あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

ウルトラマンPCでございます。

IBM Palm Top PC 110

1995年(平成7年)9月25日、日本アイ・ビー・エムはPC/AT互換機として当時世界最軽量となる、約630gでA6ファイルサイズの超小型パソコン「IBM Palm Top PC 110」(以下、PT110)を発表しました。CMキャラクターにウルトラマンが登場したことから、「ウルトラマンPC」の愛称で多くのファンをつかんだコンピュータの誕生です。

PT110は、IBM野洲研究所の高密度実装技術により、携帯性と利便性を追求して開発されました。筐体には、ブラック・アルマイト加工された軽量の「超ジュラルミン」を採用。4.7型DSTNカラー液晶ディスプレイ(SVGAモードで256色)に、CPUはIntel i486SX-33MHzを搭載していました。

メモリは4MBまたは8MBで、HDDは内蔵しないものの、PCMCIA(PCカード)のTypeII×2またはTypeIII×1スロット、スマート・ピコ・フラッシュ専用スロット(4MB、10MB、15MB用)など、多彩なインタフェースを備えます。本体サイズはW158×D113×H33mm。ちょうど、VHSビデオカセットのサイズ(W188×D104×H25mm)とほぼ同等のコンパクトなボディに、デスクトップパソコン顔負けの性能を詰め込みました。

PT110は3モデル用意され、いずれも価格はオープン。直販のIBMダイレクトでは最小構成のモデル(2431-YD0)が16万9,000円からで、プリインストールOSは「DOS J7.0/V」でした。特に、最上位モデル(2431-YDW)には、ポートリプリケーターとフロッピーディスクドライブに加えて、Windows 3.1が導入されたPCカードの260MB HDDが標準添付され、これをPC カードスロットに挿入するだけでWindows環境が実現できました。また、正式サポートはされていませんが、メモリを8MB以上にすることでWindows 95に対応し、自分でカスタマイズするユーザーも多かったと記憶しています。

こんなに小さく手も立派なDOS/Vパソコン。標準のOSは「DOS J7.0/V」でしたが、Windows 3.1やWindows 95を動かすこともできました

DOS/V機に標準の106キーボードを実装。テンキーはないものの、キーの左右ピッチは10ミリ、上下ピッチはアルファベット部分で約9ミリ。「Ctrl」と「CapsLock」のキーが同じサイズで、キーを取り外して交換して使うユーザーもいました。

左側にある赤いボタンが、カーソルを動かす「ポインティング・ヘッド」。これを右に押すと、画面上のカーソルが右に、上に押すとカーソルが上に動きました。ポインティング・ヘッドの上下にある青と緑のボタンが、マウスボタンに相当します。青が左ボタン、緑が右ボタンです。本体の右側にも青と緑のボタンがあり、こちらもまったく同じ動きをします。

手書き入力用のメモパッドは感圧式を採用。センサー部は50×26mm、面積は197×170ドットを識別する解像度です

話が少しそれますが、PT110の生い立ちを振り返ってみましょう。1993年5月の「ビジネスショウ'93 TOKYO」にて、PT110の先駆けであるIBMのコンセプトモデル「モノリス」が展示されます。500gと軽量でありながら、Intel i386SL-20MHzのCPUを搭載し、2MBメモリ、VGA(640×480)の16階調モノクロ液晶、単三電池4本で駆動する、ブラック基調のスリムなDOS/Vパソコンでした。そのデザインが映画「2001年宇宙の旅」に登場する岩板のようなモニュメント「モノリス」にそっくりなことから名付けられたようです。

