格差社会・少子高齢化・不確実性の時代…など、不安をあおる言葉ばかりが飛び交っていますが、これからの時代は本当にマイナス面ばかりで、若い世代にとっての利点は全くないのでしょうか。また、時代に見合った資産形成はどうすればよいのでしょうか。この連載では、夫婦の財産はどう分配すればよいか、いわゆる「おひとりさま」の人生はどう備えていけば安心かなど、時代に応じた資産形成・サバイバル方法などについて考えていきます。


なぜ政府は不安だけをあおるのか?

資産形成には、前提となる人生設計が重要です。どのような人生を送りたいかによって貯蓄や投資の方法も異なります。さらに人生設計を立てる上で、社会の方向性を見極めることも大切です。格差社会・少子高齢化・不確実性の時代…など、不安をあおる言葉が氾濫していますが、これからの社会は見通しの暗い部分だけなのでしょうか。明るい見通しの部分はないのでしょうか。

人生設計や資産形成は有望な部分に目を向けて行う方が有利です。しかし世に出る情報は、どちらかというとマイナス面が強調されがちです。情報は疑ってみること、元データまで遡って分析することを常日頃から心がけていく習慣をつけましょう。日常的な諸現象から「どこかおかしい!」というような感覚を研ぎすませることも大切です。

例えば、少子化が問題視されていますが、それでは永遠に人口が増え続けるのがよいのでしょうか。経済が成長し続けるのが良いのでしょうか。経済成長は石油等の化石燃料が永遠に存在するという前提です。世界的に見れば人口増加による食糧問題が取りざたされ、経済成長に伴う地球環境の破壊も問題となっています。原子力に頼るとどうなるかは東日本大震災で経験済みです。

そもそも、日本列島に1億3,000万人は多すぎませんか。昭和の初めは6,000万人台だったことを考えれば、「生めよ! 増やせよ!」の政治的作為が問題だったのです。少子化を問題視するだけではなく、その枷が外れて自然に調整されていっていると考えた方が正しいと思います。人口が減少するのは事実です。高齢化も同時進行しています。しかし一時的ないびつさを問題視する前に、少子化の利点はないかの検証も必要です。例えば住居費の負担は明らかに少なくなるでしょう。

農林水産省が発表する日本の食糧自給率は40%です。これまた不安をあおるデータです。しかし日常的な感覚では違和感があります。私は原材料で外国産を購入することは限りなくゼロです。確かにパンや味噌、醤油といった小麦などの加工品は知らずに外国産を購入しているでしょう。外食は外国産素材の比率は高くなるでしょう。それでも40%には違和感があります。

最近、自給率のデータはカロリー換算で、生産額ベースで計算すると70%だということを知りました。また曲がったきゅうりや少々のキズの野菜は捨てられています。返品や消費期限間際のものも大量に捨てられています。高級で贅沢な果物は日本のお家芸です。耕作放棄地の存在なども合わせて考えれば、70%を100%にするのはさほど難しくない気がします。ではなぜ不安をあおるデータとするのでしょうか。

エネルギー問題も同様です。日本は資源が少ないといわれてきました。しかし未利用の資源が眠る排他的海洋水域の広さは世界第6位の面積です。現在ある全ての多目的ダムを水力発電にも利用し、必要に応じてダムの嵩上げをすれば、原子力発電所9基分に相当するそうです。ダムの専門家によるとそれはさほど難しくない技術だそうです。化石燃料が枯渇すれば、太陽エネルギーを利用した水力発電が可能な日本が圧倒的に有利だと思います。

アメリカでは相当な勢いでバイオエタノールの生産に注力していますが、日本と違ってとうもろこしを育てるアメリカの水源は化石地下水で、石油と同様使ってしまえばおしまいなのです。以前から小規模水力発電に興味があったのですが、なぜそれが活性化しないのか発電に詳しい知人に聞いて見ると、多分に電力会社と政府の思惑という意見でした。険しい山岳地帯が多く、台風や地震などの災害の集中地帯ですが、水力発電や再生可能な水資源には恵まれているのです。

