行列ができる店の舞台裏

トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」という提言に、とりわけネット界は過剰に反応しました。地域格差のない世界に「地球市民」的な幻想を重ねたのかもしれません。

「リンク」を辿れば地球の裏側で作られたサイトにも瞬時に移動できるネット世界では、「フラット」は既にリアルです。タレントブログで本人とふれあい、書評を書いたブログに筆者本人からお礼が寄せられれば、垣根のないボーダーレスの素晴らしさを体感することでしょう。

余談ですが作家の北康利さんの御著書を私のブログで紹介したところ、ご本人からお礼の書き込みをいただきました。私も物書きの端くれなのですが、驚きと興奮から「本人ですか?」と失礼な質問をしたものです。

しかし、ネット以外のリアルビジネスの世界で「フラット」は特殊な成功例に過ぎないというのが私の見立てです。気候風土といったリアルの「環境」は越えられない壁となり立ちふさがります。また、国民性と国家の欲望、そして宗教的価値観が波風を立てることは歴史を紐解くまでもなく、第一に誰もが「ITを駆使した商売」をしているワケではありません。

この不況下でも行列の絶えない焼き肉屋「スタミナ苑(東京都足立区鹿浜)」の主要な連絡ツールは「ピンク電話」です。古式ゆかしい10円玉をいれるあれです。

夢見る中年じゃいられない

ITエンジニア20年のキャリアを誇るP社のY社長は迷っていました。ITバブル崩壊から立ち直りはじめた数年前に、会社員生活を卒業し独立起業しました。ヒルズ族の活躍もあり、企業のIT投資意欲が戻ってきた時代でした。確かな技術を持つY社長の業界での信頼は厚く、独立のご祝儀相場も手伝ってか、寝る間もないほどの注文がはいったものです。

プログラムは機械の進歩、技術発展、利用者のリクエストによりバージョンアップを繰り返し、これがソフトハウスの生活基盤となります。業者が変わると既存プログラムの点検から始めなければならず、その費用は発注者の負担(見積もりに計上)となることから、一度プログラムを受注すると半永久的に仕事がはいってくる仕組み・・・でした。

ところが市販されているパッケージソフトの品質が向上し、独自プログラムの開発需要は激減しました。そこに「SaaS」というプログラムのリース契約が登場します。ネット経由で最新版を利用できるサービスで、従来の「バージョンアップ」ごとの課金はありません。これはP社のビジネスモデルの崩壊を意味します。

そんな時、Y社長は駆け出しのエンジニア時代の「仲間」に会います。

売名行為は商行為

仲間は「ホームページ制作業」の社長になっていました。技術者同士の情報交換は胸襟を開いたものが多く、率直に窮乏を訴えると「ホームページ制作」に手を出すようにアドバイスをします。高度なプログラム言語を習得しているY社長にとって、HTML(ホームページを制作する言語)は問題ではありません。しかし、どうやれば仕事になるのかがわかりません。仲間は言います。

「著名店を手がければ客から声がかかるようになる」

横並び意識の強い日本人の性質から、著名店を手がけたとなれば同業者が「ウチもお願いしたい」と声をかけてくるというのです。

そして、全部作らなくてもロゴデザインやプログラムの一部でも「制作実績」として公開でき、さらに「リンク」を貼るだけでも「関係者」と勘違いして問い合わせが来ると囁きます。

迷わずホームページ制作に着手します。あとは著名店探しです。お盆休みに実家に帰省すると妹夫婦も里帰りしており、義弟がテレビや雑誌で度々紹介される「スタミナ苑」の常連客だとわかりました。故小渕首相も通った名店に「リンク」を貼れればいうことなしです。義弟経由でリンクを打診しました。

それはフラットの前のはなし

義弟経由、スタミナ苑乗り換えで私(筆者)の所に電話が入りました。前述のピンク電話からです。リンクを貼るぐらいなら問題ないですし、どうせなら「相互リンク」にしたほうが先方のためになるだろうと連絡先を訊ねます。申し遅れましたが、スタミナ苑のホームページは私が管理しています。

Y社長の作ったP社のホームページを見て驚きました。業務内容と並び「スタミナ苑」とあり、P社が営む「スタミナ苑」のように掲載されています。まるでP社に買収されて傘下に収まったかのような非常識な「リンク0.2」です。いまだにトップページ(正しくはこれがホームページなのですが)以外へのリンクを認めないサイトや、すべてのリンクに許可を取れと迫るサイトもありますが、そこまで管理下におくのは「フラット」なネットにそぐわないと私は考えます。

しかし、関連企業や事業部のように掲載するのは論外です。さすがに許可するわけにはいかずその旨を伝え、ただの「リンク」だと分かるような掲載方法への変更を依頼しました。Y社長は少し不満げでしたのでこう提案しました。

「直接出向いて交渉してください」

念のために述べておきますが、東京都足立区鹿浜にあるスタミナ苑は独立企業です。その後、スタミナ苑にも私の所にも連絡のないままにP社のサイトは準備中になりました。

昼から店にはいり、閉店後も仕込みをし、明け方に寝るのがスタミナ苑の日常です。そしてメールを覚える時間があれば仕込みをするか寝ているほうがいいと、今日もピンク電話というITツールを使い続けています。ニューヨークや台湾から客が来るグローバルな店なのですが。

エンタープライズ1.0への箴言


「リアルはネットほどフラットじゃないし、ならない」