先日、トヨタが自動車ジャーナリスト向けに"福祉車両"の勉強会を開催した。福祉車両と聞いてもわからない人が多いと思うが、高齢者や身障者向けのクルマのことをいう。一般的なクルマに対して特別な架装を行うためメーカー内の区分けでは、"特装車"といわれている。あまり馴染みがないように思うかもしれないが、国内の新車販売は低迷を続けているが福祉車両は確実に伸びている。

トヨタは福祉車両を「ウェルキャブ」と呼ぶ。ウェルファーとウェルカムの意味とキャビンからの造語だ。もちろんウェルキャブはハイブリッドカーのプリウスにも設定されている。車イスを収納しやすいよう、リヤゲート内に電動リフトを備えたモデルもある

助手席を回転シートにすることで高齢者でも乗り降りがグッと楽になる

1996年度の福祉車両の販売台数はたった8729台だったが、2006年度には約4.6倍にもなる4万369台にまで成長した。じつは90年代にはもっと伸びが期待されている分野だったが、2000年以降伸びは鈍化している。2000年から介護福祉法がスタートしたからだ。介護制度の改正で福祉施設が車両の買い替えや増車を抑制したためで、この制度の歪んだ部分がここにも現れている。しかし、ここまで台数が増えたのは急速に進む高齢化社会だからだ。2005年には人口に占める65歳以上の高齢者の比率が20%ちょっとだが、50年後の2055年には40%を突破するという予測。だれもが年をとれば体が不自由になり、それに対応した介護が必要になる。こうしたときに大きな役目を果たすのが福祉車両。家族の介護のために買う家庭がそれだけ増えたわけだ。

エスティマのサイドリフトアップは特装車だけではなく、カタログに載る一般車も設定されている。セカンドシートのリフトはもちろん電動だが、この車イス自体も電動。右側のジョイスティックでコントロールする

ハイエースの室内。イエローで塗られているバーは、高齢者や身障者が乗り降りや車内の移動が楽にできるようにするためのもの。派手なイエローの塗色は注意喚起のためだけではなく、色弱者にもわかりやすいようにしたユニバーサルデザイン

もう1つの要因は個人で購入しやすい価格のクルマが増えたから。多くの方はバスやマイクロバスなどを改造したものが福祉車両と思っているが、じつは近年増えているのがミニバンやワゴンを改造した個人ユースのクルマなのだ。

ミニバンなどはリヤに車イス用のスロープを備えるものが多い。スロープはできる限り低く設計されているが、介護者が押して坂を上がるのはつらい。特に老人が老人を介護する"老老介護"では力がいらない工夫が必要。そこでトヨタでは電動ウインチで車イスを引き上げ、簡単に固定できる機構を開発した

事故などで足が不自由になってもクルマを運転したい。そんなニーズに応えるのがウェルキャブの自操式タイプ。このポルテは助手席側から車イスごと車内に入り、助手席側から運転席側にスライドしてそのまま運転できる

トヨタは今までも福祉車両の勉強会を開催しているが、興味深かったのはトヨタが福祉車両で利益を追求するようなことは考えていないということ。トヨタ首脳はもちろん、福祉車両の販売を担当するフリート営業・特装部でも同じ考えだ。今年通年でも世界トップの販売台数を記録することが見込まれているトヨタだが、儲けるために福祉車両を作るのではなくクルマを造る企業としての責務と考えているという。抜け目のないトヨタだからと疑う人もいるだろうが、現在の福祉車両の価格を見れば利益追求型ではないことがわかるはず。特装車という性質上、少量しか売れないクルマに高額な開発費と人材を投じている。福祉車両はノーマル車と比べると数十万円高いが、これは装備品のコスト分で車両販売による利益はほとんどない。量産車のようなコスト計算を当てはめると、全体で4万台以上売れていても一車種あたりの販売量はかなり少ないから、とても現在のような価格で売ることはできない。こうしたメーカーの考え方が車両価格の上昇を抑えている。福祉車両やハンディキャプカーは各メーカーで販売されているが、もう少しで国内シェア50%を占めるトヨタの動きの影響は大きい。

