市の中心部に「死のガス」、300人が入院、1人死亡

2003年2月、米国北部ノースダコタ州ミノ―市郊外を走行中の貨物列車が脱線事故を起こし、積み荷の無水アンモニアが大気に放出された。無水アンモニアは広く使われている農薬だが、大気に放出されると致死性の有害ガスとなる。タンク車から漏れたガスが市の中心部に向かって流れ、広がった。

鉄道会社からの通報を受けた市当局と警察は全市民への避難通報を試みたが、有線放送は到達区域が限られており、さらに悪いことに機械故障で作動しなかった。そこで警察は市内と近隣のラジオステーションに緊急放送を要請した。しかし、各ラジオ局の電話は1時間半もつながらなかった結果、次のような事態となった。

市民300人が入院、うち死亡1、数人が失明、多数のペットと家畜が犠牲になった(2003年2月20日付 New York Times)。

緊急放送の要請電話がつながらなかったラジオ局のうち6局までが、前回紹介した全米最大ラジオ企業体、「Clear Channel」の系列局だった。系列1,240局は、全て事前録音された番組を遠隔操作で機械的に流している。地方局は、ほとんど無人だから電話が転送で有人局につながるまで1時間半もかかったのだ。

1,240局もの番組編成、放送をわずか約200人のスタッフでこなす弊害は、こうした緊急時対応における機能不全だけに止まらない。大都会から農村部まで、あらゆる地域をカバーする放送は、多くのリスナーの平均的好みに合わせようとするから、地域性や個性が失われる。ラジオ局の強みであるコミュニティー性が発揮できないわけだ。その穴をアナウンサーとリスナーとの電話やリクエストで埋めようとしてはいるのだが…。

規制と規制緩和の両面から3大ネットの寡占崩す

こうした状況は無論、テレビ放送の世界にも起きている。「The New Media Monopoly」を書いたベン・バグディキアン氏によると、1950年代には、業種の異なる複数メディアを有する企業体はおよそ50社以上あったのだが、2002年までに5社に集約されたという。

集中プロセスはその通りなのだが、考えなくてはならないのは、メディアに関して米国には「寡占」ではなく、「独占」の時代があったという事だ。

例えば、映画製作に関しては長く発明者のトーマス・エジソンらが作った「Motion Picture Patents Company(MPPC)」が独占していたし、テレビでも50年代まではABC、CBS、NBCの3大ネットが市場を独占していた。この独占、寡占状態を打破したのは連邦通信委員会(FCC)の一連の決定だった。

決定に際してFCCは、一方では、例えばコンテンツ制作と放送の分離原則や、3大ネットの合算視聴率が一定以上になることを禁止するなどの規制をかけ、他方では、自由競争を促すために規制緩和するという両面からの力を働かせた。

つまり米国におけるメディアの集中化は、規制と規制緩和→独占体制の打破→自由競争→資本力競争(M&A合戦)→メディア・コングロマリットの形成(新しい寡占状態の形成)、という複雑な曲折をたどって今日に至っている。

レーガン政権下で行われたメディア自由化政策

前出のエリ・ノーム教授は、米国における電子メディア業界の進化を3段階に分類している。まず第1段階がFCCのコントロール下で市場が制限された時代。

第二段階が衛星放送や、有線放送の大幅な規制緩和による3大ネット支配からマルチチャンネル時代。

そして第3段階がIT技術の進化による、通信と放送の融合を見据えたサイバーメディアの時代である。

第1段階は第二次大戦後から1980年代まで続いた。この時代、3大ネットはテレビ視聴者の92%までもおさえていた。通信の世界も同じだ。AT&Tは、ローカル通話の80%、長距離通話のほぼ100%を占有していた。さらにFCCの管理下にはなかったが、IBMはコンピューター市場の77%をおさえ、公正取引委員会が市場占有の疑いで調査に入るほどの独占状態であった。

状況が一変したのはレーガン大統領時代の1984年である。この年、レーガン政権は、いくつかの画期的決定を行った。まずケーブルテレビ(CATV)局設置について、ほぼ完全な自由化が行われた。また長距離電話事業を独占していたAT&Tが分割された。そして公正取引委員はIBMに対する反トラスト法提訴を取り下げた。

こうした決定の背景には、レーガン政権を支える保守層が持つ、「経済活動への政府の関与を最小限にする」ことで小さな政府の実現を求め、市場競争原理を貫徹する、という哲学があった。


執筆者プロフィール
河内 孝(かわち たかし)
1944(昭和19)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社政治部、ワシントン支局、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て2006年に退社。現在、(株)Office Kawachi代表、国際福祉事業団、全国老人福祉施設協議会理事。著述活動の傍ら、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所、東京福祉大学で講師を務める。著書に「新聞社 破綻したビジネスモデル(新潮新書)」、「YouTube民主主義(マイコミ新書)」がある。