一部の業者では、600倍というハイレバレッジのFXを扱うところも登場してきた。レバレッジ600倍といえば、仮に10万円の証拠金でフルレバレッジをかけると、何と6,000万円の建て玉が可能になる。

仮に、1ドル=90円で6,000万円相当の米ドルを買うとすると、米ドル建ての想定元本は66万6,666ドルになる。そして、当初預託した証拠金に対して、80%の損失が生じたところで強制ロスカットという条件が付与されていた場合、どこまでの円高リスクに耐えられるのか。

80%の損失ということは、最初に預託した証拠金額が10万円だとすると、8万円の損失が生じたところで強制ロスカットになる。つまり、6,000万円の評価額が5,992万円に目減りしたところということだ。この場合に、強制ロスカットと相成る為替レートを計算するためには、5,992万円を米ドル建て元本である66万6,666ドルで割ればよい。答えは1ドル=89円88銭。買いポジションを取った時の為替レートが1ドル=90円だから、わずか12銭幅で円高が進んだだけで、強制ロスカットになってしまう。

このように言うと、何やらとてつもなくハイリスクな投資法のように思えてくるが、預託した証拠金が、自分の保有資産全体から見て、仮に失ったとしても生活に支障を来さない額に抑えられているのであれば、それほど心配する必要はない。強制ロスカットは、預託した証拠金を超えた額の損失を被るリスクを事前に回避してくれるという意味において、リスクの軽減効果が期待できる。

もちろん、レバレッジが大きくなるほど、強制ロスカットされるまでの値幅は小さくなるが、預託した証拠金を超える損失を被るリスクを避けることができるという点では、レバレッジの高低に関係なく、リスク軽減効果は同じということになる。

今、FXに対する規制の問題が、金融庁を中心に進められている。具体的には、投資家の証拠金を全額、信託保全にすることが義務化されることに加え、レバレッジを規制しようという動きも浮上してきた。具体的に、最大レバレッジを何倍までにするのか、その辺が論点になるが、話によると、50倍前後に抑えられるという。

懸念されるのは、FXのマーケットが一気に収縮してしまうことだ。海外の事例を見ると、90年代前半の香港において、FXのレバレッジを規制したがために、FXのマーケットが急激に縮小してしまったという話がある。確かに、マーケットが乱高下するなかでもFXの人気は衰えていないが、その理由のひとつとして、レバレッジを効かせ、小さな値動きのなかで短期トレードを繰り返す、スキャルピングを行っているFXトレーダーの存在が大きいことを忘れてはならない。レバレッジを、現行に比べて極めて低倍率にするような規制を行えば、恐らく短期トレーダーの多くが、FXマーケットからの撤退を余儀なくされる。

FXの魅力は、外貨預金や外国債券など既存の外貨建て金融商品に比べ、極めて低コストで外貨投資ができることにある。加えて、レバレッジをかけずに外貨預金的な運用もできれば、思いっきりレバレッジを高めてギャンブル的な運用もできるという、トレードの幅の広さも魅力のひとつに含まれる。この魅力が損なわれるような規制をするべきではないだろう。

どんな道具も、使い方を誤れば凶器になる。自動車だって、正しく乗ればこの上なく便利な移動手段だが、猛スピードで走らせれば事故につながり、人命を失わせる恐れへとつながる。そうであるにも関わらず、国産車なら、高速道路の制限速度を大きく上回る180キロまで出るように設計されている。極端な話だが、FXのレバレッジを規制するのであれば、自動車のスピードも100キロまでしか出ないように規制してはどうだろう。

別に、レバレッジ1,000倍というFXがあっても良い。何倍でトレードするかを選ぶのは、あくまでも投資家の判断だ。どのFX会社も、ハイレバレッジの設定のみというわけではなく、きちっとローレバレッジのトレードもできるようにしている。

むしろ規制するべきは、FXマーケットに参入する業者の認可基準だろう。自己資本規制比率は設けられているが、今もって顧客資産を持ち逃げするFX会社が後を絶たない。この部分を強化した結果、現在130社余りあるFX会社の数が半減したとしても、それは別に何の問題でもないが、「外貨投資をしてみよう」と考えている投資家の意欲を削ぐような規制は、やはり行うべきではない。

執筆者紹介 : 鈴木雅光氏(JOYnt代表)

主な略歴 : 1989年4月 大学卒業後、岡三証券株式会社入社。支店営業を担当。 1991年4月 同社を退社し、公社債新聞社入社。投資信託、株式、転換社債、起債関係の取材に従事。 1992年6月 同社を退社し、金融データシステム入社。投資信託のデータベースを活用した雑誌への寄稿、単行本執筆、テレビ解説を中心に活動。2004年9月 同社を退社し、JOYntを設立。雑誌への寄稿や単行本執筆のほか、各種プロデュース業を展開。