池袋にいた黒猫

今回は近場のお話。横浜生まれの私にとって、新宿や池袋は遠かった。というのは、昔は横須賀線も川崎を経由していたし、新宿に行くには東急東横線で渋谷に出て、山手線で行かなければならなかったからだ。現在では、貨物線を利用した湘南新宿ラインができたおかげで、横浜から新宿、池袋も近くなった。新宿、池袋に触れつつ、横浜にある廃駅のお話もしていこう。

それにしても池袋駅は鉄ちゃんにとって興味深い。池袋北口を出て線路沿いを歩いて、跨線橋を登る。そこから、山手線がいったん他の線路をくぐり大塚方面に右折していく様、逆に上っていく埼京線や、池袋に到着する東武線の模様など、ずっと見ていても飽きない。そして、池袋北口はビルが歯抜け状態で建っている街なかを、気難しそうな黒猫が歩いていたりもする。

池袋の込み入った線路群。山手線の電車が線路の下をくぐっていく

池袋と新宿は、湘南新宿ラインでひと駅。新宿は西へ広がる駅である。夜11時すぎ、5番線から出る「ムーンライトえちご」を見るといい。廃止前の急行「アルプス」を思い起こさせるほど、週末や夏休みは賑わう。485系の車両も、昔の信越線の「あさま」のようで懐かしい。出発前には人が集まって記念撮影しているのもなんだか嬉しくなる。

新宿駅発車間近の快速「ムーンライトえちご」

湘南新宿ラインに乗っていくと、大崎駅と西大井駅との間は大きく蛇行している。そのため、東京総合車両センターの脇を通る形になり、昔の車両を見ることができる。チョコレート色の電車などが、ちょこっといたりする。

湘南新宿ラインで、新宿・池袋と横浜が近くなった

横浜駅近くのあかずの踏切はなくなったが、猫がいた

今度は横浜駅の話。西口を出て左折してどんどん歩く。5番街を通り、東急ハンズの横を通っていくと、岡野町の交差点に行き着く。そして再度左折し、陸橋の平沼橋を上らずに右脇の路地を歩いていくと、相模鉄道(以下、相鉄線)、東海道線の線路にたどり着く。

ここには2004年10月まで、「横浜1号踏切」と呼ばれるあかずの踏切があった。何しろ相鉄線、東海道線、横須賀線をまたぐのだから、ひどい時には1時間のうち59分ぐらい遮断機が降りているほどだった。踏切フェチの私は、ここで電車を見ながらボーッと時間をつぶすこともよくあった。

在りし日の横浜1号踏切。開いている時間が短いので、渡る人の顔つきも忙しい(撮影: 2002年頃)

奥にうつっているのが相鉄線平沼橋駅(撮影: 2002年頃)

動画
遮断機が上がった途端に警報がなって、遮断機が下がる。これが本当のあかずの踏切(撮影: 2002年頃)

今度はエレベーターで平沼橋の上にあがり、線路を渡ってから再び下りると、平沼商店街が広がる。踏切はなくなったが、踏切注意の交通標識がまだ残る。踏切近くでは猫がのんびりと歩いていたりと、横浜駅の喧噪が嘘のようなのんびりとした光景である。

踏切はなくなったけど、踏切注意の標識は残る。平沼の猫は何も気にせずに、のんびりと歩く

京浜急行電鉄旧平沼駅の廃墟を見て終戦をおもう

平沼商店街を線路を反対方向に歩いていくと、京浜急行電鉄(以下、京急)の高架と交わる。そこで右手のほうを見ると、コンクリートの建物が。これが旧京急平沼駅の残骸である。太平洋戦争真っ只中の1943年、駅の統廃合がなされ、この駅も開業からわずか12年で休業(翌1944年には廃止)に追い込まれている。

実はこの駅、1945年5月29日の横浜大空襲で焼け落ちて駅のドームも鉄骨だけになってしまった。戦後、横浜市長が京浜急行に働きかけ、戦争の悲惨さを語る建物として保存されたといわれている。子どものころ読んだ『暮らしの手帖』も紹介されていた。この鉄骨は50年以上にもわたって保存されており、平沼商店街を通るたびに私はじーっとこの駅を見ていた記憶がある。

京浜急行電鉄旧平沼駅

旧平沼駅の崩れ落ちそうな階段と、鉄骨の切った跡がわかる

焼け落ちた鉄骨が取り除かれたのは1999年のこと。老朽化が激しかったためだろう。しかし、大きく報道されたこともなく、話題にもならなかったようだ。このころから時代の潮目が変わりはじめたのかもしれない。『鉄道廃線跡を歩く 2』(宮脇俊三著・日本交通公社)の56ページには鉄骨があった時代の京急平沼駅の様子がカラー写真で紹介されている。現在、鉄骨はなくなったものの、廃駅はまだある。横浜に行ったらぜひ京急に乗って、見てほしい。

動画
かぶりついて見ると、廃駅の模様がわかる(撮影: 2007年)