退屈なのは世の中か、自分か―――。
6月、ゴシック調の力強いフォントで書かれた挑戦的で挑発的ですらあるポスターが、渋谷や六本木など、都内の駅をジャックした。このコピーを見て思わずドキッとした方も少なくないのではないだろうか? ポスターをよく見ると、コピーに比して、小さく写るカメラの写真と、「new angle, new day」の文字。――"カメラを持ち歩き、気軽に撮影を楽しむことで、視点を変えよう"というメッセージが込められた「new angle, new day プロジェクト」――。仕掛け人はリコーだ。

東急東横線 渋谷駅をジャックしたリコー「new angle, new day プロジェクト」

「GR DIGITAL」に代表される、機能美に優れるコンパクトデジタルカメラを世に送り出しつづけるリコー。ラインナップには、日々携帯したくなるコンパクトなボディとデザイン、出会った驚きや感動をそのまま瞬時に写真に残してくれる一眼レフカメラにも劣らない描写力を有するカメラが並ぶ。

そのようなカメラが生まれるデザインの現場はどうなっているのか? リコーのデジタルカメラ全般のデザインを総括する立場にあるデザイナーの奥田龍生さんにお話をうかがった。

"機能的な道具"を目指したカメラ

リコー 総合デザインセンター プロダクトデザイン室 デザイナー 奥田龍生さん

携帯電話に付属するカメラも含めれば、誰もが日常的にカメラを持ち歩く時代。リコーはどのような信念にもとづいて、カメラをつくっているのだろうか。

「カメラらしさ、機能的な道具としてのカメラを目指しています。たしかに、携帯電話でも写真を撮ることはできますが、(露出を変えたり、絞りやシャッタースピードを変えたりすることで)そこにより自分の意思を反映させたい。クリエイティブな心に響く道具をつくりたいと思っています」

"毎日持ち歩きたくなる道具"として、デザインは大切な要素。見た目や触感、サイズなど、どういった部分に留意してデザインは進むのだろうか?

「使われるシーンや、使う人の気持ちに立ってデザインをしています。たとえば、GRだったら、ハイアマチュアやプロフェッショナルの方が仕事用の写真を撮ることもあるかもしれないし、CXだったらカメラの初心者の方が旅のスナップなどに使う機会が多いかもしれない。そういうことを考えています」

2005年10月、GR DIGITALの誕生

リコーのデジタルカメラといえば、やはりGR DIGITALを抜きには語れない。一眼レフのサブという立場ではなく、プロフェッショナルのメイン機としても愛されたコンパクトフィルムカメラ「GR1」が誕生したのが1996年。その後、代名詞である高性能レンズ「GR LENS」は、「GR10」「GR21」などへと引き継がれていく。そして21世紀に入り、カメラの主流は、フィルムからデジタルへ。必然的に、"GRのデジタル化"を要望する声は社内外で大きくなっていった。

リコーのデジタルカメラの草創期から携わっている奥田さんは、まさに現場で当事者のひとりとして試行錯誤を重ねていた。

「GR」をデジタル化するにあたり、数多くのプロトタイプがつくられた

「社内でもGRのデジタル化を期待する声は多かったのですが、ただ銀塩をデジタルにするだけでは意味がないわけです。模索を続け、最初のモックアップが完成したのが2002年でした。それから企画が具体化し、いくつものスケッチ、試作、および外部の有識者、カメラマンへのヒアリングなどを経て、2005年10月に発売となりました。GRの存在が認められていたおかげで、発売の2か月前にブログを開設した際もかなりの反響がありました」

リコー発信のブログのみならず、プロアマ問わず、自身のウェブサイトやブログ上でGR DIGIRALについて語り、撮影した写真を掲載し、多くの関連本が出版されたことは記憶に新しい。

F1.9レンズ搭載で話題を呼んだ、最新モデル「GR DIGITAL III」

おもに、銀塩の時代と変わらない描写に注目が集まったが、黒く精悍な外観や、にぎったときに手のひらにフィットする感触などもまた見事に受け継がれ、そして進化していた。

「グリップはカメラの命だと考えています。グリップは銀塩の頃から受け継がれた伝統のかたち。一般の一眼レフに使われるゴムよりも柔らかいので、手に吸いつく感じがすると思います」

