ROE経営という原則

すべての企業の経営で使える成功法則などありませんが、1つ挙げるとするなら「成功体験を捨てる」ことでしょうか。成功とは、過去のある時点において許された栄光だからです。今さら飛行機を飛ばしたとしてもライト兄弟のように賞賛されることはなく、二股ソケットのLED電球を発明しても松下政経塾は作れません。時代に加えて環境も成功を左右し、A社の成功事例をB社にそのまま適用して花開くものではないのです。

つまり、成功体験や成功法則の大半は「再現性」に乏しいのです。ところが、人は誘蛾灯に誘われる夜の羽虫のように、成功の輝きに吸い寄せられ我が身を焦がします。

郊外で十数店舗の総合スーパーを営むM社長は、上場企業でスーパーバイザーを務めていたという人物を紹介されます。彼の語る成功法則は「原則」を守るだけのシンプルなもので、どの業種にも当てはまると言います。不採算部問を収益部門に転換し、他社に売却できたことがその証と胸を張ります。それを「ROE経営」と名付けたそうです。

在庫商品の値引きは危機を招く!?

ROEを日本語にすると「自己資本利益率」となり、元手に対しどれだけ儲かったかを示す指数です。この指数を高める「原則」を守れば、経営改善などたやすいものと豪語します。これが、100%株主のM社長には自分のお金を増やす数式に見えました。そして、男を「執行役員」として招き入れます。

執行役員はROEの改善にPOSシステムを活用します。販売と在庫を同時に管理する仕組みがPOSシステムです。コーラが1本売れれば、在庫が1本減ったと自動的に処理されることで、効率的な在庫管理が実現します。コンピュータが発達した今日では何でもないことですが、レジスターと倉庫を別々の「台帳」で管理していた時代には画期的な発明だったのです。さらにITの進歩により、全店がネットで繋がり、本部にいながらすべての店舗の在庫を管理できるようになりました。

在庫の多い商品を見つけると現場に値引きの指示を出します。多すぎる在庫はお金のサボタージュを意味し、少しでも早く現金化して、次の仕入れに振り向けるのが執行役員の唱える「原則」です。その結果、ROEは高まりましたが、危機がすぐそこに忍び寄っていることに執行役員もM社長も気付いていません。

特売されない商品には理由がある

執行役員による値下げの指示は、回転率を高めるのが狙いです。仕入れ値50円のコーラを1,000本仕入れ、100円で売るとします。仕入れにかかった5万円の資本で、5万円の利益が出たことをROEでは100%と記します。1,000本を売るのに1年かかれば、5万円から得られる利益は100%の5万円だけです。これを30%値引きした70円にすることで、毎月コンスタントに1,000本売れるとしたら、毎月の利益は2万円となり、12ヵ月にすると24万円の利益が見込めることになり、ROEは480%、元の資金の5倍近い利益を得られると試算できます。さらに得た利益を資本に廻せば、急成長も夢ではありません。資本を効率よく回転させるかに視点を置くところが「薄利多売」との違いです。

スーパーマーケットで電球が特売されることは滅多にありません。ティッシュやトイレットペーパーと違い、消費サイクルが長いことから「買いだめ」する緊急性を消費者が感じないことと、電球が切れた客は必ず買っていく商品特性からです。

つまり、電球は放っておいても売れる商品であって、利益率を下げてまで販売する商品ではないのです。執行役員はそれをコーラやキュウリのような商品と同じ「原則」により値下げの指示を出します。値下げにより一時的に電球のROEは高まりますが、ひとたび交換されるとしばらくは需要がなくなります。そして、値引きしても売れずにROEが悪化すると、仕入れる電球の商品点数を減らしてバランスをとろうとします。これが客の目には「品揃えの悪さ」に映ります。

鈴木敏文氏のことば

在庫の多い商品を減らすことにばかりにフォーカスし、「在庫ゼロ」をスルーしていることが最大の「今そこにある危機」です。POSシステムにも在庫ゼロは表示されます。しかし、翌日か遅くても数日以内には補充されることから、それを重大な危機ととらえていません。

セブンアンドワイホールディングスの社長の鈴木敏文氏は言います。

「廃棄ロスより機会ロスを怖れよ」

惣菜や弁当は賞味期限が切れると廃棄し、「ロス=損失」が発生します。しかし、わざわざ来店したのに商品がなく、購入できない「機会ロス」は、店へのロイヤリティ(信頼や支持)を損なうので怖れよという意味です。POSデータは品切れによる「機会ロス」をカウントしません。本部のPOSシステムに現れる在庫「0」が数時間だとしても、客にとっては「品揃えの悪い」という悪評を下すのに充分な時間です。オンラインで全店を掌握できる……と錯覚した「POSシステム&ROE 0.2」です。

上場企業では放漫な仕入れによる在庫の増加が経営を圧迫していました。これを「ROE」という視点で整理して財務を改善したのが、かつての成功体験です。執行役員の失敗は、特殊事情による成功事例を「原則」としたことです。そもそも彼が自慢する「ROE経営」により収益を押し上げたのなら事業部門を他社に売却することはありませんし、本当に経営能力が高い人材なら、上場企業が手放すわけがありません。M社長の過ちは、成功体験に目がくらみ、ラクして儲かると「就職浪人」を雇ったことです。

最後にもう1つ確かな「成功の原則」を思い出しました。それは「答えは現場にある」ということ。執行役員にしてもM社長にしても、店頭に足を運んでいれば、スカスカとなった陳列棚が「今そこにある危機」を教えてくれたことでしょう。

エンタープライズ1.0への箴言


「数字だけ見て経営ができるなら珠算名人は経営の神様」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi