デジタルハリウッド大学大学院教授、ヒットコンテンツ研究所の吉田就彦です。このコラム「吉田就彦の『ヒットの裏には「人」がいる』」では、さまざまなヒットの裏にいるビジネス・プロデューサーなどの「人」に注目して、ビジネスの仕掛け方やアイデア、発想の仕方などを通じて、現代のヒット事例を分析していくコラムです。

第13回目のテーマは、絶えず前進 - キリン・加藤会長の首位奪還への挑戦

1970 - 80年代の14年間、キリンはビール類の全国シェアが60%以上という圧倒的な強さを誇っていました。しかし、1987年にアサヒビールがスーパードライを発売して、王者キリンを猛追し追い上げ、ついに2001年にはキリンはビール類での首位をアサヒビールに明け渡すことになりました。そんなキリンの凋落の原因は、圧倒的な強さを誇っていたからこそ陥った強者病とでもいえるのかもしれません。

そんなキリンのピンチに2つの救世主が現れました。2005年に発売した「のどごし生」と本日のテーマである加藤壹康さん - 現・キリンホールディングス 取締役会長です。

2001年11月に全社員に向けて発信された「新キリン宣言」は、「お客様の信頼支持を再び獲得するために私たちの原点「お客様本位」「品質本位」をもう一度真剣に考えたい」というもので、ポイントはすべての活動を「お客様本位」と「品質本位」の2つの観点から総点検しようというものでした。

他社との競争で見失ってしまった「お客様本位」を取り戻すためにはどうしたらいいのか、そして、そのお客様に支持していただける「品質本位」の商品とは一体何なのか、そんな命題をオープンな社内コミュニケーションの中で議論できるような社内風土の形成にキリン幹部は奔走したといいます。

そんなことから特にキリンにとって大きな課題であった「非価格営業への改革=営業部門の変革」に取り組んだのが、当時酒類営業本部の営業部長や本部長を歴任した加藤さんでした。そんな加藤さんの活動を品質本位で作り上げた新商品「のどごし生」の存在が支えることになり、ついに長期低落傾向であったキリンのビール類でのシェア低下に歯止めをかけて、首位のアサヒに再び並ぶまでに回復させました。

先日、私はある会合でその加藤さんと話をさせていただく機会があって、その当時のお話を伺う機会がありました。加藤さんは大企業の会長さんなのですが、とても気さくなお人柄で、さまざまなお話を伺うことができました。

そのお人柄は、MITに海外留学されて、キリンUSAで取締役社長をされた方にしてはなにやら非常に日本的で、人との繋がりを大切にされているご様子は本当に現場営業のたたき上げという印象でした。

加藤さんが営業の現場で一番ご苦労されたのは、国内の酒類事業の再生へのチャレンジの根幹である価格営業から価値営業への転換で、前述した新キリン宣言に取り組むための大テーマのひとつが営業部門の変革でした。

過度な競走指向の結果がお客様の信頼を低下させてしまったという反省の上に立った改革は、どうしてもやり遂げなければならないもので、インセンティブ営業などの価格営業の過熱化を改め、お客様に価値を提案する価値提案型の営業戦略をとることが必須だったのです。

そのために、加藤さんはみずからキャンピングカーに乗って全国行脚を行いました。それは通常の飛行機や列車などで移動すると日本をくまなく回るには効率が悪いということから考え出された方法でした。各支店の営業会議やお客様への訪問、そして、昼間には新聞やラジオなどの取材/出演を精力的にこなしていきました。

はじめのころは、なんでそんな方法で……という空気だったといいますが、だんだん日数を重ねていくと、地方での評判を耳にした他の地方の従業員がしだいにその熱に侵されるようにノリが出てきたといいます。まったくホテル利用もしなく、キャンピングカーで寝泊まりする加藤さんたちに対して、各地方の営業所の皆さんから食べ物の差し入れなどさまざまな応援があったといいます。

