学校の連絡網はお互いの信頼の担保

情報セキュリティに関する企業責任とプライバシー意識の高まりから生まれた「個人情報保護法」には多くの問題が指摘されています。施行前に受けた法律セミナーの弁護士によれば、同法の主旨は「個人の権利」を裏付けることで、一方的に収集・濫用される個人情報の削除を「個人の権利」として求めることができる点が画期的であり、健全な社会活動における個人情報の取り扱いを阻害する目的ではないとのことでした。

ところが、この個人情報保護法が原因で、小・中学校で「連絡網」を作ることができないという話が聞こえてきます。連絡先という個人情報の提供を拒否する保護者がいるというのです。

これは過剰反応です。簡単な言葉で表せば「やりすぎ」。個人の権利は可能な限り尊重されるべきですが、地域社会も含めた集団生活で一部規制を受けることは、「朝寝坊する」という個人の権利を盾にして町内会の掃除当番を拒否できないことからも明らかでしょう。

また、連絡網には学校という共同体に参加する者同士の信頼を構築するためのささやかな担保という側面もあります。連絡先を知っている状態を特殊な業界用語では「ヤサを押さえる」といい、居場所や連絡先を特定できることで「逃げ得」が難しくなるのです。

新任社長の初仕事は情報漏洩ゼロという社是

個人情報保護はすべてに優先されるものではありません。社会と個人の利益、不利益を勘案して判断されるものです。よって、そのためのセキュリティ対策も状況に応じて変化します。

Webマーケティング会社のG社は、数年おきに親会社から社長がやってきます。規模の小さな会社の陣頭指揮を執ることで、経営者としての経験を積ませるのが狙いです。

U社長が就任して最初の仕事は社是を「情報漏洩ゼロ」に変えたことでした。当時は、個人情報保護法が施行され、巨大ネットショッピングモールによる顧客の情報漏洩などが続いた時期だったのです。また同時に厳しい不況下では、「情報漏洩ゼロ」は「売上倍増」「利益拡大」よりもはるかに実現しやすい「公約」であり、近い将来の親会社復帰に持ち帰る「土産(実績)」という目論見もあったのでしょう。

事務所の入口には駅の自動改札のような「フラッパーゲート」を設置しました。これで社員の出入りを秒単位で管理でき、不審者の侵入を許しません。ゲートを通過すると、コンピュータルームのドアは「虹彩認証キー」で施錠されます。人間の目の中にある虹彩は個人で異なり、虹彩認証は個人の虹彩を「カギ」とすることで部外者の侵入を阻止するというセキュリティ技術です。

そして、見せしめという"文化大革命"が始まった

同時に、携帯電話やUSBメモリなどは仕事場への持ち込みが禁止されました。オフィスに入る前の廊下に「ロッカー」が設置され、入室前にすべてを預けなければなりません。

さらに、オフィスとロッカーにはカメラが設置されました。これをU社長は「突発的トラブルに備えてのため」と説明しますが、それを信じる社員はだれもいません。オフィスはともかく、ロッカーにまで設置しているのは「何を預けたか」をチェックする以外の理由が見つからないからです。

どれだけ優秀な機械を設置しても、完璧はありえません。そこで「ヒトの力」を活用しました。情報漏洩問題もよくよく調べれば人為的なミスや悪意による犯行であり、情報漏洩ゼロを目指すなら重要なポイントです。

導入した方法とは「見せしめ」です。情報漏洩につながる可能性がわずかでもあれば、些細なミスでも「意識啓発」と称して「自己批判」をさせます。外部と連絡を取る必要のある社員がうっかり携帯電話を持ち込んだ時は、当該部署の管理職を衆人環視の中で「自己批判」させました。

本人ではなく上司というのが「見せしめ」のポイントで、「情報漏洩ゼロ」という金科玉条の前に抗弁は許されず、一方的に断罪される様はまるで「文化大革命」 のようです。

お天道様の下は天下の公道

2年後、U社長が「異動」となり社内は歓喜の声に包まれました。フラッパーゲートも虹彩認証も即座に撤去されます。これらの設置費用、管理運営費は経営の負担となっていたのです。

情報漏洩ゼロの大切さは社員のだれもが知っています。しかし監視され、見せしめとして吊し上げられる「仲間」の姿を快く思う社員はいません。機械的、人的アプローチから施したセキュリティ対策によるコストが業績を圧迫し、愛社精神もゼロに近付けた「セキュリティ0.2です。第一、G社では過去に情報漏洩は起きていません。

情報漏洩は論外ですが、過剰なセキュリティやプライバシー保護は社内だけでなく、社会を不安に陥れます。

テレビの映像で繁華街を歩く人々の顔に「モザイク」がかかっているのもそうです。かつて、こうしたモザイクをかけられるのは「特殊な稼業」の人でした。現在、銀座の大通りの映像ではモザイクをかけられた人が闊歩しており、その姿はまるでドキュメント番組の「密着●●刑務所」のようで恐怖を禁じ得ません。

もっとも、こういう主張があるかもしれません。「銀座の大通りを歩いているという情報も個人情報」。なるほど。しかし天下の公道は自宅のベッドルームではなく、公共の場を公共の電波に乗せることは個人情報保護法の埒外かと。

エンタープライズ1.0への箴言


「最高のセキュリティは愛社精神」

宮脇 睦(みやわき あつし)

プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」

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