佐々木は、先週受けた「パワハラ」に関する研修の講師であった山下から電話で連絡を受け、最初のコーチングの日時を決めた。日時を決めて2日後に会うことにはなっているが、「自分も含めて6人がコーチングセッションとやらを取らされることになったが、何で自分が女に教えてもらわなければならないんだ?」と内心面白くない。確かに研修を受けているときは、自分の身に覚えのあることが多々あったので、「気をつけねば」とは思ったが、「自分だけがやっているのではないんだから」と、またタカを括り始めていた矢先の電話であった。

山下の希望で、最初のセッションは佐々木の会社ではなく、近くのホテルの中にある喫茶店でやることになった。佐々木はわざと10分遅れて、待ち合わせの場所に行った。山下は、すでに来ていて佐々木が遅れたことには触れず、にこやかに丁寧に、佐々木が来てくれたことに対して礼を言った。佐々木は少し罪悪感を感じなくもなかったが、「遅れても遅れなくてもどうせ、うちの会社が払っているんだから」と自分の行為を正当化していた。

山下は、少し世間話をしてから、これからのコーチングセッションの予定について話をし始めた。全部で6回のセッションを予定しているが、延長するかどうかは、本人の希望しだいであることを説明した。

「やり方としましては、このコーチングセッションに対する佐々木さんの目標をご一緒に設定させていただきます。そのときそのときのセッションは、佐々木さんの方からとくに話し合いたいことがない場合は、私のほうから佐々木さんにご質問をしながら、佐々木さんの目標達成に向けてお手伝いをさせていただきたいと考えております」

と、にこやかではあるが、佐々木に否を言わせぬはっきりした態度で説明した。予定とやり方については、別に異議を唱えることはなかったので、佐々木はいちおう同意をした。しかし、その前に「何で自分がこのようなコーチングを受けねばならないのか。この間の研修で充分なのに……」という思いは払拭できていなかった。したがって「目標」なんてものは持ち合わせていなかった。

佐々木のこの思いを察したのか、山下は質問を始めた。

山下: 先週の研修をお受けになって、どう思われましたか? ご自分の行動で、何か思い当たるものがありました?

佐々木: 思い当たるものはあったが、自分だけがやっていることではないし、とくに大袈裟に法律沙汰になるようなことはやっていないと思うんだがね。

山下: 佐々木さんがおっしゃるように、他のマネージャの皆様も同じように思っていらっしゃるでしょうね。他のマネージャの方とこれに関しまして、話をされたことがありますか?

佐々木: 研修の後で、ちょっと話しをしましたがね。1週間も経つと、みんなそんなことは忘れて、またいつもの調子で部下を叱ってるようですよ。

山下: 御社は、パワハラで訴えられたケースが過去にないときいておりますが……。

佐々木: そんなことで訴えるような社員はうちにはいないですよ。

山下: 他の会社でもよくある話なのですが、研修で法に触れる可能性があることを認識しても、まだ訴えられたケースもないし、他のマネージャもやってきていることだからということが安心感につながり、今までと同じように部下の方々と接触するというパターンになってしまいます。ある会社は、そうこうしている間に「パートの社員が上司を訴える」というケースが起こってしまいました。当の上司は何で自分が訴えられているのかわかりませんでした。研修でもご説明いたしましたように、このような話はよくあります。部下のためによかれと思ってやっておられる熱意あるマネージャによくある落とし穴のようです。頭で理解はできても、長年の習慣、考え方を変えるのは難しいものです。ましてやそれが自分自身正しいと思い込んでやってきたことは。それで弊社では、研修だけではなく、フォローのコーチングをサービスとして提供しております。

このような最初の挨拶がすむと、山下はさっそく30ぐらいの質問をしてから、佐々木が「パワハラ度5段階」の5の段階である「部下の健康を危険にさらす」にいることを指摘した。研修でも簡単なチェックリストを使って自分に可能性があるのは認識していたが、佐々木は、山下から分析結果を見せられてショックだった。どこかでその事実を甘くみていたのか、その事実を否定しようという自分の気持ちが働いたのか分からないが、そのときの自己評価では、ここまで悪くなかったことだけは覚えている。佐々木は、反射的に、「女に何がわかるか」とか、「どこに根拠があって」とか、この結果を否定するいくつもの理由を探そうとした。

佐々木の様子をみていた山下は、「自分がパワハラをしている可能性をある程度認めても、自分がどの段階にいるのかを知るのは難しいことですし、認めるのは尚難しいことです。次回お会いしたときに、佐々木さんがなぜ5の段階におられるのか、そのことに対してどのように対応していけばいいのかご一緒に話し合って行きたいと思いますが、どうですか、御自分の中でこれからのコーチングセッションに対する目標が何となく形づいてきました? 今の段階でまだはっきりしていらっしゃらなければ、次回また話し合いましょう」と、最後までにこやかに話をして最初のコーチングセッションを終えた。

本来なら、みんながやっていようがいまいが、パワハラを正当化する理由は何もないのだか、この手のオールドタイプはそれにまったく気づかない。ましてやコーチが女性ともなると、最初から反発心をもっていて、なかなか改善しないように思える。だが逆に最初にこのくらいわだかまりがあったほうが、コーチングの効果もまた大きいといえるのだ。

(イラスト ナバタメ・カズタカ)