【コラム】

あの日あの時あのコンピュータ

16 「8ビット御三家」到来、イメージキャラもビッグ3 - 富士通「FM-7」

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あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事に趣味に、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか? 今回は「8ビット御三家」の一角、富士通の「FM-7」です。

【あの日あの時あのコンピュータ】バックナンバー

富士通を「御三家」に押し上げた立て役者

富士通は1982年(昭和57年)11月8日に、8ビットパーソナルコンピューター「FUJITSU MICRO 7」を発表、同日より販売を開始しました。広く知られている「FM-7」という名前は富士通のニュースリリースにも記載されている「略称」であり、「FUJITSU MICRO 7」が正式名称となります。

富士通「FM-7」。左手前にあるのがFM-7本体。その奥にあるのが左からカラーCRTディスプレイ、シリアルドットプリンタ、FMデータレコーダ、増設用ミニFDユニット、薄型ミニFDユニット。シリアルドットプリンタはFM-7本体よりも高い139,800円という値付けでした
写真提供:富士通クライアントコンピューティング

1981年には「FM-8」が発売されており、FM-7は下位機種として、そして16ビットパーソナルコンピューター「FM-11」が上位機種として発表。パフォーマンス的には、FM-7はFM-8を上回っていました。FM-7が性能の向上した後継機種であるにもかかわらず、下位機種として発表されたのは、まだFM-8を在庫として抱えていた問屋や販売店への配慮だったのかもしれません。実際、FM-7、FM-11の発表と同じタイミングで、FM-8用の周辺機器がリリースされています。この日本ならではの「思いやり」は今も昔も変わりませんね。

FM-7最大の特徴は、2-CPU方式の採用です。CPUに「MBL68B09」を2基搭載しており、基本処理を担当するメインCPUは、クロック周波数を4.9MHzまたは8MHzに切り替え可能。もうひとつのCPUにはグラフィック処理を担当させることにより(クロック周波数は4MHz)、高速化が図られていました。

ユーザー用メモリーは、64キロビット・ダイナミックRAMを8個実装し、64キロバイトを標準搭載。カラー表示モードでは640×200ドットの8色表示画面を1ページ、モノクロ表示モードでは640×200ドットの表示画面を3ページ表示可能でした。いま、手のなかにあるスマートフォンのメモリー容量、ディスプレイ解像度と発色数と比べると、隔世の感を禁じえません。

音楽機能もFM-8から進化しており、3音を発生する音楽機能LSIを標準実装。3重和音による音楽演奏や、ゲームなどで効果音を再生することが可能でした。画面と音を同時に出せることが売りになった時代だったのです。

FM-7にはマイクロソフトBASICを機能強化した「F-BASIC」が標準実装されていましたが、「OS-9」、「UCSD Pascal」、「FLEX」、「FM-CP/M」などもオプションで用意されていました。これらを利用するには高価なフロッピーディスクユニットが必要だったので、主に法人向けに用意されていたものです。

NECやシャープなど、先行するPCメーカーの競合製品よりも安価な126,000円という戦略的な価格で販売されたFM-7は、FM-8を上回る大ヒットを記録。富士通を「パソコン御三家」の地位に就ける立て役者となります。

FM-7のカタログ(クリックで拡大)
資料提供:富士通クライアントコンピューティング

FM-7との思い出

1980年代、筆者はシャープのクリーンコンピューター「MZ-2000」を愛用していましたが、MZ-2000はモノクロ表示(黒バックに緑色の表示)しかできませんでした。FM-7はドットごとに8色まで色指定できて、当時としては美しいカラーグラフィックを表示可能だったので、友人のFM-7をうらやましく眺めていたことをよく覚えています。

その頃、筆者は小学館「ポプコム」、徳間書店「テクノポリス」、電波新聞社「マイコンBASICマガジン」を愛読していたのですが、肌色成分の多い女の子グラフィックを描画する自作プログラムの投稿が、FM-7用として多かったと記憶しています。そんな思い出をFacebookに投稿したら、当時の貴重な情報が集まってきました。