車イスはトヨタが開発した電動の専用タイプで、クルマのシートとしても認められている強度が高いものだ

助手席側から木のように生えている黒いバーが新タイプの手動操作装置

トップの考えはデザインにまで影響を与える

驚いたのはトヨタの車両開発。こうした福祉車両も開発では経営トップにプレゼンされるそうで、ラクティスの開発では福祉車両のために、なんと量産車のデザインを変更したというのだ。ファンカーゴの後継モデルのラクティスは、福祉車両の販売も多かったファンカーゴ後継モデルだからということはあるだろうが、まさか量産車のデザインを変更するとは…。ラクティスの開発時、デザイナーはルーフの後部をなだらかに低くするようにした。デザイン性と空力面からそうしたわけだが、ルーフが低くなると車イスのまま乗り込む福祉車両では室内高が低くなって困る。デザイナーや量産車の開発スタッフはルーフを下げる案を支持したが、取締役副社長の岡本一雄氏の英断でルーフの高さを変更したという。鶴の一声だ。

このレバーとハンドルでクルマを操作できる。レバーを前に押せば加速、引けばブレーキが掛かり、角のように見えるのはウインカースイッチ

健常者のために通常の操作機能はそのまま残されているが、下肢に障害がある方が運転するときに知らないうちにアクセルなどを操作しないようにカバーを装備している。足の神経に障害がある場合、無意識のうちにペダル類に足を掛けてしまう可能性がある

需要があるクルマだからそう判断したのだといってしまえばそれまでだが、こうしたトップの考え方があるからコンパクトカーの福祉車両でも使いやすいクルマが増えているわけだ。それにこのラクティスは量産車の製造ラインで福祉車両のボディも造られている珍しいクルマ。トヨタにとっても初の試みだという。台数が少ないクルマは別の工場で量産車に改造を加えるのが普通だが、ライン上でボディを製造するのでコストを引き下げることができる。

これがトップの゛鶴の一声゛でデザインが変更されたラクティスのルーフ。当初のデザインだとルーフはリヤゲート付近でもっと下げられるデザインだったが、車イスで乗るために室内高を高くするためにデザイン変更された

ノア、ヴォクシーもトヨタ車体でインライン生産をしているというから、トヨタではこうしたクルマのコストの引き下げも重視しているようだ。このような点からもトヨタの福祉車両に対する"本気度"がわかる。コスト引き下げはメーカー自身のためでもあるが、じつはユーサーのためでもある。車両価格を安くできるということだけではない。企業である以上、不採算の事業は切り捨てられる。今は業績好調のトヨタだが、経営が傾けば福祉車両などの不採算部門は切り捨てられる可能性があるわけだ。開発手法や生産のコストを引き下げて量産車に近づければ、経営状態が多少悪くなっても継続生産できる可能性が高まる。持続性のある福祉車両造りを考えているわけだ。

ラクティス 車いす仕様車(スロープタイプ)は170万円から設定されている。ベース車から38万円のアップにとどめられている

実際に運転してみると、最初はアクセルとブレーキの感覚がつかみにくくギクシャクしたが、少し運転すればすぐに慣れた。手だけの操作でも慣れれば何の不安もない

今福祉車両を必要としていないかもしれないが、家族やあなた自身がこうしたクルマのお世話になる可能性もある。また、事故などで身障者になれば、自分で運転するタイプの"自操式"の福祉車両に乗ることになるかもしれない。まだまだ福祉車両の展示場は少ないが、モーターショーやイベントなどでも展示されるからぜひ一度見て欲しい。福祉車両はもちろん、いろいろな福祉機器が見られる国際福祉機器展は東京ビッグサイトで10月3日から5日まで、東京モーターショーは千葉・幕張メッセで10月27日から11月11日まで(車イス利用者特別見学日は10月25日13時~18時)行われている。

丸山 誠(まるやま まこと)

自動車専門誌での試乗インプレッションや新車解説のほかに燃料電池車など環境関連の取材も行っている。愛車は現行型プリウスでキャンピングトレーラーをトーイングしている。
日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員
RJCカー・オブ・ザ・イヤー選考委員