【コラム】

経済ニュースの"ここがツボ"

38 中国はなぜ人民元を切り下げた? - 「経済安定」こそ習近平政権の生命線

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連載『経済ニュースの"ここがツボ"』では、日本経済新聞記者、編集委員を経てテレビ東京経済部長、テレビ東京アメリカ社長などを歴任、「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーとして活躍、現在大阪経済大学客員教授の岡田 晃(おかだ あきら)氏が、旬の経済ニュースを解説しながら、「経済ニュースを見る視点」を皆さんとともに考えていきます。


人民元をもっと安くして輸出を増やし景気をテコ入れする必要が強まった

中国の突然の人民元切り下げで世界中に衝撃が広がりました。中国はこのところ景気の減速が目立つ中で輸出も減少しているため、自国の通貨を安くすることによって輸出のテコ入れを狙ったもので、景気対策の一環といえます。それは理屈上、株式市場にとってプラス材料のはずなのですが、あまりにも突然だったことと、人民元の制度が不透明なため、逆に「そこまで中国の景気は悪いのか」とショックが広がり、世界中の株価が急落する結果となりました。

この問題の背景や影響を理解するには、人民元の特殊性についてまず認識する必要があります。私たちがよく知っている円やドル、ユーロなどの主要通貨は変動相場制の下で自由に売買されて相場が形成されていますが、人民元は中国政府が相場を強力に管理しています。中央銀行である中国人民銀行が毎朝、対ドルの人民元レートについて「基準値」を発表しており、取引に参加する銀行はこの基準値の上下2%以内の変動幅でしか売買できない仕組みです。しかしこの基準値の算出方法の詳細は公表されていません。

今回はこの基準値の水準を切り下げたものです。切り下げと同時に、基準値を「前日終値を参考にして決定する」と発表しました。これによって相場の実勢に近づけるとしています。

歴史的に見ると、これまで人民元相場は緩やかに上昇傾向をたどっていました。中国経済の成長と輸出増加を背景に2005年には人民元の切り上げを実施し、その後もきわめて小幅ずつですが元高方向で推移していました。この時期は、中国経済の実力から見るともっと元高になってもおかしくなかったのですが、急激な元高は輸出企業に打撃となるため、中国当局が元高進行を抑える姿勢が目立っていました。リーマン・ショック直後から2010年頃までは国内の輸出企業への影響に配慮して、人民元の上昇を完全に抑え込んでいたほどで、こうしたところにも元相場の特殊性が表れています。その後は景気回復につれて中国当局は再び緩やかな元高を容認し、いわば"管理された元高"が続いていました。

ところが昨年ごろから、こうした流れに変化が起きていました。中国の景気減速を反映して元高圧力が弱まり、むしろ元が安くなる傾向が出ていたのです。輸出額(ドルベース)もかつては前年同月比30~40%増が当たり前でしたが、次第に伸び率が鈍化傾向となり、今年に入るとほぼ毎月マイナスに転じています。

輸出以外でも、最近は低調なデータが目立っています。7月の新車販売台数は前年同月比7.1%の減少で4カ月連続で減少、減少幅は2008年12月以来最大となりました。消費や生産の伸びも鈍化が続いており、設備投資と建設投資の動向を示す固定資産投資は1-7月に11.2%増と、2000年12月以来15年ぶりの低い伸び率となっています。6~7月には上海株価指数が急落したばかりで、これも中国当局もなりふり構わぬ市場介入と株価対策で何とか下げ止まっている状態です。

こうなると中国としては、人民元をもっと安くして輸出を増やし景気をテコ入れする必要が強まったわけです。これが今回の人民元切り下げの背景です。8月11日から3日間連続で基準値を切り下げ、その率は3日間で4.6%に達しました。グラフを見ると人民元の水準を大幅に押し下げたことが分かります。前述の通り人民元制度はもともと不透明で、中国政府の政策意図にそって相場形成が行われていますが、それに加えて今回はかなり強引に元を安くしようとしたと言えます。

