【コラム】

IT資本論

67 コンテンツ流通論(8) フォークロアの逆襲

    近勝彦  [2005/04/11]

    前回は、自然資本の多様性の保護を巡る問題を扱ったが、今回は、まさに文化資本に関する問題である。別の言葉で言えば、前者は「自然資本の多様性」(Diversity of Natural Capitals)の保全の問題であり、後者は「文化資本の多様性」(Diversity of Cultural Capitals)の尊重に関する問題であるといえよう。

    日本のさまざまな地域には、それぞれ固有の建造物や遺跡や民話や文化的伝統が存在している。世界には200カ国以上の国があるので、そのなかには無数の文化資本は存在しているだろう。ユネスコは、それらを「世界遺産」(world heritage)として、各国が適切に保存することを義務付けている(「世界遺産条約」、1972年)。さらには、無体の世界的資産も、新しい条約によって保護の対象になっているのである(「無形文化遺産保護のための国際条約」、2003年)。

    後者の中のひとつが今回議論する、「フォークロア」(folklore)である。フォークロアとは、「地域コミュニティや特定の民族によって創作され伝承されてきた有形無形の文化資産」であると考えられているが、原則は無形財(intangibles)であろう。たとえば、民話や民謡、民芸などである。民族衣装の独特の織り方や文様は、モノに化体されているが、より本質的には伝統的知識やスキルなどが保護対象であろう。

    このような昔ながらの伝統文化は、原則的には、固有の民族が先祖伝来として継承してきたものではあるが、その中の誰かが新しく生み出したものではない。そのようなものについて、何らかの権利(著作権かそれに類似した権利)を、その民族およびその民族が属している国家に与えるべきであろうか。これらは、常識的には人類共通のまさに文化的遺産であるように思える。その趣旨は、著作権に関する国際条約である「ベルヌ条約」(1886年)の精神にも合致しよう。その著作権思想のもとで、これまで100年以上にわたって無形のフォークロアは認識・理解されてきたといえよう。

    しかし、次の事例をみると、やはりなんらかの権利性が認められるべきとも思われる。ある国の民族に数千年にわたって引き継がれていた民族固有の文様や織り方や形状を、先進国のアパレルメーカーが真似をして商品化したとしよう。するとその商品は、商標法、意匠法、または著作権法等で保護される可能性がある。音楽にしても、民族固有の民謡を先進国(開発途上国でもいいが)のシンガーが、自曲として表現すれば、その音楽に対して著作権が発生する。もし著作権が発生すれば、日本国内では、その著作者が死亡後50年間もその権利が保護されるのである。米国では70年間も保護されることになる(法人の場合ではもっと長い)。

    これは、民族の固有の文化に対する侵害であるとも言えるし、そもそも特定の個人に排他的な権利が発生することが、納得がいかないという見方も成り立つであろう。

    そこで、このような伝統的知識やフォークロアを保護すべきという主張が、主に開発途上国(またはその中の民族)から出ているのである。この議論は、WIPO(World Intellectual Property Organization: 世界知的財産権機構)の中で現在進行中である。

    そこで、この議論を公共財のフレームから分析を進めてみたい。

    図表 公共財フレームからみた多様な著作権戦略

    そもそも、一般的な情報や知識は、公共財であると思われる。それは「非排他性」と「非競合性」の両方を持つことが多いからである。前者は、お金を払わない人を排除できないということであり、後者は、誰かが持てば誰かが持てないということがないということである。結局、特定の個人に対して権利化する要件がないということである。しかし、特定の個人がなんらかの表現を新規に与えれば、権利化できることになる。作詞作曲を新しくおこなった曲は、その作詞家と作曲家の著作権として保護される。侵害すれば、民事上の責任及び刑事罰が発生する可能性がある。小説を出版すれば、その小説の表現自体が長く著作権者の権利として保護されるのである。この著作権法の考えに立てば、新しく著作行為がなされ、明確な著作物(著作表現)が存在しなければならないであろう。しかし、フォークロアは昔からあり続けているのであり、新規に生み出された表現物ではない。または、保護期間との関係からいえば、とっくに保護期間が切れている(ただし原著作者が存在すると考えたときの話であるが)。

    そこで、既存の著作権ではないが、なんらかの権利性を認めようとすれば、いかなる方法が考えられるかを思考実験的に表わしたのが上記図表である。第一の知的財産権戦略としては、純粋公共財を「コモンズ」のように扱おうという戦略が考えられるだろう(図表の戦略Aの矢印)。すなわち、排他性はないが、競合性はあるように取り扱うのである。すると、利用目的や利用状況の制限を課すということでできる。自民族の誇りである文様などにふさわしくない利用方法を指し止めたりする権利の主張といえよう。つぎに、「クラブ財」のように扱おうとすることも考えられる。この場合は、競合性はないが、お金を払わないものは使わせないという戦略である(戦略B)。これからは対価を払うことを請求する権利や払わないものの利用を差し止める権利であるといえよう。これによって、具体的には、無体財産の保存と維持を可能にする資金とすることが考えられる。最後が、両方の性格を付与して、私的財化することである(戦略C)。すなわち、フォークロアをコンテンツ化することである。新しい表現を創作して世に出すことである。そうすると、新規創作物には著作権が及ぶので、従来の著作権法理によっても保護が可能となるといえよう(ただし、原フォークロアをもとに第三者が創作する活動自体は妨げられないかもしれない)。

    ただし、これは財それ自体の特性から権利性が決まるということではないことを示している。むしろ、権利化すべきかどうかの国際的政策的判断自体が、それぞれの財を公共財か私的財かに分けているといえよう。実はここに情報財・知識財の理解の困難さが内在しているのである。

    先進国は、工業社会から知識社会へその中心軸をシフトしつつある。その先端をいくのが米国であると考えられている。その米国は、前世紀80年代、工業製品の競争力が大きく低下した。その反面、映画やソフトウエアやバイオテクノロジーなどの知的財産が経済の駆動力であると理解するようになった。そこで、その権利を追求する経済戦略を採用したといわれている。それをプロパテント政策(戦略)というが、その後、遅ればせながら、日本も、知的財産立国という国家経済戦略を内外ともに宣言し、米国を追従している。

    その開発途上国の対抗概念が、まさに、「フォークロアの権利化戦略」であるといえよう。

    筆者は、さまざまな文化資本の価値の高さを認め、そのコンテンツ化が重要であることを述べてきたが、それを権利の観点から見れば今回のような図式となろう。しかし、これとは真反対の政策(戦略)もありうる。それを、アンチパテント政策(戦略)という。次回は、知的財産権の強化の是非について議論してみたい。

    (大阪市立大学 近勝彦)

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