毎日欠かさず使用している"生活必需品"がなくなりそう…

先日、どうしても妻に買ってきてほしいものがあった。それは僕が家で毎日欠かさず使用している"生活必需品"で、それがついになくなりそうになったため、新たに補充してほしかったのだ。もちろん自分で買いに行っても良いのだが、そのときの僕はあいにく仕事が忙しく、しばらく買い物に出かけられそうになかったのである。

しかし、それを妻になかなか言い出せなかった。そのときは妻もたまたま多忙な時期だったため、そこで新たな頼みごとをしたら、彼女の機嫌を損ねてしまいそうだ。

また、目的の品が育毛シャンプーと育毛プロテインであることも、僕の気後れに拍車をかけた。去る2月中旬に30歳になったばかりの妻に、アラフォーに差しかからんとする男のデリケートな頭髪事情を理解できるわけがない。日を追うごとに抜け毛が増えていく僕にとって、この育毛剤セットは重要な生活必需品なのだが、妻はそれを軽く考えている節がある。そう思うと、ますます言い出せなかった。

昔から人に頼みごとをするのが苦手

そもそも、僕は昔から人に頼みごとをするのが苦手なのだ。だから、組織でする仕事には向いておらず、現在の執筆稼業のように一人で作業するほうが性に合っている。

実際、作家になる前の僕はテレビ番組の構成の仕事をしていて、その当時は集団仕事だったから、この苦手意識がより際立った。仕事の手伝いを後輩に頼むことができなかったため、一人で大量の仕事を抱え込むはめになり、次第に心身が疲弊していった。

一時期、自分のこういう性格を直そうと、勇気を出して後輩たちに仕事の手伝いを頼むようにしたことがあった。すると、そんなある日、後輩たちが僕に関する内緒話をしているところを、たまたま聞いてしまった。

「また、山田の野郎に妙なこと頼まれたよー。ったく、うぜえよな、あいつ」

ショックだった。後輩たちは陰で僕の悪口を言っていたのだ。

それ以降、僕は頼みごとがますます苦手になった。誰かに嫌われるくらいなら、自分で抱えたほうがいい。そんな意識はやがて集団仕事への苦手意識に変わり、30歳のころ個人仕事への転身を図った。それが、現在の作家稼業につながっているのだ。

ついに決心、だが"毛生え薬"と言われ…

翻って、先日の育毛セットの件である。妻に買い物を頼もうと思い立ったのはいいものの、それがどうしても言い出せず、悶々とする日が続いた。しかし、そうこうしているうちに育毛剤の残量は容赦なく減っていき、頭髪の危機が近づいてくる。もう限界だ。

かくして、ある日の朝、僕は勇気を出して妻に声をかけた。

「ねえ、忙しいところ悪いんだけど、今日中に買ってきてほしいものがあるんだ」

すると、リビングで洗濯物をたたんでいた妻の表情が少し険しくなった。

「なにを?」

「育毛シャンプーと育毛プロテインなんだけど」

「えー、マジでー。今日はちょっと忙しいんだよね」

「ごめん、そこをお願いします。今日中に補充しないと、なくなっちゃうんだ」

「だったら、もっと前から言ってよねー」。妻はそう言うと、頬を大きく膨らませた。「今日は家でやらなきゃいけないことがたくさんあるのに、買い物に出かけたら一日潰れちゃうじゃん。だいたい、毛生え薬がちょっとなくなるくらい別にいいじゃん」

その言葉に、僕は思わずカッとなった。ムキになって抗弁する。

「け、毛生え薬って言うな! 育毛剤だよ、育毛剤! 言葉に気をつけろよなー」

「どっちでもいいでしょ。毛生え薬がなくなったくらいで死にはしないって」

「馬鹿、毛根は死ぬ可能性があるんだよ!」

「はいはい、わかったわかった。買ってくればいいんでしょ」

「やっぱりいいや」と前言を撤回、だが帰宅すると…

結局、妻は渋々引き受けてくれたものの、今ごろになって僕の中に妙な罪悪感が湧き起こってきた。頼みごとは成功したはずなのに、なぜか気分が悪いのだ。

「やっぱりいいや」。気づくと、僕はそう口走っていた。自分のわがままで頼んでおきながら、自分のわがままで前言を撤回する。我ながら面倒な男である。

当然、妻は困惑し、深い溜息をついた。「だから、買ってくるって言ってるでしょ。今さら撤回しないでよ」。なだめるように言うと、呆れた表情を浮かべた。

それでも僕はかたくなに拒否した。「イヤイヤだったら別にいいって。毛生え薬がなくたって死にはしないんだから」。もはや意地である。本当は買ってきてほしいくせに。

こうして頼みごとは失敗に終わり、僕は打ち合わせのため、家を出た。実際は失敗というより、自分で勝手に台無しにしただけなのだが、僕の中に潜在している頼みごとへの苦手意識はかなり根深いようだ。その日は一日中、気分がすぐれなかったほどである。

しかし、夜になって帰宅すると、洗面所に新しい育毛セットが備えてあった。色々あったものの、妻は夫の本音を察し、多忙の合間を縫って買ってきてくれたのだろう。

僕は妻に深く感謝すると同時に、子供じみた自分が恥ずかしくなった。これからはもっと妻を信頼して頼みごとをしよう。彼女はあのときの後輩たちと違うのだ。

<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち)
小説家・エッセイスト。1976年大阪府出身。早稲田大学卒業。『神童チェリー』『雑草女に敵なし!』『SimpleHeart』『芸能人に学ぶビジネス力』など著書多数。中でも『雑草女に敵なし!』はコミカライズもされた。また、最新刊の長編小説『虎がにじんだ夕暮れ』(PHP研究所)が、2012年10月25日に発売された。各種番組などのコメンテーター・MCとしても活動しており、私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。

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