「北戴河会議」の最中の人民元切り下げ、習近平政権の危機感と強い意志

今回の人民元切り下げにはもう一つ、タイミングに注目する必要があります。

それは、習近平国家主席をはじめとする最高指導部と長老が河北省の避暑地に集まって「北戴河会議」を開いているとみられることです。この会議は毎年8月に開かれ、国家の重要テーマや人事について話し合う場で、共産党大会など表立った公式の会議以上に重要な会議と言われています。その最中に人民元切り下げを決定したのですから、習政権の危機感と強い意志が表れていると見ていいでしょう。

これは先の株価急落に対する必死の株価対策と同じです。中国政府が7月上旬に相次いで株価対策を打ち出したことは、この連載(第35回)で書いた通りですが、中でも「悪意ある空売り」への取り締まりは公安当局が主導して行っている点が際立っています。腐敗摘発で権力基盤を固めようとしている習政権にとって、経済済が混乱するような事態になれば政権安定があやうくなりかねないとの事情があるのです。「経済安定」は習政権の生命線とさえ言えるもので、人民元切り下げもそうした一連の対応の一環と見ることができます。

人民元切り下げの効果はある?--国際的には今回の切り下げには批判

それでは人民元切り下げの効果はあるのでしょうか。元安によって多少は輸出が増加する効果があるかもしれません。しかしそれによって景気全体をテコ入れできるほどのインパクトがあるかどうかは不透明です。景気の減速は一時的な動きではなく構造的な背景があるためで、景気の立て直しはそう簡単ではありません。

逆に国際的には今回の切り下げには批判が強まっています。米国など先進国の間では従来から「中国は実力以上に元安になるよう操作している」との批判が根強くありますが、さらに元安にしたわけですから、批判が強まるのは当然でしょう。本来は変動相場制に移行すべきところを逆行する動きでもあり、元の国際化も遠のく結果になりかねません。

また世界の株価が急落したことに見られるように、市場には中国の景気が減速を通り越して悪化に向かっているとの見方が急速に強まっています。元の切り下げ自体は8月11日から3日連続で実施されたあと14日には一応終了し、世界の株価はいったん下げ止まりました。しかし中国の景気悪化によって原油の需要が減るとの懸念から、原油がNY市場で6年5か月ぶりの安値をつけました。金相場も下落するなど、元切り下げの余波は続いています。

日本への影響は?

日本への影響はどうでしょうか。元切り下げによって中国の景気が持ち直せば、日本にとってもプラスになるはずですが、中国の景気悪化が続くようなら日本にもマイナスの影響が出る可能性があります。たとえば、日本から中国への輸出減少、中国に進出している日本企業の業績悪化、訪日中国人の減少などが考えられます。

いずれにしても今や中国は世界経済にとって最大のリスクとなっていますが、そんな折も折り、天津の爆発事故が起きました。事故の影響で周辺の工場の操業停止や世界4位の天津港のマヒなどで景気の足を引っ張る恐れがありますし、日本の自動車メーカーなども被害を受けた模様です。中国国内では事故への対応をめぐって政府への批判が高まっているとの報道も出ています。

こうした状況の中で、前述の通り中国政府の危機感の強さを考えると、さらなる景気対策を打ち出してくる可能性があるかもしれません。しばらくの間は、元切り下げの効果が出てくるのかどうか、そして景気が持ち直すかどうかを見きわめる重要な局面が続きそうです。

