本連載の第68回で「正規軍と違って、自前の通信インフラを用意できない反政府組織やテロ組織は、既存の通信インフラに頼らざるを得ない」という話を書いた。ということは、国家権力の側がそうしたテロ組織や反政府組織の尻尾を掴もうとする場面では、対象が利用しそうな通信インフラを追うことになるのは当然である。

通信インフラによる追跡が成立する条件

テロ組織や反政府組織の特徴は、「一般市民の海」の中に埋没することで存在を目立たなくしている点にある。

これが正規軍や警察であれば、自前のインフラを用意して、制服を着た人間を配置するのが通例だから、外から見れば一目で区別がつく(ときどき例外もあるが)。ところが、テロ組織や反政府組織のメンバーには制服はないし、民家などをそのまま利用するのが常だから、傍から見ると一般市民との区別がつかない。

たとえばの話、「乳母車に子供を乗せて移動している母親」に見えたものが、いきなりその「乳母車」の中から爆弾や対戦車ロケットを取り出して攻撃を仕掛けてくる、なんていうことも起こり得る。

それはともかく、「一般市民の海」の中に埋没しているテロ組織や反政府組織のメンバーをどうやっていぶりだして追跡するか。そこで、「組織」を動かす上では不可欠な手段である「通信」が関わってくる。

たとえば、通信内容を傍受できれば組織の動向を把握する役に立つし、誰と誰が通信を行っているかを把握できれば指揮系統や組織構成に関する情報を得る役に立つ。だから、(日本でもそうだが)「テロ対策として通信傍受が必要」とかいう類の主張が出てくる。

もちろん、それに対しては人権やプライバシーの問題、あるいは通信傍受を濫用する危険性という問題といった話が関わってくるのだが、技術的な話からは外れるので、本稿では言及しない。

相手が分からなければ追跡できない

実は、通信傍受による追跡を実現するには、厄介な前提条件がある。傍受するには、まず「一般市民の海」の中から、傍受すべき対象を拾い出さなければならない。それができて初めて、傍受が成立する。電話の傍受なら電話番号、電子メールの傍受ならメールアドレスやメールサーバに関する情報が必要だ。

もちろん、対象を絞り込まないで、手当たり次第に通信を傍受・収集しておいて、その中から特定のキーワードにひっかかるトラフィックを拾い出す手法も考えられる。ところが、この方法ではノイズが多すぎて収拾がつかなくなる可能性が高い。

たとえば、何か既知のテロ組織の名前をキーワードに指定して、収集しておいたインターネット上のトラフィックから抽出をかける場面を考えてみる。

あいにく、テロ組織の名前は当事者だけが使うものではない。報道でも個人間のやりとりでも出現する可能性はある。実際、「アルカイダ」というキーワードは筆者のWebサイトでも頻出するが、だからといって筆者がアルカイダのメンバーだという話にはならない(お断りしておくが、メンバーでもなければメンバーの知り合いもいない。本当だ)。

それに、キーワード抽出される可能性が高いと分かっていれば、本当に悪い奴らはその手のキーワードの使用を避けて、別の言葉に言い換えると考えるのが常識的判断というものだ。

だから、「とりあえず無差別収集しておいて、そこからキーワードで抽出する」という方法は、まったく無駄とまではいわないにしても、効率は悪い。それを効率的に実現しようとしてさまざまな研究開発がなされているであろうことは容易に想像できるが、あまり簡単な話ではないだろう。

まず対象と紐付ける

となると、通信傍受以前の段階で何か別の情報源を活用して、対象と紐付けられるような「何か」を知る必要がある。通信の世界では、特定個人にたどり着く手がかりになるような情報がいくつかあるから、それを使える。

たとえば、固定電話であれば決まった場所に電話線という固定インフラを設置して、そこに電話番号という識別手段を割り当てている。だから、「どこそこに住んでいる電話番号○○の誰某」という形で紐付けることができれば、その「誰某」が疑わしい、となったときの傍受・追跡は容易になる。

移動体通信でも、個々の端末に移動機番号が割り当てられているし、さらに電話番号やメールアドレスの割り当てもある。相手が移動しているといっても、どこかの基地局の電波を捕まえなければ通信できないのだから、発信や着信があれば、どの基地局の通信可能範囲内にいるか、というぐらいのことは分かる。

プリペイド式携帯電話の購入に際して本人確認などの手段が必要、という話が出てくるのは、本人確認を行えば、移動機番号や電話番号を特定個人と紐付けることができるからだ。裏を返せば、本人確認が甘いと、特定個人と紐付けられない通信手段ができることになる。

インターネットの利用であれば、パッと思いつくのはIPアドレスだが、特定個人に対して固定的にIPアドレスが割り当てられるわけではないし、しかも接続元をコロコロ変えることができる。不特定多数のユーザーが利用できる公衆無線LANサービスなんか使われたら、お手上げだ。

だから、IPアドレスの情報だけでは不十分で、接続に使用するインフラ(回線や端末機器)など、利用可能な限りの情報を集めて併用する必要があるだろう。

通信事業者の協力は不可欠

いずれにしても、特定個人の追跡やトラフィックの傍受に際しては通信インフラに「仕掛け」を施したり、通信インフラ、とりわけそこに接続するための回線や端末機器に関する情報を得たりする必要があるので、通信を利用した追跡に際しては、通信事業者の協力が不可欠となる。

もともと、通信は重要なインフラであるという観点から、通信事業というものは国営だったり、あるいは許認可や資本規制などといった形で国家が強く介入・干渉したりするのが常である。

そのことを考えると、国家が国民の動向を監視しようとする度合が高い国ほど、通信事業者と国家の関わりが深くなる傾向があると思われる。具体的にどこの国のこととはいわないが。

携帯電話の傍受であれば、無線通信傍受用の機材を搭載した飛行機を飛ばして電波を捕まえる、という手も考えられないわけではない。しかし、これとて「ターゲットとなる人物の端末機が発している電波はどれか」が分からなければ、話にならない。

それに、デジタル携帯電話の通信は、ただ傍受するだけではダメで、内容をデコードする手間がかかる。誰と誰が通信しているのかが分かればトラフィック分析はできるが、やはりそれだけでは弱い。決定的な証拠を掴むには通信内容の把握が不可欠だ。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。