デジタルハリウッド大学大学院教授、ヒットコンテンツ研究所の吉田就彦です。

このコラム「吉田就彦の『ヒットの裏には「人」がいる』」では、さまざまなヒットの裏にいるビジネス・プロデューサーなどの「人」に注目して、ビジネスの仕掛け方やアイデア、発想の仕方などを通じて、現代のヒット事例を分析していくコラムです。

第15回目のテーマは、風姿花伝 - 世阿弥に見るヒットの極意「花」

能の教科書とでも言うべき名著があります。15世紀初頭に世阿弥が書いた「風姿花伝」です。この「風姿花伝」は、世阿弥が父親で天才的な能役者と言われた観阿弥の教えを体系化して世に伝えた著書と言われていますが、その見事な能の全体像の組み立ては、後の「花鏡」とともに世阿弥の能の哲学をふんだんに感じさせるものです。

我々の先人が昔この様な書物を著したこと自体が驚きであると同時に、シェークスピア生誕の150年も前の時代に、演劇やショービジネスに関わるおそらく世界最古の教科書を、我が日本人が書いたことにも驚きます。

また、そこに書かれていることは、能だけに限らず現代の我々にとっても非常に有益な示唆を与えてくれるものです。特に能というものの本質を「花」と捉えた世阿弥の記述には、その「花」を生むためのさまざまな「工夫」が記されており、その「工夫」こそが、私が考えるヒットの極意と非常に重なるところで思わずうなります。私が「ヒット学」のヒット理論を考える上で大変参考にさせてもらった書物でもあります。

私が親しくさせていただいているブランドマーケティングの権威、丸の内ブランドフォ-ラムの片平秀貴さんも「世阿弥に学ぶ100年ブランドの本質」という本を出版されていますから、マーケティングの世界でも最近注目されつつあるようです。

世阿弥は、能における「花」とは単なる「美しさ」ということだけではなく、「面白さ」「珍しさ」と同じ心であると書いています。その「花」の心を窮めることこそが「能」における大事だとしています。

「珍しさ」は、単に普通の「珍しさ」ということだけではなく、通常の事柄に少し「工夫」を重ねることで微妙に良くなるような「珍しさ」なども含み、その「珍しさ」はちょっとしたところに新しさを生むというような記述もあります。

この「珍しさ」という概念は、私が「ヒット学」で提唱しているヒットの第3法則「常に新鮮な驚きがヒットを生む」ということと非常に似ています。その新鮮な驚きこそ「珍しさ」の本質と捉えてもよいのです。「珍しさ」とはどんなに素晴らしいものであっても1パターンではだめで、その1パターンを超える「工夫」によって、「珍しさ」というものがまた新たに引き出せるとしているのです。

また、それには単に奇抜なものもだめで、奇抜なものはただ奇抜なだけで面白くなく、古いものに新しいものを混ぜれば古いものでも新しくなり、そこに「花」が存在するとも書いています。

私がヒットの第3法則を「驚きがヒットを生む」ではなく「常に新鮮な驚きがヒットを生む」と主張しているゆえんがそこにあります。その驚き=珍しさは新鮮でなければならず、しかもそれは"常に"新鮮でなければならないとしたわけです。「風姿花伝第三問答条々」の中にこのような記述があります。

問。能に花を知ること、この条々を見るに、無上第一なり。肝要なり。または不審なり。これ、いかにとして心得べきや。

答。この道の奥儀を窮むるところなるべし。一大事とも秘事とも、ただこの一道なり。

これを現代語で解釈すると、能は花を知ることが大事だというが、よくわからないので教えてほしいとの弟子の問いの答えとして、世阿弥が、能の奥儀を窮めることこそが花を知るということであり、それ以外にはないと言っているわけです。そして、そのような「花」を窮めるためにはどうしたらいいかということも世阿弥は書いています。それは「物まね」「十体」「工夫」という具体的な方法論です。

