筆者がこの原稿を書いているのは11月13日(日)の深夜である。すでに日付は14日になっている。実は14日に引っ越しである。そのために土曜、日曜とその準備で大忙しだった。やっとそれも終わり、あとは運ぶだけとなっている状況だ。その前の土日は母親の一周忌で徳島まで深夜バスで往復していた。こんなことを書くと親不孝者と怒られるかもしれないが……仕事で忙しいのはいいのだが、それ以外で忙しいのは少々疲れる。

2年前だったか、夕方にインドから成田に到着して、翌朝すぐに中国に向かったことがあった。成田で一泊するつもりだったが、資料作りのためにいったん府中まで帰って成田にとんぼ返りとなってしまった。このような忙しさは意外と疲れないものである。やはり仕事が充実し、気持ちが前向きになっている時は疲れなんか感じない。

「親不孝者と怒られる」と書いたが、今の時期にこんなことを書くと、お隣の中国では本当に怒られそうである。経済・金儲け至上主義に対する批判が中国版Twitter「微博」で炎上したからだ。

「悦悦ちゃん」ひき逃げ事件で巻き起こる怒り

先月の13日、出稼ぎ者の多い広東省仏山市で起きた事件である。両親が目を離した隙に道に出た小悦悦(悦悦ちゃん)がワゴン車の前輪に轢かれ、さらに後輪にも轢かれた。さらにトラックにも轢かれた。監視カメラがこの事件を一部始終撮影していた。

驚くべきことに、この事件の横を少なくとも18人が見て見ぬふりをして素通りして行ったらしい。この素通りしている様子も監視カメラがとらえていた。

最初にこの映像使って事件を報じたのは安徽省のテレビ局だ。信じられないことに、事故現場を通りかかった通行人たちが倒れている女児を見ていながら無視して次々と通り過ぎて行ったのである。

この様子が注目され、ひき逃げ事件など吹き飛んでしまった。メディアは「見死不救」と大きく報じた。

冷漠(薄情)で道徳心の欠如を嘆いた。若者たちは「微博」で怒りをあらわにした。改革・開放で経済成長が続いて金銭至上主義に陥り、中国社会はモラールを失ったと怒った。

「微博」への書き込みは今なお続いている。

しかし、この事件は出稼ぎ者の多い街での事件である。これが北京や大連で起きたのであれば、また違った状況になっていたのではないかと筆者は考える。

今なお「微博」への書き込みが続く「悦悦ちゃん」ひき逃げ事件

変わりゆく中国人の「モラール」

2002年の年末だったか、筆者は上海から北京をまわった。上海も北京もまだ2回目の出張である。

最初に驚いたのは、上海の虹橋空港で搭乗する時である。バスでタラップまで行ったが、タラップに乗客が殺到し、我先に乗ろうと乗客同士が喧嘩になったことだ。さらに、止めに入ろうとした航空会社職員と乗客が喧嘩になった。満員電車に乗るわけではない。飛行機である。何で喧嘩になるのか、筆者にはさっぱりわからなかった。

そして北京に着いた。次に驚いたのは地下鉄に乗る時だ。乗車券を買うために窓口に並んだ。筆者の番になってお金を出そうとすると、横から手が10本くらい出てくる。さすがに筆者も怒った。それでも地下鉄に乗れた。

ようやく目的地の駅に着く。ドアが開いて降りようとすると、我先にと一気に乗ってくる。降りようとした筆者が弾き飛ばされた。この時ばかりは中国が嫌いになった。

次に北京に行ったのは2005年の3月だから、以下はその時から2年4ヵ月後の話である。

夜、天安門のライトアップを見に行った。トイレに行きたくなったが、どこにもトイレはない。仕方なく、バスで一区間乗ってマクドナルドのトイレを借りた。今度はこのバスの中の話である。