執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。

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インデックス

連載目次
第91回 28日衆院解散 - 消費増税などが争点、一転して「自民vs小池新党」の構図に
第90回 米債務上限引き上げ・デフォルト回避で安心感 - しかしトランプ大統領と身内・共和党の溝広がる
第89回 トランプ政権は崩壊寸前!? 米政治不安で株安・円高か - バノン氏解任で政策修正の期待も
第88回 日本橋の高速道路を地下化が具体化 - 都市景観を改善、周辺の再開発と連携
第87回 選挙で明暗分かれたイギリスとフランス - イギリスのEU離脱の行方は混迷
第86回 G7で亀裂を呼んだトランプ大統領 - ロシアゲートで前途に暗雲
第85回 フランス大統領にマクロン氏、ポピュリズム拡大にひとまず歯止め - 新政権のカギは経済立て直し
第84回 フランス大統領選"3度目のまさか"は避けられた - 安堵感広がるが、なおリスクも
第83回 英国がEU離脱を通知 - 交渉は難航か、スコットランドなど国内にも火種
第82回 オランダ総選挙の次はフランス大統領選 - 欧州の政治リスクは続く
第81回 トランプ大統領に批判集中だが、NY株価は11日連続で史上最高値
第80回 “日本批判”を封印した日米首脳会談に安堵感
第79回 トランプ大統領の日本批判は事実誤認--だが日本経済は逆風に耐える力あり
第78回 トランプ次期大統領の矛先がトヨタへ - 2017年は保護主義、ポピュリズムの「懸念」が「現実」に?
第77回 トランプ新大統領を迎える米国を現地取材 - やはり根強い批判、しかし景気は予想以上に好調
第76回 Brexit、トランプの次はイタリア・ショック!?--欧州経済危機再燃の恐れも
第75回 "トランプ大統領"で株高・円安いつまで?--景気には期待、保護主義には警戒
第74回 トランプ大統領の衝撃--保護主義が最大の懸念だが国内経済政策には期待も
第73回 米大統領選の世論調査、トランプ氏が上回る - 株価下落・円高が現実に!?
第72回 米大統領選はどうなる!? 大詰めで波乱 - 市場は「トランプ大統領」を警戒
第71回 米大統領選が終盤戦 - 苦しくなったトランプ氏、浮かび上がった3つの問題点
第70回 現地で見た”Brexitショック”のその後(下) - スコットランド独立? 北アイルランドも!?
第69回 現地で見た"Brexitショック"のその後(上) - 予想外に活気があった英国
第68回 リオ五輪のメダル最多で、景気は本格回復!? 五輪と景気の意外な関係
第67回 28兆円の経済対策と内閣改造 - アベノミクス再強化でデフレ完全脱却めざす
第66回 トルコのクーデター未遂事件の影響は? 中東安定、難民問題、欧州経済の鍵
第65回 参院選の与党勝利はアベノミクスへの信任--脱デフレへ10兆規模の経済政策
第64回 英国EU離脱ショックはリーマン・ショック級--欧州統合は空中分解のおそれ
第63回 英国がEU離脱なら株安・円高進行のおそれ
第62回 消費増税を延期した本当の理由 - 経済成長なしに財政再建はあり得ない
第61回 伊勢志摩サミット、注目は"財政出動"--終了後に消費増税延期を正式決定か
第60回 急激な円高・株安はなぜ起きたか - 米大統領選も円高要因に?
第59回 セブン&アイ鈴木会長、突然の退任に波紋 - セブンは強さを維持できるか
第58回 公示地価は全国平均で8年ぶり上昇、地方圏も底上げ--資産デフレ脱却へ前進
第57回 自動車・電機など賃上げ低水準、景気浮揚には力不足 - 消費増税延期の後押し材料に?
第56回 "トランプ旋風"いつまで続くか - 世界経済にマイナスの影響のおそれ
第55回 シャープが台湾・鴻海の傘下入りで再建の行方は? - 創業者・早川徳次の不屈の精神を取り戻せるか
第54回 株安・円高が加速 - 主な原因は海外だが……
第53回 マイナス金利の影響早くも広がる - 預金金利引き下げなど続々
第52回 マイナス金利を導入したのはなぜ? - 景気回復が期待できる4つの経路
第51回 原油安で"イランつぶし"を狙ったサウジの戦略は変化するか?--減産の兆しも
第50回 原油安はいつまで続くのか!?--サウジVSイランで減産どころかシェア争いも
第49回 2016年、日本経済はどうなる?--"景気回復続く"4つの理由、消費増税再延期も!?
第48回 2015年の世界経済、救ったのは"米国"--2016年はギリシャ、原油安など要注意