世阿弥の言う「物まね」は、単に表面だけをまねるという意味ではなく、その対象を深く洞察せよと求めています。能にはその演目に出てくる「女」「老人」「法師」「鬼」などのさまざまな役どころがあるのですが、それの本質を深く学び演じるべきだと書いているのです。「物まね」も窮めれば、まさにその役になりきることができると書いています。「風姿花伝花伝第七別紙口伝」にこんな一節があります。

物まねに、似せぬ位あるべし。物まねを窮めて、その物にまことになり入りぬれば、似せんと思ふ心なし。さるほどに、面白きところばかりをたしなめば、などか花なかるべき。

似せようという心ではなく本当になりきってしまえば、それが花になるという意味です。世阿弥は、そんな物まねによって体得した芸態を「十体」と呼んで後世に残しました。そして、「物まね」でものごとの本質を見抜いて「十体」を体得することによって、それがアクションに反映されて、その上で「工夫」を窮めることにより「花」が得られると言っているのです。

その「工夫」こそがヒットの極意でもあるわけですが、私がプロデュースの7能力の「理解力」で言っていることは、まさに、この世阿弥が「物まね」で言っている本質への理解ということであり、その後の一連のプロデュース能力である「組織力」「働きかけ力」「柔軟力」を発揮して「1-100実現」に至る過程で、「工夫」をせよと書いているのです。

その「工夫」についても世阿弥は、具体的に、時と場合により演じ方を変えるようなテクニックや、演じ手が熟練者かそうでない者の違いや、観客の目利きのありやなしやへの対応など、実に事細かく体系化して、その「工夫」のヒントを書き表しています。

このように世阿弥の著書には、世阿弥だけに「能」という単なる遊興の舞を一大芸術体系とした「工夫」が溢れているのです。その「工夫」のあり方は、現代にそのまま通じるものが多くあり、さまざまなマーケティングのヒントを得られます。その意味では、世阿弥はその後の600年後をも見通した人間の本質に迫っているわけです。なので、それらの考察が現代までも有効な情報となっているのです。「花」というコンセプトで、能600年をプロデュースした男、それが世阿弥なのです。

執筆者プロフィール

吉田就彦 YOSHIDA Narihiko

ヒットコンテンツ研究所 代表取締役社長。ポニーキャニオンにて、音楽、映画、ビデオ、ゲーム、マルチメディアなどの制作、宣伝業務に20年間従事。「チェッカーズ」や「だんご3兄弟」のヒットを生む。退職後ネットベンチャーのデジタルガレージ 取締役副社長に転職。現在はデジタル関連のコンサルティングを行なっているかたわら、デジタルハリウッド大学大学院教授として人材教育にも携わっている。ヒットコンテンツブログ更新中。著書に『ヒット学─コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則』(ダイヤモンド社)、『アイデアをカタチにする仕事術 - ビジネス・プロデューサーの7つの能力』(東洋経済新報社)など。テレビ東京の経済ドキュメント番組「時創人」では番組ナビゲーターを務めた。

「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」とは…

アイデアをカタチにする仕事術として、「デジタル化」「フラット化」「ブローバル化」の時代のビジネス・スタイルでは、ビジョンを「0-1創造」し、自らが個として自立して、周りを巻き込んで様々なビジネス要素を「融合」し、そのビジョンを「1-100実現」する「プロデュース力」が求められる。その「プロデュース力」は、「発見力」「理解力」「目標力」「組織力」「働きかけ力」「柔軟力」「完結力」の7つの能力により構成される。

「ヒット学」とは…

「ヒット学」では、ヒットの要因を「時代のニーズ」「企画」「マーケティング」「製作」「デリバリー」の5要因とそれを構成する「必然性」「欲求充足」「タイミング」「サービス度」などの20の要因キーワードで分析。その要因を基に「ミスマッチのコラボレーション」など、6つのヒット法則によりヒットのメカニズムを説明している。プロデューサーが「人」と「ヒットの芽(ヒット・シグナル)」を「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」によりマネージして、上記要因や法則を組み合わせてヒットを生み出す。