ただ、この画期的な製品は残念ながら市販化されることはありませんでした。筆者の想像ですが、ビジネス的な要素は別にして、機能面で5インチ未満のVGAに表示される文字が小さすぎ、さらにバックライトがないモノクロ液晶だと視認性が悪かった、といった理由があったのではと思います。そんな中、シャープ「ザウルス」や、Appleの「ニュートンMessagePad」の登場、第7回コラムで触れたYHP「HP-200LX」のビジネス的な成功など、モバイル端末が元気づいた次期でもあります。HP-95/100/200LXはWindows 3.1の動作が難しいスペックでしたので、PT110でWindows 3.1が動くというのは、モバイルユーザーにとって大変魅力的でした。

本体前面(写真左)の中央には液晶インジケーター。電源OFF時は時計。サスペンド中はバッテリ残量/時計(5秒間隔で表示切替)。動作中はACアダプタ(AC)の表示、ACなしの場合「バッテリ残量」が表示されます

左側面です。バッテリのフタにスピーカーが入っています。バッテリを抜くと、その空間がエンクロージャーの役目をするほか、スピーカーのフタで音の出る方向を変えられるユニークな構造です

遊び心と、スペック表には表れない利便性・拡張性

話を戻して、PT110の実機をよく見てみると、設計者の様々な遊び心と触れることができます(書き切れないほどあるのですが、3つほど取り上げます)。

(1) 電話になる

PT110は電話として使うことができました。電話用レシーバーとマイクロフォンを本体前面に内蔵しており、電話回線をそのままPT110の「WingJack」と接続することにより、本体が「電話機」になったのです。技術的には、まずSoundBlaster用のマイクロフォン、内蔵スピーカー、ヘッドセット端子があります。さらに、電話用のスピーカー、マイクロフォン、ヘッドセット用端子があるという、すべてが2重になっている構成です。コンパクトと軽量を追求した設計コンセプトと相反し、無駄とも言えます。

しかし、理屈ではなく筆者には、何かマニア心をくすぐるような、楽しさを感じます。ただボイス機能も、別途ソフトを利用する必要があり、内蔵モデムのカタログスペック上の表記は、「2400/9600bpsのデータ・FAXモデム」という表記になっていました(ソフトさえそろえば、データ・ボイス・FAXモデムとして機能します)。

背面です。左側の「WingJack」は、モジュラージャックを斜めに差すことによって、コネクタの角がジャックに入るだけの構造(本体内にスペースがいらない)。普段は端子カバーとなり、ごみなどの侵入を防ぎます

写真左は左側面です。スライド式の電源スイッチと、PCカードスロット(TypeII×2、またはTypeIII×1)があります。写真右は再び前面。右端のマイクロフォンは6穴。右側に小さな三角穴があり、着信するとLEDが点滅

(2) 汎用的なバッテリや軽量ACアダプタの採用

PT110には、重さ90gのリチウムイオンバッテリが採用され、ローパワー時に約3時間のバッテリ駆動が可能でした。また、動作状況を保存するボタン電池が搭載されていたので、メインバッテリを複数個用意して、本体をいったん休止したのちメインバッテリを交換、そして復帰といったことができました。

カタログには記載がありませんが、このメインバッテリには、量販店で購入できるビデオカメラ用のバッテリパック(当時のパナソニック用やソニー用もOK)が転用可能でした。汎用品ですので入手が楽で、安く購入できることは大変ありがたかったです。当時、ラップトップパソコンのバッテリはニッケルカドミウムが一般的で、完全放電してから充電するのがお決まりでした(メモリ効果を抑制するためですね)。ですので、完全放電が不要なリチウムイオンバッテリは魅力的でした。

ACアダプタには、120gの軽量プラグタイプが用意されます。220V電源には非対応でしたが、国内用途の100V電源対応に絞ることで、軽量化と小型化を図ったのでしょう。

ACアダプタの実測は126g、本体の実測は609gでした。写真右はバッテリです

(3) 隠れメッセージ

基板の増設メモリボードを外すと、MADE IN JAPAN「MONOLITH(モノリス) 1992」という刻印が現れます。さらに、「BOWMAN(ボーマン)」(映画「2001年宇宙の旅」に登場する船長の名)と書き込まれているチップも存在します。モノリス時代から数えて、3年がかりで製品化した開発者の想いが伝わってくるようです。

