【コラム】

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67 意外にあなどれない"デブ"の癒し効果 - 「空中ブランコ」(奥田英朗)

    一井おん  [2006/08/31]

    こんにちは。ちょっとうれしい遭遇をした、イチイです。なんと、先週の日曜日、24時間番組の企画マラソンで、公道を走っているお笑い芸人を目撃したのです。

    週末のレジャー旅行の帰り、車に乗っていると、都内の国道で不自然な渋滞にハマりました。何だろう? と思って先を見れば、典型的な黄色いTシャツの軍団が。頭の中でチャリティーと24時間番組とが結びつくまでに、コンマ1秒もかかりませんでした。大勢の黄色いスタッフやギャラリーを吸い付けるようにして走っているのは、昨晩深夜にテレビで見た通りの2人組。車内一同、興奮しましたね。私たちのような小市民にとって、有名人に遭遇するのはただでさえ血わき肉躍るイベントであるのに、お祭り騒ぎの渦中の人です。合コン相手にたとえるなら、「今日スッチー相手なの!?」くらいのガッツポーズです。車の窓を全開にして、一同は一斉に叫びました。「がんばれー! がんばれー!」と。

    帰宅後、何年かぶりにその番組を真面目に観ました。もちろんゴールの瞬間まで。イチイはアンタッチャブルと彼らの区別もつかないくらいお笑い系には疎い人間なのですが、1度ナマを目にしてしまうと、それまで何とも思ってなかった人にも親戚のおばちゃんのような親近感がわいてしまうものです。「アラー頑張ってるわねー」と見守り、ついにゴールした瞬間はほっと胸をなで下ろしたものです。

    しかし、感動の嵐であるはずの場面を目にしつつも、違和感を禁じ得ませんでした。この奇妙な感じの原因はわかっていました。

    イチイには、彼らがちっとも大変そうには見えなかったのです。

    足を引きずって歩いている彼らの姿は目にしていたし、休憩時間を削ってものすごい長距離を走っていたことはわかっているのに、記憶の中のマラソン企画のあの、倒れちゃうんじゃないか、と思うほどの悲壮さを感じられなかったのです。

    思うに、あの弱々しい体格が原因じゃないかと。これは想像ですが、制作側の意図としては、あの「倒れるんじゃないか」感の演出に、あの体格が多いに役立ってくれるはずだったのです。しかしそれが逆効果だった。そもそもマラソン選手の体つきは極限まで無駄を削ぎ落とした形をしているわけだし、それに似たビジュアルと予想以上の彼らの基礎体力・精神力による若干の余裕も相まって、視聴者は「意外と平気そう?」と思ってしまったわけです。結論としては、来年はもうちょっと太った人を走らせればどうかと。

    "デブ"。"デブ"はかつて侮蔑の言葉でした。語源をWebで調べてみると諸説あるようですが、Double chin(二重あご)の英語由来説が有力のようです。ダブチンじゃん! まあそれはどうでもよいとして、この、いかにもどうしようもない人間っぽい語感はよろしくない。それに、"デブ"は基本的にヒーローにはなりえません。どっちかというと主人公の友人とか、補佐とか、お笑い担当とか、そういったポジションが多かったのではないでしょうか。

    このようにして長いこと虐げられ、主役の地位に着けなかった歴史を持つ"デブ"を、あえてトラブルシューターである主人公とし、それを見事に成功させた小説、それが「空中ブランコ」です。「ガール」で大ヒットしている奥田英朗さんの直木賞受賞作です。

    神経科医のドクター伊良部は、重~い身体で軽~いノリという、今までになかったタイプのトラブルシューターです。彼のもとにはさまざまな悩みを抱えた患者が訪れます。空中ブランコにどうしても失敗してしまうサーカス団員、先端恐怖症のヤクザの若頭、義父のカツラを剥がしたい衝動を抑えきれない医大教授など。いずれも生き方に関わってくるような深刻な悩みなのですが、伊良部先生は笑い転げたり、「じゃあカツラ剥がしてみればいいじゃーん」と言ったり、軽いノリで対処します。そして毎回何やかんやと理由をつけては趣味であるビタミン注射を打ちまくる。医者とは思いがたい破天荒ぶり。また風貌も、やせぎすにメガネといったような神経科医の典型的なイメージとは正反対の、「中央アフリカからやってきた動物のカバ」と形容される丸々とした巨体。そういった身体で、空中ブランコを自分にもやらせてほしいとせがむのですからたまりません。

    ドクター伊良部の最たる魅力は、その太った身体にマッチした天衣無縫さにあるといってよいでしょう。本当に治療のことを考えているのか? と思えるような軽口や、子供のように無邪気なイタズラ、好奇心。初めは悩みを抱えていた患者もドクターのハチャメチャなペースに巻き込まれて、ついには真の原因につきあたり、悩みから解放されるのです。そこには、医者と患者の心の絆とか説教なんて、シンキくさい要素はちり1つ介入しません。そのため、読んでいて爽快になれるのです。

    "デブ"にもいろんなタイプがいます。見ていてほんわかとした気持ちにしてくれるタイプというと、となりのトトロなんていい例ですね。もしドクター伊良部が太った身体でなければ、この小説の魅力は半減していただろう、と思うくらいに、上手い"デブ"の使い方をしたと感心したのでした。

    「空中ブランコ」

    著者:奥田英朗
    出版社:文藝春秋
    価格:840円
    データ形式:.book
    購入サイト:電子文庫パブリ

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