口パクアーティストを「熱唱」と説明するテロップ

馬齢を重ねてしみじみと噛みしめる言葉の1つが「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。

今から800年前に記された『方丈記』の有名な一節です。同じ日々の繰り返しのように見えても変化しているということです。「音楽」はその代表例。歌謡曲からフォークソング、ニューミュージックにバンドブームなど、「流行歌」は絶えず変化しています。また「CDショップ」すら古くなり、いまは「ダウンロード」の時代で「レコード店」は死語の領域に突入しています。そして、「初音ミク」の登場により歌うことなく歌が生まれるようになりました。さらに、ワイドショーは「口パク」のコンサート映像を「熱唱」とテロップ入りで報じる時代です。

同じ言葉でも、時代によりその中身は入れ替わっているのです。

今や、歯科医も栄枯盛衰の世界

かつて「歯科医」は最も「美味しい商売」と言われたものです。外科のように、生死にかかわるシビアな場面に立ち会うことは滅多になく、内科や整骨医のように勝手に治療を「卒業」されることは稀で、継続的な収入を期待できます。おまけに、治療終了を告げるので、別れの時に「お礼の言葉」まで期待することができるからです。

もっとも、これも過去の話と言われています。歯科医院の乱立により競争が激化しているからです。美味しい商売を永遠に続けられるほど、市場原理は優しくありません。そして、これが「美味」だった時代を逆説的に証明しています。筆者が通っていた歯科医院もかつては予約を取るのも困難でしたが、数年前に20メートル先に別の歯科医院ができ、今では閑古鳥が鳴いています。都心のB歯科医も同じ課題に直面していました。近くに歯科医院がいくつもできたことにより経営が悪化し始めたのです。

却下された「予約システム」

歯科医が美味しい商売でなくなった理由は「少子化」にもあります。かつては小中学校での「歯科検診」の季節になると自動的にお客……もとい、患者が増えたものですが、少子化によりこちらの収入も激減します。自治体によっては子供の医療費を無料にしており、そうした地域では軽度の怪我や微熱でも積極的に医療機関に通わせる親は少なくありません。ドラッグストアでは、有料の湿布薬や熱冷ましを無料でもらえるからです。

自然と子供の奪い合いとなります。筆者が通っていた歯科医院のライバル医院は内外装のすべてが子供を意識した作りになっており、大繁盛しています。

B先生の医院のある都心では子供の数が少なく、この作戦はとれません。そこで、立地からOLをターゲットとした「女性向け歯科」というコンセプトを打ち出します。それまでは自分で作っていた素人まるだしのホームページを改め、プロに依頼することにしました。

ホームページ制作業者との打ち合わせで、業者の「受診のネット予約システムはどうしましょうか」という問いに、B先生は「いらない」と答えます。せっかくサイトに誘導したのだから、そのまま予約を取れるようにしたほうが良いと業者は提案しますが、B先生は「ウチのスタッフ、ネットが苦手なんだよね」と事もなげに言います。そして、「トラブル」になることがイヤだと、予約システムは除外されました。

「ネットが苦手」の本当の意味

業者が提案したシステムは、申し込まれた希望日時をサーバ上で集計して閲覧できるだけの簡単なもので、実際の受診記録とは切り離されています。そこから、医院の窓口での申し込みや、電話からの受診受付による「ダブルブッキング」を避けてのことです。しかし、受付時にほんの数秒、サイトにアクセスして確認する手間を嫌った「チャネル0.2」です。わざわざホームページというチャネルを開いておきながら、そこからのコンタクトをあえて拒否しているのです。

現代は多様な「チャネル」を選択的に用いる時代です。「連絡した?」と問われた時、その手段が電話か、FAXか、メールか、それとも各種SNSなのかは、相手と状況により異なります。つまり、連絡手段と情報伝達手法がもはや「電話だけ」というのは少数派です。そしてなにより、ターゲットを「OL」としていることが「チャネル0.2」なのです。

今どきのOLなら、勤務時間中に私用でサイトを閲覧することは比較的簡単にできるでしょうが、オフィスで携帯電話のダイヤルを廻してプッシュし、声を上げて歯医者の予約をとるのはさすがに勇気が必要だからです。OLというターゲットに対し最も閉ざしてはならないチャネルがネットと言えます。リニューアルされたホームページには、まるで20世紀の消費者金融の広告のように「お申し込み電話番号」がデカデカと掲載されていました。

そして「ネットが苦手」という言葉も、B先生的な用法としては「死語」になりつつあります。幼児がiPadでYouTubeを見るこの時代に、業務上なら言わずもがな。現代社会において「ネットは苦手」とは「やりたくない」というニュアンスになってしまいます。

エンタープライズ1.0への箴言


「昨今の『ネットが苦手』は『やりたくない』を意味する」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi