主要企業の春の賃上げ交渉は昨年実績を下回る結果に

2016年春の賃上げ交渉はこのほど、自動車、電機など主要企業が一斉回答を行いましたが、昨年実績を下回る結果となりました。世界経済が不透明感を増す中で経営者側が慎重な姿勢を強めたためで、低水準の賃上げは国内景気浮揚には力不足と言えそうです。

2016年春闘 自動車・電気大手の主な賃上げ回答

主要企業の回答は、春闘のリード役であるトヨタ自動車が月額1,500円のベースアップ(ベア)となり、前年実績4,000円を大幅に下回ったのをはじめ、日産自動車3,000円(前年実績5,000円)、ホンダ1,100円(同3,400円)、富士重工1,300円(同3,300円)など、軒並み前年を下回りました。

また電機では日立製作所、パナソニックなど大手5社がベア1,500円の回答で、前年実績3,000円の半分にとどまりました。電機業界では例年は大手が統一要求・統一回答で足並みをそろえますが、今年は経営不振に陥っているシャープと不正会計問題で経営が悪化している東芝が統一交渉から外れたことも、特殊事情とはいえ、業界を取り巻く経営環境の厳しさを印象づけました。

この一斉回答を受けて日本労働組合総連合会(連合)が3月18日時点で集計した「第1回回答集計」によると、回答が出たのは全体の約1割にあたる711組合で、定期昇給とベアを合わせた賃上げ額の平均は6,341円となり、前年同期(第1回集計)を1,156円下回りました。賃上げ率も前年同期より0.35ポイント下回る2.08%となっています。

一斉回答日(2016年3月18日)時点の回答状況

慎重姿勢の背景は?

春の賃上げは、2014年と2015年はアベノミクスによる景気回復を背景に金額・率ともに前年を上回り、特に2015年は過去最高のベアが相次ぐなど、経営側も賃上げに積極姿勢を打ち出していました。しかし今年は一転して慎重姿勢に転じました。これは、昨年後半から世界経済が変調をきたし、さらに今年に入って世界的に株安・原油安が進むなど先行きへの不安が広がったことが背景にあります。特に自動車・電機などの輸出産業にとっては年初からの急速な円高によって経営環境が一段と厳しくなりました。

春の賃上げ推移(3月の一斉回答日時点)

春闘では長年にわたって自動車や電機を中心とする主要企業の回答が第1陣となって、それが全体の賃上げの目安になってきました。その両業種は世界経済や円高の影響を受けやすいという特徴があり、それが全体の賃上げにも影響していくのです。私もその昔、春闘の取材に走り回った経験がありますが、その時々の経済情勢が企業経営者のマインド、そして賃上げ回答に色濃く反映されていく様子を見てきました。それは今も昔も変わることはなく、今年はまさにその典型だと言えます。

こうした経済環境の悪化は経営側だけでなく、労働組合側にも大きな影響を与えました。自動車と電機大手の各組合は「ベア3,000円」の要求で足並みをそろえましたが、これは前年の要求額6,000円の半分です。しかも自動車の要求は前年実績をも下回り、電機では前年実績と同じ。つまり、前年実績以上は要求しない、言葉を換えれば「昨年以下でいい」と言っているようなものだったわけです。このような労組側がスタートから弱気の姿勢だったことが、今年の春闘のもう一つの特徴でもあります。

デフレマインドの根強さ

このように書くと、労使双方から反論が出てきそうです。「賃上げだけ見れば前年を下回ったが、格差是正では前進した」と。たしかにその通りです。前述の連合の集計によると、組合員数300人未満の組合では賃上げ額が5,226円、率が2.07%と、前年同期(第1回集計)より521円、0.19ポイントの縮小となり、全体の縮小幅(1156円、0.35ポイント)より小幅にとどまりました。連合では「規模間格差は縮小している」と評価しています。

個別企業でも、グループ内で親会社を上回る賃上げを回答した子会社、パートなど非正規労働者の賃金を正社員以上に引き上げるケースなどが数多く報道されています。

ただそれでも賃上げそのものが低調な状況には変わりありません。今年の春闘を見ていて痛感するのは、デフレマインドの根強さです。たしかに世界経済は不安定で日本経済も足踏みしています。しかしそれでも、春闘での労使の"委縮ぶり"はやや過大ではないかとの印象はぬぐえません。昨年までの前向きな空気がしぼんでしまったことは残念と言わざるを得ません。

その結果、ハシゴを外されたのが政府です。安倍政権は経済の好循環を実現するには賃上げが必要だとして、昨年に続いて今年の春闘に向けて労使双方に「十分な賃上げを」と要請してきました。賃上げを起点に消費を上向かせ経済の好循環を持続させるというのは、アベノミクスを成功させるうえで重要なメインシナリオなのです。しかし結果は政府が期待した水準には届いていないと言っていいでしょう。

客観的に見ても、今年の賃上げ程度では消費を刺激する効果は小さそうです。このままではヘタをすれば安倍政権のシナリオは実現があやうくなるかもしれません。

消費税10%への引き上げ延期の可能性

そこで考えられるのが、消費税の10%への引き上げ延期です。賃上げが低調となった状況の中で、消費税を引き上げれば消費者心理は一段と悪化する恐れがあります。そうなれば景気が腰折れしてデフレ脱却が遠のきかねません。それを防いで、消費者心理を上向かせるには消費増税延期が有力な手段であることは確かです。

消費増税の再延期の可能性があることについては、この連載で昨年10月以来、何度か指摘してきましたが(第44回第49回第54回など)、最近は各メディアでも報道されるようになってきました。これに加えて春闘の結果が、再増税延期の決断を後押しする材料となる可能性も出てきたと言えそうです。

春闘は今後4~5月にかけて各業種や中小企業で交渉・回答が続き、5月上旬ごろにはほぼ全体が決着しますが、ちょうどその頃はおそらく2016年度の補正予算や景気対策が打ち出される可能性があり、5月下旬には伊勢志摩サミットが開かれます。

実は、国際的にも消費増税延期を容認する空気が生まれています。これまで主要国は欧州経済危機の影響などから「財政健全化」を最優先する路線が主流で、日本の消費増税の背景の一つにもなっていたものです。しかし2月下旬に開かれたG20(20カ国)の財務相・中央銀行総裁会議で「世界経済のリスクと脆弱性が高まっている」として、それに対応するため「すべての手段――金融政策、財政政策、構造政策――を用いる」と声明で宣言しました。これは財政出動を容認したことを意味します。つまり日本も消費増税延期によって、こうした国際協調の動きと足並みをそろえるとの選択肢がありうるわけです。

安倍首相の消費増税延期か否かの決断も、サミットが開かれる前の5月頃になると思われます。それとセットで衆院解散の行方も見えてくるでしょう。5月は日本経済の今後を左右する重要な月になりそうです。

執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。