あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

VAIOショック

2014年2月6日、衝撃的ニュースが走りました。ソニーと日本産業パートナーズは、ソニーがVAIOブランドを付して運営するパソコン事業を、ソニーからJIPに譲渡する意向確認書を締結したという内容です。ソニーは、モバイル領域ではスマートフォンとタブレットに集中し、2014年春モデルを最後として、PC事業を終息します。 販売済みソニー製品のアフターサービスはソニーが継続するとのことです。

伝統あるVAIOブランドは存続されますので、明るい未来を信じて、いまこそ、VAIOシリーズ誕生について振り返ってみましょう。

「銀パソ」ブームの火付け役、ノートPC「VAIO PCG-505」誕生

「VAIO PCG-505」(写真提供:ソニー)

1997年(平成9年)10月15日、のちの「銀パソ」ブームに火を付けた、B5ファイルサイズのノートPC「VAIO PCG-505」(価格はオープン、販売開始時の店頭価格は25万円前後)が、ソニーより発表されます。

そのスペックは、Windows 95搭載、10.4型SVGA(800×600ドット/6.5万色)TFT液晶に、MMXテクノロジ Pentiumプロセッサ(133MHz)、32MBメモリ、1GB HDDというものです。きょう体にはマグネシウム合金を採用し、質量約1.35kg、薄さ23.9mmを実現しました。マーケティングメッセージは「マグネシウム合金を使用した美しいフォルムから、新しい使いやすさが広がります。」でした。

VAIO誕生までの道のりで、ソニーは一時、PC事業から撤退しています。VAIOは、同社のPC事業への再参入モデルとして位置づけられました。1997年6月3日の3モデル(ミニタワー型「PCV-T700MR」、ノートPC「PCG-707」「PCG-707」)の同時発表から、VAIOシリーズが誕生します。

VAIO PCG-505のカタログ(資料提供:ソニー)、クリックで拡大

当初の月産目標台数は、上記の3モデル合計で4,000台です。VAIO PCG-505は、先発VAIOシリーズ合計の2.5倍にあたる1万台の月産目標でしたので、いかに肝いりの戦略モデルだったかが分かります。VAIOは「Video Audio Integrated Operation」の略とされ、キーワードには「AV機器とパソコンの融合」を掲げました。赤外線通信が可能なIrDA(Ver1.1)ポートを標準搭載し、ソニーのデジタルカメラ「サイバーショット DSC-F1」(96年発売)などとのワイヤレス通信を可能にしました。

VAIO PCG-505は、当時の技術で極限といえるまで薄く設計されています。利用頻度の少ないコネクタ類を外付けにして本体から省き、その接続コネクタ(ポートリプリケータ用)を、メインボードから外して実装しています。コネクタのふたをゴム製にしていなければ、ふたが邪魔して接続できないほどの極省スペースです。メインボードも、背の高いLSIは裏面に集結させ(TSOPパッケージLSIなど1.5mm以下の部品は表)、CPUの熱もヒートパイプ経由でディスプレイ側に放熱するなど、新しいアイディアがふんだんに採用されています。

VAIO PCG-505との出会い

発表の翌月、11月20日木曜日、店頭で販売開始。

筆者は当時、大型パソコン専門店のフロアマネージャとして年末商戦に臨んでいました。薄型ノートPCは高額で売れないことが多く、苦戦を強いられていました。余談ですが、Digital Equipment Corporation(米Compaqに買収され、米Compaqは米Hewlett-Packardに買収されています)の「Digital HiNote」シリーズや、当時の世界最薄/最軽量だった三菱電機の「Pedion」など、60万円クラスの高額製品です。

実機の写真は編集Kのコレクションより。箱や付属品、オプション類など一通りそろっています。今となってはものすごく貴重。写真右のVAIO PCG-505(動作しているところ)は、編集Hの私物です。標準の1GB HDDを4GB HDDへ換装して、Windows 98 Second Editionをインストールしてありました。それにしても、編集部に声をかけたら2台のVAIO PCG-505がサクッと現れたことに驚きました。本文でも述べていますが、どれだけ売れた製品だったかが分かります

しかし、VAIO PCG-505は、明らかに違うオーラを放ちます。一目惚れするデザインと、その色「バイオレット」から製品名を連想させる店頭映えする魅惑的な本体。細部を見ると、薄型にも関わらずモジュラージャックがそのまま付いているではありませんか。シャーシの限界いっぱいまで迫る「RJ-11」端子からは、作り手の気迫を感じます。

コネクタ形状を変更すれば、もっと容易に薄型が実現できたであろうところを、「使いやすさ」を優先して設計されています。当時のモバイラーは、公衆電話BOXの中からダイヤルアップ接続で通信する機会が多かったものです。特殊な変換コネクタだと、なくしたり、接合部が緩んだりするなど、狭い電話BOXの中で悪戦苦闘を強いられていました。こんなシーンでも、標準的なRJ-11端子が便利でした。

同様に、キーボードのストロークも2mmとしっかりあります。「最薄」「最軽量」などの強いメッセージはありませんでしたが、使いやすさとデザインを両立し、ユーザニーズを具現化した小型薄型ノートPCが出たという印象でした。

販売サイドとしては、25万円という価格はスイートスポットであり、初回入荷分は即完売。すぐにバックオーダーを抱えることとなります。VAIO PCG-505を何台確保できるかで、店舗売上を左右するほどの人気機種になったものです。それから半年後、競合各社から次々と、同モデルを意識したような「黒ではないパソコン」(銀パソ)が店頭に並ぶようになります。

