普遍的な0.2とは

新年あけましておめでとうございます。

とタイピングしながら、年賀状の宛名書きどころか、版面のデザインすら手をつけていない今は師走です。旬な時事ネタを取り上げることが多い小欄にとって頭を抱える季節です。ちなみに執筆時の旬は「猪瀬直樹東京都知事辞任」。もう旬じゃないですよね? そこで平成26年第一号は、時事に左右されない普遍的な「0.2」から始めます。

普遍的な0.2とは「祈り」。新規事業もリストラも、商品開発も営業戦略もすべて、希望的観測を前提とする「祈り」が支配するのが「0.2」な会社の特徴です。戦術・戦略論はもちろん、情勢分析も「祈り」を下敷きにし、現実を見誤ります。ある印刷会社の事例から0.2が生まれるプロセスを紹介します。

印刷業界の致命傷

中小の印刷関連業界が長期の不況に喘えぐのは、パソコン+プリンターの普及による需要減などの環境変化だけではなく、経営が苦しくなった企業が起死回生とチラシやDM、パンフレットを印刷し、その代金を支払わないまま倒産することのダメージが大きいでしょう。印刷代金の大半は後払いで、回収が滞れば紙とインクの代金は、まるまる負債として残ります。そして業界全体が値引きの圧力に屈し、過当競争に突入すると、一度や二度の不払いが、中小の印刷屋にとっての致命傷となります。

印刷業界は日頃から仕事を融通しており、破綻した企業の業務を、他社が翌日からそのまま引き継ぐことができます。そして倒産企業の抱える顧客の大半は健全な取引先です。北陸地方の中堅印刷会社のA社に追い風が吹きます。破綻企業を取り込みながら、業容を拡大していったのです。ちなみに、ネット通販的な印刷屋が急成長しているのには、街の印刷屋が破綻や撤退したことで、印刷需要を抱えたお客が取り残されてしまっている背景があります。

と、これは「本業」のはなしで、0.2ではない成功事例です。新年ですから景気のよい話しを「前振り」としました。

地方の問題を一挙に解決

地方の企業にとっての最大の懸案は距離と時間でした。お客の数も規模も、都市部が圧倒的に多く、狙える利益も桁違いです。しかし、印刷物には締め切りがつきもので、印刷所へ原稿を届ける時間の長短は締め切りに直結します。コストを切り詰め、価格競争を制しても「締め切り」ばかりはどうにもできません。この懸案を解決したのは「IT」です。A社は「電子入稿システム(仮称、いつものことですが実在していても関係ありません)」を構築し業界をリードします。

かつては「切り貼り」だった「版下」はDTPによりデジタルデータとなりました。実はDTPが普及してからも、印刷所への入稿は「フィルム」の時代がしばらく続き、データ入稿を受け付けるようになってからも「MO」や「CD-ROM」といった記録媒体が推奨され「ネットワーク」への拒否反応がありました。通信速度にデータ容量、ウィルスの問題もありますが、「もの」がそこにないことへの不安感が強かったのです。そのデータがネット上を光の速度で駆け抜けます。そして地方と都市のタイムラグがなくなります。

都内にあるデザイン事務所は、A社が用意したサーバにデジタルデータをアップロードし、北陸にあるA社の工場側でデータをダウンロードし印刷します。利便性は圧倒的でした。そこで関連会社や協力会社はもちろん、噂を聞き付けた同業者からも利用の申し出があり、システムを今でいうところの「クラウド」として貸し出すことにし、新ビジネスのひとつに育てようと目論みます。

競争社会の淘汰によるもの

そしてA社は0.2の轍(わだち)を疾走します。そう、A社がとった新ビジネスへの成長戦略が「祈り」です。

A社がクラウドに乗り出したのは数年前の話し。それでは現在を見てみます。A社のシステムを使っているのは、無料でサービスを提供されているわずかなデザイン事務所のみです。電子入稿にA社の社員の大半は「Dropbox」や「宅ファイル便」という他社のクラウドサービスを利用しています。ひとことでいえば「使いにくい」のです。A社のシステムはデータの送受信以外の機能がなく、拡張性も応用性もありません。それを目的として始めたサービスですが、様々な情報共有に利用できる「Dropbox」や、特別な設定もいらずにデータを送付できる「宅ファイル便」の登場により市場優位性がなくなったのです。

アップロードとダウンロード。必要最低限の機能のみのマッチョとも言える設計思想に、メニューは英語オンリーという、まるで公用語が英語化された楽天社内のようなユーザビリティ、売り込みをせず客を待つだけの謙虚な姿勢。これらはすべて「祈り」の裏返しです。システムは用意しサービスは開始した、英語もたぶん分かるだろう。あとは客が来るのを「祈る」だけ。バージョンアップも、利便性の改善もしません。だから社員すらも利用しなくなる「祈り0.2」です。

この問題が露見しない理由は皮肉にもA社の堅実経営にあります。設備投資は利益の範囲内で行っており、システム費用は設計時に予算計上したので、ランニングコストは電気代ぐらい。バージョンアップなどの追加費用も発生していない…から時代に取り残されたのですが…ので役員会議の議題に上ることもなく、祈りの果てに忘れ去られた稼働中のシステム。昨年末に取材した現在進行形の話しです。

エンタープライズ1.0への箴言


「祈りは営業戦略ではない」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」