自分が「パワハラ上司」だと心から認めた佐々木の中には、加賀に対して強い罪悪感が出てきていた。このような佐々木の心の変化を知ってかどうか、山下は佐々木がやったことに対して同情的でも、責めるでもない中立的な姿勢で丁寧に対応してくれているので、気楽に話をすることができる。佐々木を軽蔑しているようにも思えないし、佐々木が行ったことで佐々木を性格的に判断しているようにも思えなかった。事実については妥協することなく次から次へと表面化させていくが、その事実から自分を判断するということはなく、常に自分を受け入れてくれているように感じる。これが社内の人間にコーチされていたら、おそらく、このような気持ちにはならなかったであろう。どこで足を引っ張られるかわからない競争の世界であるから、いくら、コーチといえどもやはり信用はできない。改めて、社外の人間にコーチをしてもらってよかったと確信していた。

このようにして、山下は、4回目のセッションで、佐々木の口から「パワハラ」となる多くの事実の情報を表面化させることに成功した。山下が指摘するよりも、佐々木自身が気づいて「自分はこのようなパワハラをやっていたのだ」と、自分の口で言うことが大事なのだ。そうすることによって、今まで腫れ物に触るように扱ってきた内容を、佐々木と山下の双方が認める事実として冷静に取り扱っていくことができるからである。次は、もう一度この事実に対して、一緒に理解の確認をとり、それに対しての具体的な行動を一緒に明確化していくことである。

佐々木がここまで心をオープンにすると、コーチとしての山下の仕事は高い峠を越えたようなものである。あとは佐々木の抵抗を心配せず、「将来に対しての行動計画」を作っていけばいいので、山下にとっても精神的にはかなり楽である。

以下、ここに至るまでに山下がコーチとして注力して行ってきたことをまとめておく。

1. 佐々木の抵抗を把握する

佐々木には大きく次のような3つの抵抗があった。

  • 「自分がパワハラ上司である」事実を受け入れることへの抵抗
  • 山下からコーチングを受けることへの抵抗
  • 女性のコーチにつけられたことへの抵抗

2. 佐々木の抵抗を受け止める

「抵抗」に抵抗するために、力でものをいわせるような理屈の押し付けは効果がない。この段階のコーチングで「説得」「説教」はタブーである。「抵抗」をそのまま受け止め、抵抗からくる相手の力と自分の力を一緒にし、次の動きに生かす、という合気道のような対応のしかたが効果的である。自ら認めるという段階にいたるまで、パワハラ上司の抵抗力はかなり強い。逆に言えば、その力を自分の力と一緒にすることができれば相当の効果を生み出す。

3. 佐々木という人間をそのまま受け入れる

では、どのようにして相手の力と自分の力を一緒にするのか。山下の場合、「佐々木という人間をそのまま受け入れる」ということにまず注力した。子育てでもよくあることであるが、親は子供がある1つの悪いことをやったことで、その子の全体的な人格/性格を決め込んでしまう傾向がある。これは、人の育成において大変危険なパターンである。筆者も経験のあることであるが、感情が入るとこのパターンに陥りやすい。

4.「佐々木の行った行動」と「佐々木の人格」を切り分ける

人が行った「1つの行動」と「その人の人格/性格」を結びつけてしまうという心理的なパターンを極力避け、「1つの行動」と「その人となり」を切り分けて対応することが大事である。人間は「間違った行動」は学習して「行動を変える」ことができるのである。山下の仕事は「パワハラに関して佐々木が行動を変える」ことをサポートすることで、「佐々木の人格を変える」ことではない。人間である限り、誰でも何らかの間違いある行動を起こす。ましてや佐々木の場合、「パワハラ」とは知らずに、無意識のうちにしていた行動である。常に相手に対し、人間として敬意を払って対応する、これがコーチとしての基本姿勢である。山下が、佐々木がどんなに横柄な態度に出てきても、感情的にならずに冷静に対応できたのは、基本姿勢を忘れずに「行動」と「人格」を切り分けていたからにほかならない。

5. 「私は佐々木さんのためのコーチですよ」というメッセージを温かく投げ続ける

いったん自分がパワハラをやっていたと認めると、今度はコーチーの罪悪感が強く出てきて、落ち込んでしまう可能性がある。この状態が続くと、「何とかしよう」という気持ちになる前に、自分が四面楚歌の状態にいるようであきらめのほうが強くなってしまうことがある。このような状態にいるときこそ、「ひとりではなく、一緒にやりましょう」と佐々木を元気づけて、将来に向けて頑張っていくように励ませば、自分には味方がいるという安心感となり、佐々木のやる気につながるのである。山下は、感情や自分の意見をいれずに、佐々木の言うことをともかく「聴く」ということに専心した。このようにすることで、山下は、「私は誰のためでもなく佐々木さんのためのコーチですよ」というメッセージを常に暗黙に投げかけることに成功し、このことが佐々木の信頼を得ることにつながり、佐々木の心をオープンにしたのである。

「柔よく剛を制す」とはよく言ったもので、相手の抵抗力が強ければ強いほど、それを逆に生かせば大きな力となる。相手から抵抗を受ければ感情を害するのがふつうの人間だが、コーチが感情的になるのは厳禁である

(イラスト ナバタメ・カズタカ)