どういうわけか、女性はいきなり不機嫌になる。と、こう書くと全国の御婦人方に怒られそうだが、少なくとも僕にはそれが女性特有の心理現象に見えてしょうがない。

たとえば、ある旦那がいつものように仕事から帰宅し、玄関で「ただいまー」と言ったとする。すると、なぜか家にいるはずの妻からの反応がまったくなく、旦那は「聞こえなかったのかな?」と思いつつ、玄関で靴を脱ぎ、その足でリビングに向かう。

そしてリビングのドアを開けた瞬間、旦那の全身に嫌な予感が走る。なぜなら、リビングにいる妻の表情があきらかに暗く、部屋の空気もなんとなく重くなっているからだ。

このとき、旦那が真っ先に考えるのは「妻が怒っているのか否か?」ということだ。だから、それを確認するため、旦那はわざとにこやかな口調で様々な話題を妻に投げかけることになっている。「夕飯はなに?」「今日、会社でこんなことがあってさあ~」「お、そのピアスかわいいじゃん。どうしたの?」そうやって妻の反応をうかがうわけだ。

ところが、それに対して妻が徹底的に無言を貫くか、あるいは「別に……」という沢尻エリカ的な素っ気ない一言だけを残す場合がある。こうなったら、たいていの旦那は「妻が怒っている」と確信し、今度はその怒りの理由を考えることになっている。

やばい、なんで怒っているんだ? 俺、なんかやったっけ? ひょっとして、何かがばれたということか? けど、その何かってなんだ? まさか、あれか――?

不思議なことに男という生き物は、妻が何かに怒っていると、無意識のうちに「その理由は自分にあるのではないか?」と考えることになっている。事の真相は、たとえば妻がママ友と喧嘩したことであったとしても、世の旦那の多くはそんな冷静な想像力を働かせることができず、なぜか最初に自分を疑い、おまけに勝手に怯えることになっている。

それを御婦人方は「自分にやましいことがあるからでしょ?」と指摘なさるかもしれないが、いやいや、実際はそうではない。少なくとも僕は、自分に何もやましいことがなかったとしても、妻の突然の不機嫌に堂々としていられるほど神経が太くなく、きっと自分が何かやったのだと、自己を振り返ってしまうだろう。浮気や浪費の覚えがなくとも、たとえば大便を流し忘れたのかもしれないとか、もしや寝言で下ネタでも発していたのかもしれないなどと、あらぬ心配を駆りたてられるわけだ。

果たして、ここからが本格的に厄介なのである。旦那が様々な話題を投げかけても妻の反応が薄いため、旦那はいよいよ「もしかして怒っている?」と核心をつくわけだが、そこで素直に「うん、怒っているよ」「うん、不機嫌だよ」などと認めてくれるケースはほとんどない。この場合の女性は、それでも徹底して無言か「別に」を貫くものであり、解決の糸口は一向に見えてこない。だから、男性は余計に困惑するのだ。

長くなって大変申し訳ないが、これが冒頭に書いたところの「女性のいきなり不機嫌現象」である。実際、男性が数人集まって女性論を交わし合えば、この話題は必ずと言っていいほど出る。男性目線限定の「女性あるあるネタ」のひとつだ。

さて、この現象について、僕の妻に真相を訊いてみたことがある。

すると、彼女は二つの原因が考えられると教えてくれた。ひとつは旦那に対して本当に怒っている。もうひとつは別に何かにはっきりと怒っているわけではないけど、なんとなく気分的に落ち込んでいるだけ――。前者の場合はある意味しょうがないが、後者になると、これはもう手に負えない。原因がない不機嫌に解決策などあるわけないからだ。

しかしこういうとき、男は狼狽(うろた)えてはいけないのだ。僕も以前は妻が「いきなり不機嫌現象」を発生させたとき、それをなんとか回復させたくて、あの手この手の策を練り、解決に励んだものだ。妻の機嫌をとろうと饒舌になったり、積極的に家事を手伝ったり、とにかく自分から何かを仕掛けたものだが、そのほとんどが効果を発揮することはなく、かえって妻に鬱陶(うっとう)しがられるという泥沼にはまっていったものだ。

そんな僕の対応が大きく変わったのは、ある日の出来事がきっかけだった。その日、妻が通算何度目かの「いきなり不機嫌現象」を発生させ、しかも後者の「理由は特になしパターン」だったため、僕はどうしていいかわからず、ただ困惑するしかなかった。ところが翌朝になると、妻の不機嫌は意外なことであっさり完治したのだ。

完治の理由は、昨夜の妻がぐっすり眠れたということである。

正直、これには拍子抜けしたものの、冷静に考えると膝を打つものがあった。子供のころ、よく祖母が「睡眠は万病に効く」と言っていたが、まさにその通りだ。医学が発達していない時代を生きた人間にとって、快眠とは己の自然治癒能力を高める唯一の方法であり、それは精神面においても効果的だったのだろう。よく考えれば、人間の怒りや不機嫌は一種の精神の乱れであり、病気にたとえるなら心が風邪を引いたようなものだ。

だったら、なおのこと寝れば治るわけだ。不機嫌になるということは、心身が疲れている証拠だ。だから世の男性は、妻が「いきなり不機嫌現象」を発生させたとき、狼狽えることなく、妻に快眠を促すように努めればいいわけだ。

<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち)
小説家・エッセイスト。1976年大阪府出身。早稲田大学卒業。『神童チェリー』『雑草女に敵なし!』『SimpleHeart』『芸能人に学ぶビジネス力』など著書多数。中でも『雑草女に敵なし!』はコミカライズもされた。また、最新刊の長編小説『虎がにじんだ夕暮れ』(PHP研究所)=写真=が、10月25日に発売された。各種番組などのコメンテーター・MCとしても活動しており、私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。

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