iPad狂想曲は夢の見すぎだ

5月28日の午前8時に日本国内で発売された「iPad」。何よりその過熱報道に驚きました。行列を人気のバロメーターとするのは良いとするにしても、国内発売を延期して予約を早々に打ち切ったにもかかわらず、「当日発売分」がある摩訶不思議さには触れないところに報道機関が持つべき批判精神は見る影もありません。ちなみに、翌日の日経新聞では郊外店などで売れ残りがあったことを小さく報じていました。

NHKから民放までiPadの切り口は「電子書籍」。そして雑誌社の取り組みを紹介し、「新たな読者層の開拓」で締めくくります。つまり、電子化により読者の増加が期待できると。

しかし、切符を電子化した「PASMO」の登場によって電車やバスの利用者が増えたという統計は見たことがありません。確かに、本好きの人にとっては、書籍の入手方法が広がることで利便性は高まりますが、日頃、本や雑誌を買わない人がiPadを手にしたからといってわざわざ買うことを期待するのは夢の見すぎです。『R25』などのフリーペーパーの読者が増えるというのならわからなくもありませんが。

書籍を電子化するということでさまざまな期待を背負うiPadですが、貨幣を電子化するポイント制度も、ビジネスのトレンドの1つと言えます。ただし、すべてのビジネスにポイント制度が向いているわけではありません。今日は電子化、ポイント制度を巡る「0.2」についてお話ししましょう。

ファミリー層を取り込むための切り札・ポイントカード

ブランド牛肉、それも最高とされるA5ランクの肉だけを提供する焼肉店を営むWさん。上質な肉の仕入れルートを持っていることは、焼き肉屋にとって生命線かつ最大の武器で、最高品質の肉は金を積んでも仕入れられるものではありません。

Wさんは何度も近畿地方のブランド牛のセリに通い、人脈を作ったのです。ところが最近、売上が落ち込み始めました。BSE騒動から立ち直ったかと思えば、格安焼き肉チェーンの台頭で客を奪われ、そこにリーマンショック以降の連続経済不況で人々の財布のヒモが固くなったからです。

そこでWさんはメニューを刷新し、子育て世代であるファミリー向けのリーズナブルなセットメニューを用意しました。味には絶対の自信を持っているので、一度食べてもらえばリピーターになると胸を張ります。ターゲットは一般的に若く、また子供が将来、客になる可能性からも「生涯獲得利益」が高いので、利益率を抑えても採算がとれるという見込みです。

それに合わせてホームページもリニューアルします。高級感を抑え、リーズナブルさと家族の団らんを訴求しました。さらに、切り札として導入したのが「ポイントカード」です。

家電量販店と同じ仕組みだったけれど……

導入したポイントカードは「日本最大級の家電量販店と同じ」というのがWさんの自慢です。電子書き換えするタイプでPOSレジと連動しており、顧客管理から来店履歴まで把握することができ、利用者には飲食代の「10%」をポイントとして還元する仕組みです。

ポイント還元でリピーターを狙い、毎回カードに打ち出される獲得ポイント数が購買意欲を刺激するだろうと、家電量販店と同じものを導入したのです。以前は来店1回につき1個の判子を押す素朴なスタンプカードを使っていましたが、「5個の判子でワンドリンクプレゼントでは訴求力が弱い」とこちらは中止します。

そしてリニューアルオープン。ファミリー層を中心に客足は伸び、リーズナブルなメニューやポイントカードの評判は上々でした。ところが数ヵ月後、Wさんは売上が伸びていないことに気づきます。

そもそも、子育てにお金のかかる「ファミリー層」に過大な売上増加を期待するのは無謀です。家族連れは人数が多く、店内を活気付けますが、客単価には比例せず、それどころか落ち着いて食事を楽しみたいという「富裕層」を遠ざけるデメリットも持っています。

そして、最大の理由は「10%オフ」でした。毎回10%還元すれば、売上が10%下がるのは当然ですし、今時ポイントカードの導入だけで客が増えるわけがない「ポイントカード0.2」です。ポイントカードの落とし穴に見事にはまっていたのです。

書籍だって電子化がいいことずくめとは限らない

ポイントは事実上の通貨であり、消費者の感覚は「値引き」ではなく「自分の金」となります。まして、電子書き換えによって数字が明示されると、注文時にポイント分を引いた「値引き価格」で計算し、予算内で食事を終わらせようというインセンティブが働きはじめるのです。実は、「●●●電気」のような巨大企業はともかく、小規模店にポイントカードは不向きな施策なのです。

一方、"素朴な"スタンプカードは費用対効果の高い販促効果ツールです。5回の来店で1杯300円のドリンクをもらえるとして、1回当たりの「来店報酬」を「60円」と計算する人はおらず、「ちょっと得した気分」と喜ばれるのです。何でも「電子化」すればよいというものではありません。

不況の出版業界に舞い降りた救世主のように持ち上げられている「iPad」。しかし、宝島社のファッション誌『Sweet』は不況のなか100万部以上売れています。その魅力のひとつがトートバックなどの「付録」です。残念ながら、電子書籍にトートバックを添付することはできません。

またiPad報道では、ネットの特徴を生かして雑誌が動画とコラボレーションしていることを前向きに報道していますが、これが出版業界人の危機を生むリスクには気が付いていないようです。

文書より動画のほうが刺激が多く理解は容易で、客の目を惹くのはテレビが証明した歴史です。となると、雑誌が動画へ傾斜し、ノウハウを持つテレビ制作会社が雑誌作りの担い手となって編集者やライターがその座を追われることになったらどうしよう……と今から不安でいっぱいです。物書きの端くれとして。

エンタープライズ1.0への箴言


「電子化ですべては解決しない。ついでに、iPadがもたらすのは福音だけではない」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi