣介が描いた風景の現場についてのくだりがあった。その中で、横浜駅近くの金港橋から描かれた「Y市の橋」や「運河風景」について、さらに絵の中に描かれた人間に見える形や十字架についての解説がされていた。私は本の中の図版を見て、思わず声をあげた。松本竣介の「Y市の橋」(モデルは月見橋)の中に描かれている背の高い鉄骨は、今もなお残っている横浜駅の跨線橋だったからだ。

私はこの跨線橋を何度も渡っている。跨線橋は横浜駅の東京寄りにあり、京浜急行とJR線を一度に跨ぐ。昔は北側に東急東横線の地上線が走っていたが、ここは跨がない。JR(旧国鉄)の線路と東横線の線路の間には、昭和50年代まで国鉄の工場があり、それが「絵の中の、橋の右後方に見える倉庫風の建物」というわけである。

東横線は今は地下にもぐってしまったが、線路の跡はまだ残っている。そして、新田間川を跨ぐ橋のトラスの一部が切断されて、今もなおその姿を跨線橋からはっきりと見ることができる。松本竣介が描いた時代と異なり、青く塗られた跨線橋から、あるときは崎陽軒の「復刻版シウマイ弁当」をつまみながら通過する列車を眺め、あるときはカメラ片手に遠く九州に行く寝台特急を見送ったものだった。

※「Y市の橋」は複数ある。
Y市の橋」1942(昭和17)年・松本竣介(岩手県立美術館蔵)
Y市の橋」1943(昭和18)年・松本竣介(東京国立近代美術館蔵)

「Y市の橋」における画家・松本竣介の目線で、今の「Y市の橋」を見てみた。奥の橋が「Y市の橋」の月見橋である

「Y市の橋」にも描かれた跨線橋。橋自体は鉄骨のトラスになっており、防護フェンスがない部分が多いので、高所恐怖症の人には怖いだろう

跨線橋の西口側階段(右)と旧東横線のトラス橋の残骸

跨線橋から、寝台特急「富士・はやぶさ」を眺める

猫が案内する東横線廃線案内

猫が東横線の廃線跡を案内してくれる

横浜 - 高島町 - 桜木町間の東横線は2004年1月30日に廃止されたが、横浜駅周辺にはいまだ廃線跡がいくつも残っている。今回はそこを訪れてみよう。さすがに廃止から4年半あまりを過ぎると、横浜駅を跨ぐ高架は撤去されているが、先ほどの跨線橋と反対側、保土ヶ谷寄りの東海道線のホームから桜木町方面を見やると、まだ旧東横線の高架が残っている。

横浜駅東口、横浜中央郵便局の左脇の道を西に向かって進み、横浜年金相談センターが入っているビルを右手に曲がると、京浜急行の踏切「横浜第一踏切」が見える。このあたりは、様々な線路が入り組んでおり、複雑怪奇な場所である。その踏切をわたると京浜東北線の高架橋があり、そこを過ぎると旧東横線の高架橋がある。すでに、高架橋には、線路も枕木も道床もない。ただ鉄骨部分だけが残っており、下から見上げると空がすこーんと抜けて気持ちがいい。高架の残骸は横浜駅近くまで続いており、その断面は前述の通り、東海道線のホームから眺めることができる。

日中だけではなく夜にも何度かここを訪れているが、夜は白い野良猫がすり寄ってくる。ややブサイクな顔をしているが、妙に人懐っこい。日が出ているときには会ったことがないので、夜行性なのかもしれない。10月中旬に日が落ちてから行ったところ、猫は元気にしていた。ちょこちょこ動いて、廃線跡をバックにポーズをとってくれた。

鉄骨部分だけがある高架橋。昼見ると青空がまぶしい

旧東横線の橋には穴があいている

穴だらけの旧東横線の高架橋

再び踏切をわたってもとの道を保土ヶ谷方面に進む。少し行くと、青緑に新しく塗られた京浜東北線の鉄橋が見えてくる。「第1高島架道橋」である。高島という名前は横浜駅周辺の町名で、元々は幕末の実業家・易者であった高島嘉右衛門からとられたものである。東京 - 横浜(現在の桜木町)間の鉄道にも関係し、経路短縮のために横浜港の埋め立てを行った。そのためこのあたりは「高島町」になったわけなのだ。

話を戻して……、第1高島架道橋の隣にあるのが旧東横線の高架橋。銀色なのは以前のままだが、よく見ると朽ち始めて穴が所々に空いている。その橋を右手に曲がると、また京浜急行線の踏切があり、その先は駐車場になっている。旧東横線の高架はこの踏切脇で京浜急行線をまたいでいる。

駐車場脇には旧東横線の高架が続く

旧東横線の高架は、先の「横浜第一踏切」付近から京浜東北線の高架に沿うようにして高島町・桜木町へと続いていく。第1高島架道橋のすぐ脇の橋が「浅山橋」で、ここから高島町近くまで、東京電力の広い駐車場脇を通っていくとしよう。

いまだコンクリートの高架は残っているが、遠目から見ても大分いたんでいるように見える。浅山橋から石崎川沿いに歩いていき東京電力の駐車場の端を左に曲がると、高架の状態がよくわかる。右手を見ると、高架の下に階段の残骸があるのがはっきりと見える。これが、旧高島町駅の横浜側の階段である。まだまだコンクリートの高架は桜木町駅まで続いていく。次回は、旧高島町駅から旧桜木町駅の話をしてみたいと思う。

近代的なビルの下、崩れかけた旧東横線の高架が

崩れていく高架の有様。シュールな美しさを感じる。すると、「あの人、カメラマンかな? 」という子どもの声。別に危険人物ではありませんよ! 私有地には入っていませんよ!!

あれは、駅の階段なのだろうか!? 不思議発見です