トイレを我慢していたためか、筆者の顔色が悪かったようで、座席に座っていた若者が席を譲ってくれた。「そんな歳じゃないよ」と内心は気分が悪かったが、ありがたく座らせていただいた。それから北京も何回も行ったが、2002年の北京とは明らかに違う街である。北京オリンピックや上海万博の時の若者たちのボランティア活動も目の当たりにしたが、「異国」であった。やはりオリンピック開催は良いものだ。デリーでぜひとも開催してほしい。

大連もそうだ。市内の商業地区の中心から高級レストラン街、筆者の泊まるホテル、ハイテクゾーンである高新園区を結ぶ202系統の路面電車によく乗る。何といっても、この区間は料金がたった1元である(ただし乗車拒否はある。肩が触れ合う程度に混みだすと乗せてくれない)。

筆者が持っていた荷物が少し多かった時のこと。30代半ばの夫婦がいた。女性の方が座っていたが、ご主人が何か言うと、女性が慌てて立ち上がって席を譲ってくれた。シルバーシートなんてものは中国にはない。重い荷物を持っていると思って譲ってくれたのだろう。日本では考えられない経験だ。もっとも、席を譲ってくれた女性はすぐに携帯電話で大声で話し出した。周囲の乗客の大声での会話に負けないように女性も大声を出す。昭和30年代の日本の汽車の中も、街に行商に行く婆様達の会話がそうだった。

大連市内中心部とハイテクゾーンを結ぶ202電車

衣食足りて礼節を

この話を大連の友人に「やはりオリンピックの影響か?」と聞いてみた。すると友人曰く、「Zhutian("竹田"の中国語読み)、それは違うよ。2002年当時は搭乗券を持っていてもダブルブッキングで座れるかどうかわからなかった。だから喧嘩をしてでも先に乗る必要があった。今では間違いなく席はある。だから喧嘩なんかしないよ」。

なるほど。昔の話だが、我がパートナーの母親を初めて田舎の徳島に案内した時のことを思い出した。整列乗車なんて無視、常に横から割り込んで母親の席を確保していた。おそらく、同じ状況なら今でもそうするであろう。

その時にどう行動するか。追い込まれた時の行動はまた別である。出稼ぎ者の多い街は……生き残るにはまだ厳しい街なんだろう。

AFPによる先日のニュースで、アフガニスタン駐留米軍の兵士らが、同国の民間人を「スリルを楽しむために」射殺した事件で主犯の兵士に終身刑が言い渡された。きっとこの兵士も帰国すれば良き市民なのだろう。米国の例を挙げるまでもなく、我が日本もアジアで同じことをしてきたか。

インドはどうか。農村も都市のスラムも中国の出稼ぎ者の街よりさらに厳しい。農村では、干ばつになると借金が返せなくなって自殺に追い込まれる者も少なくない。干ばつでなくても、経済特区の建設が始まると土地を取り上げられ、毛沢東主義派に加わって「テロ」活動にしか生きる道がなくなる。明日の日本はどうなるか……。

また話がカタくなってしまった。あまりカタいことを書くと記事が読まれなくなってしまうので良くない。小悦悦の事件とは何も関係ないが、母親の一周忌で見つけた故郷・徳島の不思議な犬の話題。

お墓から1分のところでの光景。最初は何がなんだかわからなかったが、今日も元気に塀の上で日向ぼっこである。これは猫が犬をかぶっているわけではありませぬぞ。この光景を見てみたい方は筆者までご連絡を。場所を教えます。たとえ犬が塀の上にいなくても大丈夫、塀をノックすると喜んで登ってきます。中国の出稼ぎ者の街だとかインドの農村でこの「雄姿」を見せることができれば、少しは気持ちを和ませられるのではないか。

筆者の故郷 徳島での光景……猫じゃないですよ

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「(続)インド・中国IT見聞録」も掲載中。

Twitter:Zhutian0312 Facebook:Zhutian0312でもインド、中国情報を発信中。