私はこれまで知らなかったのですが、FM-7はBREAKキー以外のキーでは押下した結果しか取得できなかったそうです。つまりキーを押し続けている状態や、キーを離したタイミングを認識できなかったわけですね。そのためアクションゲームやシューティングゲームを作るためには、べつのキーに「止まる」という機能を割り当てざるを得なかったそうです。

そのためFM-7用の商用ゲームはリアルタイム性を要求されないアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームが多くなり、自作プログラムの投稿も、当時マンガやアニメで人気のあったキャラクターをモデルに、肌色成分の多い女の子イラストを描く作品が増えたようです。黒と緑の世界で生きていたMZ-2000ユーザーとしては、FM-7ユーザーが心底うらやましかったものです。

FM-7のプレスリリース(クリックで拡大)
資料提供:富士通クライアントコンピューティング

1982年11月、あの日あの時

FM-7が発売された1982年11月には、中央自動車道が全線開通しました。調布ICから八王子ICが開通したのが1967年12月。勝沼ICから甲府昭和ICが開通し、全線開通するのに15年の年月を要したことになります。開通時期の古い中央自動車道は急勾配やカーブが多いため、最高速度が一部を除いて80km/h以下に制限されています。くれぐれも安全運転を心がけてください。

ハリウッドで最も動きが速いと讃えられるアクション俳優ジェット・リーが、本名のリー・リンチェイ(李連杰)名義で初主演を果たした「少林寺」が公開されたのが1982年11月。1974年から5年連続で中国全国武術大会の個人総合優勝を果たしたリー・リンチェイをはじめ、ほとんどの出演者が本物の武術家。ノースタントで繰り広げられた迫力の格闘劇に全国の子どもたちは夢中になりました。

そして1982年11月はふたりの人気女優が生まれた月でもあります。ひとりは癒し系女優の深田恭子さん、もうひとりは穏やかな眼差しが印象的なアン・ハサウェイさん。おふたりとも、奇しくも11月12日が誕生日です。名女優を同じ日にふたりも世に送り出してくれた奇跡に感謝です。

さて、FM-7の大ヒットを受けて、富士通は1984年に「FM-NEW7」と「FM-77」、1985年に「FM-77AV」を発売します。その後1989年に発売された「FM TOWNS」の登場によってFM-7の系譜は途絶えますが、コストパフォーマンスを追求してパーソナルコンピューターを身近な存在にしてくれた功績は讃えられるべきものです。

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「あの日あの時あのコンピュータ」では、読者の皆さんからのご意見を募集します。記事で取り上げるコンピュータや思い入れのある名機のリクエスト、ご自身のエピソードなどをお待ちしています。また、コンピュータ本体や周辺機器の写真、カタログデータといった資料のご提供も大歓迎です。マイナビニュースの「ご意見・ご感想」からお寄せください。

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インデックス

連載目次
第16回 「8ビット御三家」到来、イメージキャラもビッグ3 - 富士通「FM-7」
第15回 早すぎたスマホ? - シャープ&ウィルコム「W-ZERO3」
第14回 カセット+ディスク、高嶺の花、憧れの的 - シャープ「ツインファミコン」
第13回 「8ビット御三家」最終形への夜明け前(その2) - NEC「PC-8001」
第12回 MSX最安パソコンでゲームもプログラムも学んだ - カシオ計算機「PV-7」
第11回 スリムノートブックの先駆者 - DEC「Digital HiNote Ultra」
第10回 世界最軽量のPC/AT互換機はウルトラマン - 日本IBM「Palm Top PC 110」
第9回 (番外編)「パーソナルコンピュータ」が熱かった1980年代の初頭
第8回 そのグラフィックと日本語BASICに、僕らは憧れた - トミー「ぴゅう太」
第7回 ユーザーが育て愛した手のひらサイズのPC - YHP「HP-200LX」
第6回 3年先、5年先を見据えた「クリーンコンピューター」 - シャープ「MZ-80C」
第5回 トラックボールに想いを馳せる - パナソニック「Let'snote AL-N1/AL-N2」
第4回 理想のコンピュータを目指して - 東芝「DynaBook J-3100SS」
第3回 旅立つVAIOに心を込めて - ソニー「VAIO PCG-505」
第2回 「8ビット御三家」最終形への夜明け前 - 富士通「FM-8」
第1回 国民機「PC-9801」の誕生

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