天面には「VAIO」のロゴ(写真左)。遠目にはエンボス加工っぽく見えますが、実はプリント。本体デザインを「ここまでやるなら」、ロゴもエンボス加工して欲しかったという声がありました。当時、マグネシウム合金は加工が難しく、エンボス加工は断念したという開発話を聞いた覚えがあります。液晶を開いたときのフォルムは、現在のノートPCともほとんど変わりませんね(写真中央、写真右)

左側面

右側面

正面

側面のインタフェース類です。電話回線モデム、専用I/Oポート、フロッピーディスクポート、PCカードスロットなどが当時を物語っています。今では当たり前のUSB端子も、当時は珍しいものでした。ちなみに、Windows OSがUSBをサポートしたのは、OEM専用だった「Windows 95 OSR 2.1」からです(OSRはOEM Service Releaseの略)。実際には、USBが広く普及したのは「Windows 98 Second Edition」からでした

背面とバッテリです。円筒形のバッテリが斬新でした。形状や着脱機構を見ても、コストがかかってそうですよね

写真が前後しますが、VAIO PCG-505のパッケージ内容です(写真左)。チラシ類などすべて保存している編集Kに驚きです。写真にはありませんが、増設メモリの箱までありました。VAIO PCG-505の増設メモリは専用モジュールで、当時は32MBで4万円くらいでした。ソフトケースを付属させていたのも、「モバイル」を本気で考えていたであろうソニーらしい配慮ではないでしょうか

テカテカのキートップは使い込みの証。キーピッチは17mmと狭かったのですが、慣れると普通にタッチタイプできるものです。PC歴の長い読者諸氏の中には、最近のアイソレーション型ではなく、写真のような往年のキーボードを好む方も多いのではないでしょうか(キースイッチはパンタグラフ式やメンブレン式ですね)。また、VAIO PCG-505にはスタイラスペンが付属していました。液晶ディスプレイはタッチパネルではないので、キーボード下のタッチパッドを操作するためのスタイラスです。液晶ディスプレイ横の収納も凝っています

VAIO PCG-505の内部です。バッテリ部分の円形カバーを外したり、フラットケーブルを外したりと、分解の難易度が高い部類でした。写真中央はマザーボード上のジャンパ結線です。良い意味で、味わい深いですね。写真右はキーボード部分の裏面です

本体左側面の専用I/Oポートとフロッピーディスクポート(写真左)。写真中央は付属のフロッピーディスクドライブ、写真右はフロッピーディスクドライブを本体に接続したところです。この当時は、まだまだフロッピーディスクが普通に使われていました

本体の専用I/Oポートに接続するポートリプリケータ(オプション)。セントロニクス型でIEEE1284準拠のプリンタ(パラレル)ポート、D-Sub出力、PS/2端子(マウス/キーボード用)、シリアル(RS-232C)ポートを搭載しています

オプションのスピーカーユニット。本体の液晶ディスプレイ(左右側面)に取り付けて使います。スピーカーユニットを取り付けると、上述のスタイラスペンが出し入れできなくなるという…

オプションのCD-ROMドライブ。インタフェースはPCカード、電源はACアダプタです。本体にヘッドホン端子とボリュームダイヤルを持っていました。ローディング方式は、トレイ式でもスロットイン式でもなく、いわゆる「フタ」です

フロッピーディスクドライブ、CD-ROMドライブ、ポートリプリケータ、スピーカーユニットを取り付けたところ。VAIO PCG-505本体はB5ファイルサイズですが、ここまでくるとちょっとした「システム」ですね

おまけ。VAIOブランドのボール式マウス、PCカードスロット用の10BASE-T/100BASE-TX対応有線LAカード、標準で内蔵する1GB HDD(東芝製のMK2016GAP)です。VAIO PCG-505は有線LANも無線LANも搭載していなかったので、ネットワークに接続するためには写真のような有線LANインタフェースが必要だったのです

1997年10月、あの日あの時

97年10月14日に、トヨタが世界初の量産ハイブリットカー「プリウス」を発表します。「プリウス(PRIUS)」はラテン語の「~に先だって」という意味で、「21世紀に間に合いました。」というCMが流れ、新生代パッケージと先進的デザインが強調されていました。カタログでのイメージカラーが、期せずして銀パソブームと同じ「銀」でした。

10月22日には、安室奈美恵さん(当時20歳)がTRFのSAMさんと電撃結婚を発表。人気絶頂アイドルの結婚発表は、ファンだった私にとって衝撃的でしたが、「CAN YOU CELEBRATE?」が同年のレコード大賞に選ばれ、紅白歌合戦で紅組のトリを務めるなど、日本中が暖かくお祝いするムードの年末を迎えます。

また、1997年のインターネット人口(※1)は、1,155万人で人口普及率9.2%でした。2013年の同人口9652万人、同普及率97.5%と比較すると10分の1程度です。メーカー側も、インターネットの普及を見通して様々な関連デバイスを開発します。10月1日にソニーが発表した初の「WebTV」専用端末、インターネットターミナル「INT-WJ200」は、家庭でのインターネットライフを提案する意欲的な製品でした。※1:通信白書(現・情報通信白書)より抜粋。

通信インフラについても、モバイルに移行する転換点の年といえるでしょう。NTTの固定電話加入数が6,284万(2013年9月では3,136万)とピークを迎え、その後は減少の一途をたどります。

話が冒頭に戻りますが、今回のソニーが下した決断(モバイル領域はスマートフォン/タブレットに特化)は、ダウンサイジングや快適なモバイルインターネットライフを追及した結果、自然の成り行きともいえます。ただ、AV機器とPCの融合を目指し、デザインのカッコよさ、常に斬新なアイディアを取り入れ続けてきた「ソニーらしいVAIO」のスピリットは、伝統として受け継がれることを心より期待しています。

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