日本列島の適正人口は? - 自然エネルギーとリサイクルのみで養える人口は3000万人

江戸時代以前の日本の人口は2,000万人もありませんでした。国内が統一されて安定したので、江戸時代に人口が急増し、約3,000万人になりました。しかし太平の時代が続いたにもかかわらず江戸時代の人口はほぼ一定の数値で推移しています。つまり自然エネルギーだけで生きられる人口は、江戸時代のようにかまどの灰まで再利用した徹底したリサイクル社会でも3,000万人が限度だということではないでしょうか。

しかし、明治維新とともに現代の1億3000万人弱まで直線的に急上昇します。大正時代5,000万人台、昭和一桁時代は6,000万人台、昭和10年代は7,000万人台、昭和20年代は8,000万人台(出典 「わが国の推計人口」-大正9年~平成12年 統計局)でした。厚生労働省の「日本の人口の推移」によると2060年には再び8,000万人台となるようです。生産年齢人口の比率が低くなる高齢化が問題ですが、実際は周囲を見回しても多くの65歳以上は働いていますので、現実的な統計値が欲しいところです。

縮小生活を楽しむ工夫 - 物質的な豊かさから精神的な豊かさへ

若い世代が、将来自分たちがもらえる年金が少なく、不公平感を抱くのであれば、単純に考えれば自分たちが子供をたくさん作ればすむ問題ではないかと聞いてみると、社会的不安や低成長時代に子供を生む不安があるという答えが返ってきます。しかし、歴史を広く振り返ってみると、先々を見通せた時代なんてほとんどありません。明治維新や終戦時を考えてみれば分かります。私の双方の祖父母は都会に拠点があったために戦争で財産を全て失いました。両親はゼロからのスタートだったのです。

実際に私が物心ついたときに我が家にあった電化製品はラジオだけでした。アイロンもなく、母親はコテを使っていました。コテとは鉄の棒の先が小さなアイロンの型をしていて、反対の端に木の持ち手がついていました。コテ先を火鉢の炭の中に入れて熱して使います。幼児だった私もドン引きするくらい節約した生活でした。でもそれが世間一般の普通の生活だったのではないかと思います。

今思うのが、その時代の生活が再びやってきても普通に受け入れられることです。むしろそのシンプルな生活が懐かしくも思えます。自分自身を振り返ってみると、大学を卒業して親から独立したときに所有していた電化製品は冷蔵庫と実家から持参した電気スタンドとラジオだけでした。それから順々に増えていった電化製品を振り返ってみると、当時の私の人生設計が透けて見えます。次はミシンとアイロンだったと思います。ちょっとした衣服は自作していました。その次はポータブルステレオでした。

「断捨離」、「ミニマリズム」という言葉が注目されています。現実は潜在的にモノにあふれすぎた生活にストレスを感じ、飽き飽きしているのではないでしょうか。大人のアトピーはベッドと机程度の何もない簡素な部屋で生活すると治るそうです。アレルギーの要因が少なくなることもその理由ですが、シンプルな暮らしがストレスを少なくする事が良い結果になるようです。

少子高齢化で将来が不安であれば、今までのような物に執着する生活は見直さなくてはなりません。シェアハウスなどが人気なのは、これからの価値観を暗示しています。一昔前であれば、キッチン・風呂などが共用であれば貧乏アパートのイメージでしたが、共に暮らすことに新しい価値を見出した結果でしょう。

<著者プロフィール>

佐藤 章子

一級建築士・ファイナンシャルプランナー(CFP(R)・一級FP技能士)。建設会社や住宅メーカーで設計・商品開発・不動産活用などに従事。2001年に住まいと暮らしのコンサルタント事務所を開業。技術面・経済面双方から住まいづくりをアドバイス。