このように、PT110には、モバイルユーザーの購入欲を刺激するこだわりが随所に見られます。PCカードスロットに、キヤノン「デジタルカメラCE300」や、FM多重チューナーカード、TVチューナーなどと接続し、コンパクトPCの使い方をユーザーが創造する楽しさもありました。

すばやく起動、使いやすいPIM

今回の実機は、ライターS氏の私物です。残念ながら動きませんでした。この写真は12cmのCDケースとPT110を並べて撮りました。PT110の大きさがイメージできるでしょうか

PT110には、IBM大和研究所が専用に開発した統合ソフトウェア「Personaware」が標準で用意されます。電源スイッチを入れると、ピーと音がして、約7秒でランチャーまでたどり着きます(漢字はROMで搭載、BIOSの調整などチューニングの的確さを感じます)。

個別の機能は、予定表、備忘録(To Do List)、住所録、ノート、電話、FAX、世界時計、電卓、エディター、手書きメモ、パズルゲーム、電子メール、秘書機能などと多彩です。加えて、文字サイズを4段階で拡大・表示できました(V-Text機能)。3種類の入力デバイス(キーボード、ポインティングヘッド、手書き入力用のメモパッド)と併せて、なかなかの使い勝手でした。V-Textの利用で、モノリスの弱点であった文字の見づらさを克服しています。

余談ですが、「HP-200LXコネクティビティパック」(販売元 日本HP)に付属しているDOS版のSystemMangaerを使うと、HP-200LXとほぼ同等のものをPT110で動かすことができました。HP-200LXのデータもそのまま移行できたので、ユーザーフォーラムの間では、PT110のことを「110LX」などと呼ぶことがありました。筆者は、HP-200LX用「駅すぱあと」をPT110で利用したものです。

1995年9月、あの日あの時

1995年は8月25日、Windows 95(英語版)が米国など12カ国で発売されます。日本では遅れること約3か月、11月23日深夜0時に販売開始。東京・秋葉原は、深夜にも関わらず、5,000人を超える人々と多くの報道陣でまさに"お祭り騒ぎ"となりました。

筆者は、LAOX ザ・コンピュータ館でフロッピーディスク版を購入。20枚を超えるフロッピーディスクと格闘しながら、4時間を超えるインストール作業の後、Winodows 95を楽しみました。それからいくつもの製品発売の場を経験することになりますが、Winodows 95ほど盛り上がった発売の瞬間に出会うことはありませんでした。

1995年、パソコンの販売台数は570万台と、初めて自動車の新車登録台数を超えることとなります(JEITAデータ、日本自動車販売協会データによる)。パソコンは、日本独自のコンピュータ環境からWindowsという世界標準へシフトし、さらに身近な存在になっていきます。

スポーツの世界では、野茂英雄さんが米国のメジャーリーグ、ドジャースで活躍し、新人王を獲得しました。独特のトルネード投法で、メジャーリーグに単身チャレンジするその姿は、多くの日本人に勇気を与えました。多くの日本人メジャープレイヤーの先駆けとなったのは言うまでもありません。日米の「Nomoマニア」に愛され、当時のクリントン大統領が「日本の最高の輸出品」と称賛した姿は、ブランディングの成功とも言えます。

IBMは米国資本ですが、IBM Palm Top PC 110のモバイルに特化した製品仕様、ウルトラマンを使ったマーケティング施策など、日本独自のニーズや環境に合わせていかなければ成功しないという、ローカリゼーションの大切さを示した一例ではないでしょうか。IBMのパソコンビジネスは現在、レノボジャパンに引き継がれています。これからのパソコンも、CPUやストレージといった基本スペック、そして価格だけでなく、日本のユーザーニーズを汲(く)んだ個性的な製品を切に願います。

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