第47回 パリの同時テロ、低迷する欧州経済に追い討ちか--"移動の自由"はどうなる!?
第46回 幕末の「薩長土肥」に学ぶ地方創生のヒントとは!?--日本は今"第2の明治維新"
第45回 中国やブラジルなど新興国はなぜ変調?--今や"世界経済最大のリスク"に
第44回 消費税の軽減税率、安倍首相は財務省に不信感--再増税自体の先送りも?
第43回 ノーベル賞日本人2人受賞の快挙が示す日本の底力
第42回 VWは不祥事の"典型"パターンの一つ--トップの指示? 黙認?
第41回 VWの排ガス不正、"史上最悪"の企業不祥事 - 自動車業界全体に影響広がる
第40回 欧州への難民流入、EU統合の理念揺るがす--受け入れめぐり"東西対立"
第39回 日経平均下落の原因は"中国"だけではない--"安倍景気"息切れ、追加緩和も
第38回 中国はなぜ人民元を切り下げた? - 「経済安定」こそ習近平政権の生命線
第37回 優等生・東芝はなぜ「利益水増し」を行ったのか!?--日立への対抗意識も動機
第36回 ギリシャ・チプラス首相はなぜ"豹変"したのか!?--EU支援決定の舞台裏
第35回 中国株はなぜ急落したのか!?--EUと深い関係、ギリシャ危機の影響に注意
第34回 ギリシャ「緊縮反対」が"勝利"、デフォルト・ユーロ離脱に突き進むのか!?
第33回 ギリシャ、ついにデフォルトか!?--7・1デフォルトの場合、国民投票はどうなる?
第32回 ギリシャ危機はひとまず回避、しかし険しい道続く--ロシア・中国の影も…
第31回 米国の利上げはいつ? - イエレン議長のバックグラウンドを考慮すると…
第30回 円安はどこまで進むのか?--米国はいつまで円安を"容認"する!?
第29回 日本の対外純資産が24年連続で世界一、もはや"貿易"で稼ぐ国ではない!?
第28回 "どん底"からの復活 - シャープは創業者・早川徳次氏の精神を取り戻せ
第27回 トヨタが3期連続最高益へ、好決算の陰で"死角"はないのか!?
第26回 安倍首相訪米の隠れた"もう一つの成果"--なぜ米国は「円安」を容認するのか?
第25回 「TPP交渉」加速の陰に「AIIB」の存在あり--日本を巡り米国と中国が綱引き
第24回 セブンが独走し明暗分かれるコンビニ業界--セブン好調はマック低迷と関係!?
第23回 「株価回復は2万円で終わりではない」 - 長期的な上昇相場の"通過点"
第22回 日銀短観、「景況感は横ばい」の"謎"--デフレの"トラウマ"いまだ
第21回 サウジはなぜイエメン内戦に介入!?--原油価格や世界経済に新たな波乱要因か?
第20回 貿易赤字が縮小傾向、何が起きているのか? - その原因と影響を探る
第19回 3月中にも「日経平均2万円」達成か--"賃上げ・原油安"が強烈な追い風に
第18回 賃上げ機運高まる - "実質賃金"はプラスに転換できるか?
第17回 なぜ日経平均が15年ぶりの高値をつけたのか!?--日本経済の"歴史的転換"背景
第16回 「日経平均」が15年ぶりの高値、過去3回の上昇局面と何が違うのか!?
第15回 ギリシャの「ユーロ離脱」はありうるのか?(3)--ドイツへの"敵意"の背景とは!?
第14回 ギリシャの「ユーロ離脱」はありうるのか?(2)--ユーロ発足時から危機の"タネ"
第13回 EUはけしからん!? - ギリシャの「ユーロ離脱」はありうるのか?
第12回 ECBがついに「量的金融緩和」、原油価格の下落で"最終決断"
第11回 フランスのテロ事件、経済への影響は? - 世界を揺るがす「地政学リスク」
第10回 なぜ原油価格が下落している?(2) - ヘッジファンドなどの資金が一斉に"逃げ"
第9回 2015年の米国経済、注目点は!? - 3つの構造変化で景気持続の可能性
第8回 2015年の日本経済はこうなる - 「日経平均2万円」へ"4つの追い風"
第7回 原油安でルーブル暴落、ロシアは一体どうなるのか?--欧米による"経済制裁"!?
第6回 総選挙で自民・公明の与党が勝利、でも株価が下落したのはなぜ?
第5回 なぜ原油価格が下落している? - OPECと米国が"我慢比べ"、日本への影響は?
第4回 "訪日外国人数"が過去最高 - 「観光」は"経済成長"の柱になりうるのか?
第3回 "GDPショック"走る - 消費再増税延期・衆院解散でアベノミクスの行方は?
第2回 「米中間選挙」でオバマ民主党が"歴史的大敗"、日本経済への影響は?
第1回 "電撃的"だった日銀の「追加緩和」~その背景と効果は?

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