企業の顧客対応に一石を投じた「東芝事件」

ある日、友人が手土産で持ってきた「ヒルトン東京」の焼き菓子を食べた妻が「しょっぱい」と言いました。確かに強めの塩味です。妻は「焼き菓子は甘いモノ」という信念から、「手違いがあったのでは」とヒルトン東京に電話をかけます。すると、電話越しにあれこれ尋ねることもなく、「同じものをお送りしますからご確認ください」と同じ味の焼き菓子が届きました。

ここで、妻は塩味のクッキーがあることを初めて知り、ヒルトン東京に電話をかけ、非礼を詫びると同時に礼を述べました。面識のない客からの電話でも誠実に対応する同ホテルの姿に「敬意」を覚えました。身をもって顧客対応の大切さを経験した出来事です。

顧客対応というと、「東芝クレーマー事件」を思い出します。東芝の担当者が電話をかけてきたお客に対して「クレーマー」と言い放った言葉がネットで晒され、東芝製品の不買運動にまで発展した事件です。この事件が社会に与えた影響は多く、「電話の向こう側」の存在がクローズアップされ、その後の企業の「顧客対応」を変えたと言われています。

人が集まれば金を生む仕組み

トラフィック、リーチ、アクセス――呼び名は時代とともに変わりますが、すべてインターネット上での来訪者を意味する符丁で、リアルの店舗なら「人通り」や「来店者数」のイメージです。極論すれば、どんなサイトでも来訪者が多ければビジネスは成立します。インターネットに無料サービスが多いのは、人が集まれば金儲けの方法はいくらでもあるからです。無料で多くの人を集めるのは施しではなく、自社の利益のためなのです。

印刷業を営むS社長はプレスリリースを配信するネットサービスを展開していました。仕事柄、メディア業界にも近く、彼らと接点を持ちたいと願う中小企業は多いことを知り、間を取り持つことで「人通り」を増やし、ビジネスにつなげようという目論見です。

プレスリリースの利用者が増えれば、配信自体を有料化することもできますし、広告を配信することもできます。さらに、「プレスリリースの書き方」や「メディア人との交流会」など、有料イベントを開催して収益を上げることが期待できます。しかし、利用者が採算ラインに届かず、ビジネスは頭打ちとなってしまいました。その理由は「顧客対応0.2」です。

客を減らすおかしな日本語表現

これは知り合いの編集者が漏らしていたことですが、「素人のプレスリリース」は的確に情報を伝えるための「いつ、どこで、誰が」といった「5W1h」が盛り込まれておらず、用をなさないものや主婦向けのリリースをIT系出版社に送りつけるなどミスマッチが多いそうです。また、同じリリースを1日に何度も送りつける輩までいるとのこと。同じ内容のメールやFAXを何回も送りつけられれば、不愉快になるのは当然です。

S社長のサイトは会員登録すれば自由にリリースを掲載できることから、素人のリリースが少なくありません。リリースの品質低下は、メディア側のサイト利用者の減少になるので死活問題です。そこで、ミスマッチな投稿、重複投稿の対策に「管理人」を置き、リリースの品質確保を目指していたのですが、その管理人が「0.2」だったのです。

彼は不的確なリリースを発見すると、メールで警告を発します。カテゴリー間違いのリリースの作成者には、以下のようなメールが届きます。

「ちゃんと考えてからリリースしてください」

さらに、重複投稿の主には次の文章が送られてきました。

「同じ情報じゃWebが汚れる」

ビジネスの世界ではネットのあちら側にいるのはお客様

リリースを掲載した企業にも問題はありますが、突然「考えろ」「汚れる」という言葉が含まれたメールを受け取った企業担当者が不快に思うことは請け合いです。しかも、重複投稿を詫びたうえで「汚れる」という表現の意味を訊ねるメールを送った企業には、このような回答がありました。

「ごちゃごちゃうるさいこというなら利用するな(原文ママ)」

管理人は質問者を「クレーマー」と思ったのかもしれません。しかし、企業が提供する「無料サービス」はボランティアではなく、人通りを増やすことにより見込める利益のための先行投資で、また、無料の利用者が有料版を利用することも期待していれば立派な「見込み客」です。

S社長はシステムエンジニアとしてサイトを構築した管理人に顧客対応も丸投げしていました。「ネットに詳しい=適切なネット対応ができる」とは、よくある誤解です。管理人は対人関係に問題を抱える人間で、むしろ顧客と接してはいけない種類の人間だったのです。彼の0.2な顧客対応がサイトの伸び悩みの要因です。

塩味のクッキーを知らない無知な客にも丁寧な対応をするヒルトン東京の真似をしろとは言いませんが、ネットで顧客対応をする担当者には「接客経験」のある人を配置すべきと考えます。

ベストセラー『Web進化論』の中で、筆者の梅田望夫さんはインターネットを「あちら側」と「こちら側」とに分け、ネットのあちら側を「不特定多数無限大」と表現しましたが、私はビジネスにおいてこの表現は適切ではないと考えています。ネットを介した「あちら側」にいるのは「不特定な誰か」ではなく実存する人間です。つまり、あちら側にいるのは「客」なのです。客と接するスキルは、リアルでもネットでも同じです。

エンタープライズ1.0への箴言


「顧客対応は窓口業務ができる人間を配置」

宮脇 睦 (みやわき あつし)

プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi