【コラム】
近代化(modernization)は、きわめて包括的かつ多義的な概念である。これまであまり「近代化=モダン化」とは何かをきちんと議論せずに話を進めてきたので、ここで少し詳しく論じてみよう。
近代化に対する一般的で抽象的な見方は、「前近代的な生産・社会関係から、新しい関係性への移行」を意味する。日本においては、明治時代以降、高度消費社会が実現するまでは、この言葉の旗印のもと、まさに「近代化」に邁進してきたのである。
この近代化には、もっと詳しくいえば、4つのディメンションがあるという考えがある(『万有百科大事典』)。そのひとつは、歴史区分として、前近代とそれ以後(近代)を区別するために用いる。第二は、近代的自我や精神の形成と捉える。第三は、物質的な基盤の全般的な向上として捉える見方である。第四は、社会体制変革の前段階とみる見方である。
以上のことをもっとまとめていうと、物質的数量的な側面の発展過程と、精神的思想的側面のものがあるといえよう。様々な人々や企業や価値観や世界観がない交ぜとなっている経済社会実体は、この両方が一体不可分となっているであろう。
このときに、日本が近代化を進めるといった場合は、まず、生産基盤を整備し、生産様式を整え、科学知識や技術の発展を進めることであった。精神面としては、それまでの封建体制とそれと一体となっていた因習・旧習を打破し、個人の尊厳と自我の確立がなされた。これによって、人々は、社会の古い桎梏から自由となり、新しい生産体制を作り、新しい企業を興すことができるようになったのである。
しかし、それがさらに進み(間違った自由主義や過度の利己主義など)、個々人がバラバラな存在となり、社会統合や社会公共観が失われていった。このような事態は、センチメンタルな復古主義としてではなく、いいモノを作ったり、社会貢献活動を推進することを妨げることに注意を払う必要がある。一言でいえば、人々のつながりや信頼感といったような「社会資本」(social capital)が、脆弱化しつつあるのである。
ここでは近代化の成果と意義を理解しながらも、やはりそれは現代においては乗り越えなければならないものと捉える。戦後の経済社会のみをみても、今はその長らく続いた生産・消費モードの修正が必要な時期に来ているといえよう。さらには、ワークスタイルやライフスタイルの変更にも及ぶ。戦後60年以上にもわたる生産・生活スタイルは、まさにこの時期のレジュームであり、21世紀には、それにふさわしい「21世紀型レジューム」が必要であろう。そのひとつの顕れや見方が、ポストモダン・エコノミーなのである。では、このモダンの後(ポスト)には、いかなる態度や反応や様式がありうるだろうか。それを整理したものが、図表である。
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図表から、まず、モダンのエコノミーの商品やサービスが絶対量として多いことが分かる。それに対して、プレモダンのモノは、絶滅しかかっている。この中にいくら素晴らしい文化や芸術の種があっても絶滅すればその復元はまず出来なくなるであろう。そこでポストモダンなモノとして取り込んでいく必要があろう。それに対して、ポストモダンな商品やサービスが次第にモダンからの移行も手伝って、その市場規模を拡大しつつある。
このときに、ポストモダンといっても、理論的観念的には、4つのモードや意識や態度が考えられる。
その第一は、「非モダンエコノミー」と捉える見方である。モダンなもの以外という発想である。モダンの原理以外の生産方法や消費スタイルがあるのではないかという提案である。このように唱えるものには、「オルタナティブ・エコノミー」(もうひとつの経済)がある。よって、この中には、近代化によって長期的に衰退させられてきたプレモダンも入るだろう。
第二は、「脱モダンエコノミー」という見方や態度である。これは、モダンエコノミーに対して違和感をもつことに端を発しているものの、それに対する攻撃や敵意を持つというよりも、それから離脱し、逃れることであろう。または、新しい世界を開くことである。たとえば、さんざん贅沢な都市型の暮らしをしていた都会人が、自然以外何もない地方暮らしをするようなものだろう。その中に、新しいビジネス提案の芽がある。TVなどで地方暮らしの番組が流行るのもその兆表であろう。
第三は、「反モダンエコノミー」であろう。モダンな生産原理や組織編制や消費スタイルに対して明らかな反対表明をおこない、それとは反対のスタイルを模索または活動することをいうと考えられる。科学文明や高度資本主義体制や大企業体制による自然破壊や資源の収奪、国家対立、はたまた人間性の否定の面を議論の俎上に乗せて、それを否定し攻撃する態度である。その究極の生き方としては、一切の文明の利器を使わずに生きていく集団などがそれである。
第四は、「超モダンエコノミー」の考え方である。今は科学技術・科学理論がまだまだ低いレベルなので、様々な社会経済的・地球環境的課題を生み出しているが、それがもっと進んでいけば、それらの大半は解決できるだろうという、科学に信頼を置いた見方である。これもいまのモダンエコノミー体制を乗り越えようとする点では、ポストモダンであるが、その行き着く先が本当に地球規模の課題を解決できるかは疑問である。少なくともこれまでのテクノロジー万能主義は、環境破壊を一層進めているとしかいえないからである。
筆者の態度は、以上の4つの中でいえば、「脱モダンエコノミー」に近い。しかし、このポストモダン・エコノミーの議論は、きわめて多様でかつ複雑なものである。その理由は、いろいろな領域やレベルの問題として考えることができるからである。たとえば、国家による環境規制基準を高める戦略(前回のコラムにも出ている)は、反モダンエコノミーの意味合いも含んでいる。それに対して、個々人の生活における環境適応的行動は、脱モダンであることが多いであろう。
次に、モダンエコノミーがもたらすマイナスの面の内容にもよろう。たとえば、自動車が多くのガソリンを費やし、CO2を大量に排出していることは誰にとっても明らかである。では、それを買わないか使わないでいることができるだろうか。大都市に住んでいる人々ならば、その必要性は薄いかもしれないが、地方の人々にとってはまさしく必需品である。そのときに、ハイブリッドエンジンや水素エンジンの開発または代替エネルギーの模索・開発は、超モダンな態度といえよう。是非、自動車メーカーには、一層の技術の開発を望むものである。
このような複合的でポートフォリオ的な態度や行動は、折衷的で妥協的な態度といえるが、何もかもが一気に違うモードに転換することは普通ありえないし、革命的な変化が、この近代化の克服課題にはふさわしくないともいえる。なぜなら、本文の冒頭にも述べたように、近代化は、人の個人の尊厳と自由にかかわっているからである。しかも、近代化は、実に多くの内容や影響を持っているので、それが一切合財転換することは天変地異がない限りありえないであろう(ただし、地球環境が大変な状況に突入しつつあることは事実であるが)。
かくして近代化は、その克服が必要であるにしても、その実現がきわめて困難なものであるといえよう。そこで、ひとつひとつの商品ごと、企業ごと、消費者ごとに、ポストモダンなエコノミーへの移行を促したいのである。
次回は、ポストモダンなエコノミーのもっとも大きなキーワードのひとつである、「手づくり」を取り上げて、それがなぜ価値を生むのかを考えてみよう。
(大阪市立大学 近勝彦)
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