2005年に「GR DIGITAL」、2007年に「GR DIGITAL II」、2009年には「GR DIGITAL III」を発表。機能は着実に進化しているが、見た目はほとんど変わらない。そこにも、リコーのデザイン哲学が反映されている。

液晶表示も整然としている。色弱の方でも見やすいように黒地に黄色を設定 ※「CX2」

「小さなことではありますが、使い勝手がいいように電源ボタンの高さを変えたりするなどユーザーの意見を取り入れています。ただ、新しいバージョンが発売されても基本的なデザインは不変です。

GRは特別ですが、RICOHのロゴも、IIやIIIというマークも入っていません。カラーバリエーションも限定品(これまでにイラストレーターの寺田克也さんによる一周年記念モデル、ファッションブランドSTUSSYとの限定コラボモデルを発表)を除けばブラックのみ。これも先ほどお話した『きっと、GRを手にするのはこういう人だろう』と考えた結果です」

クリエイターに愛される理由

私事だが、日頃GR DIGITAL IIを愛用させてもらっている。自分のまわりの編集者やライター、デザイナーにも愛用者は多い。なぜだろうか?

「クリエイターの方が重視するマクロや広角がよく撮れるという製品の特性や、広角の単焦点のみという"オールインワン"のカメラにはない潔さ、道具としてのデザイン性などが評価されているのでは。モノとしてのコンセプトが上手く伝わっているように思います」

「new angle, new day」をテーマとするフォトコンテストも進行中

付け加えるならば、その"こびない"デザインの姿勢が評価されているのだと思う。他業種のたとえになってしまうが、国産の自動車メーカーなどにおいて、車種名は同じにもかかわらず、機能面はさておき、モデルチェンジのたびに大幅にデザインが変わるものが多い。その車のアイデンティティはどこに行ったのか? それなら名前も変えるべきではないのか? などと感じることもしょっちゅうだ。それに比べて、GRは銀塩からデジタルに変わり、機能の面で正統な進化をつづけつつも、ベーシックなデザインは変わっていない。同じく業界内で名機とうたわれる「LEICA」や「HASSELBLAD」などがそうであるように。

しかし、デザイナーの本能として、GRのデザインをいじってみたい衝動にかられることはないのかと尋ねたが、「ありません」ときっぱり。営業などの他部署のスタッフからもデザインやカラーに関する変更や追加の要望はないそうだ。GRに関しては社内でも共通理解がはかられているらしい。

では、他のデジタルカメラはどうだろうか?

「エントリー層向けの高倍率ズームモデル『CX』シリーズでは、まずカメラを持つ喜びや、撮影を楽しんでほしいので、カラーリングにもこだわっています。最新モデル『CX3』では、新たにスミレ色を採用したり、従来からあったピンクとシルバーのツートンモデルにもよりインパクトが強い派手なピンクを用意しました」

「CX」シリーズでは、カラートップパネル交換サービスも用意している

昨年末に発売されたばかりの、ユニット交換式カメラシステム「GXR」ではまた事情が異なる。

「ハイアマチュアやプロフェッショナル向けの『GXR』ではまた考え方は違います。使い勝手には自信を持っていますが、斬新な機構ゆえにまずは使ってもらわないとわからない。手に取りやすいコンパクトサイズだけではなく、往年のGRファンにも納得していただける質感を実現しています」

「レンズ+撮像素子+画像処理エンジン」が一体化したユニットを交換する「GXR」。「レンズと撮像素子の最適チューニングができるほか、内部にほこりが入りにくいなど、メリットがたくさんあります」(奥田さん)

ユーザーのことを一番に考え、その結果として、ときには"こびない"という選択肢を選びながら、"正統進化"をつづけるリコーのデジタルカメラ。モノが売れない時代に、右往左往するメーカーが目につく中、その"ブレない"デザイン、ものづくりの姿勢は頼もしく感じられた。