その時の映像を少し拝見したのですが、大変な強行軍にもかかわらず、なにやら加藤さんは楽しそうで、会議後、営業所での従業員との握手の数々とその熱意の交換には、人の血が通っている様子が感じられ、なにやら微笑ましさすら感じました。このような加藤さんの全国キャラバンの甲斐もあって、全社的に営業改革が進んで業績も回復していったといいます。

失礼ながら私なりに加藤さんの事をビジネス・プロデュースの7能力でひも解くと、加藤さんが人を巻き込んでいった情熱的なこの試みは、まさに組織力の発揮と言えます。

ビジョンの下、仕事で結果を出すために、人やヒットの芽を巻き込んで組織化し、だんだんと大きな動きにしていく能力である組織力は、加藤さんのような大組織の長には必須の能力ですが、その人の巻き込み方に加藤さんの人間味を感じさせる行動がさらなる効果を発揮したともいえます。

よく言われることに、リーダーの資質としてリーダーシップとフォロワーシップの議論があります。リーダーシップとは自分の考えや方向付けを元に組織を自分でグイグイ引っ張っていくようなリーダー像で、フォロワーシップとは、組織みんなでそのリーダーを支えるように組織をマネージする方法です。最近は考える組織作りが重要になってきて、後者のフォロワーシップを指向する企業も多くなってきているようですが、この加藤さんのケースは、強いリーダーシップを保有しながらも組織に対してフォロワーシップを引き出そうとするような理想的なマネジメントにも映ります。

そんな加藤さんがポロっとおっしゃったことがあります。「あのとき、『のどごし生』がなかったらうちはつぶれてたな」 -- おそらく相当な決意で加藤さんはあの全国キャラバンを行ったのではないかと感じました。その鬼気迫る迫力が加藤さんの組織力に拍車をかけてあの成功を勝ち取ったわけです。

「絶えず前進」- そんな熱いメッセージを現在も発信し続けている加藤会長ですが、まさに「1-100実現」するビジネス・プロデューサーとしての覚悟が成した仕事だったわけです。

執筆者プロフィール

吉田就彦 YOSHIDA Narihiko

ヒットコンテンツ研究所 代表取締役社長。ポニーキャニオンにて、音楽、映画、ビデオ、ゲーム、マルチメディアなどの制作、宣伝業務に20年間従事。「チェッカーズ」や「だんご3兄弟」のヒットを生む。退職後ネットベンチャーのデジタルガレージ 取締役副社長に転職。現在はデジタル関連のコンサルティングを行なっているかたわら、デジタルハリウッド大学大学院教授として人材教育にも携わっている。ヒットコンテンツブログ更新中。著書に『ヒット学─コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則』(ダイヤモンド社)、『アイデアをカタチにする仕事術 - ビジネス・プロデューサーの7つの能力』(東洋経済新報社)など。テレビ東京の経済ドキュメント番組「時創人」では番組ナビゲーターを務めた。

「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」とは…

アイデアをカタチにする仕事術として、「デジタル化」「フラット化」「ブローバル化」の時代のビジネス・スタイルでは、ビジョンを「0-1創造」し、自らが個として自立して、周りを巻き込んで様々なビジネス要素を「融合」し、そのビジョンを「1-100実現」する「プロデュース力」が求められる。その「プロデュース力」は、「発見力」「理解力」「目標力」「組織力」「働きかけ力」「柔軟力」「完結力」の7つの能力により構成される。

「ヒット学」とは…

「ヒット学」では、ヒットの要因を「時代のニーズ」「企画」「マーケティング」「製作」「デリバリー」の5要因とそれを構成する「必然性」「欲求充足」「タイミング」「サービス度」などの20の要因キーワードで分析。その要因を基に「ミスマッチのコラボレーション」など、6つのヒット法則によりヒットのメカニズムを説明している。プロデューサーが「人」と「ヒットの芽(ヒット・シグナル)」を「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」によりマネージして、上記要因や法則を組み合わせてヒットを生み出す。