今回のテーマは「小学生の時の思い出」だ。

「突然漠然としたテーマがカレー沢を襲う」である。小学生と言っても6年ある。7歳と12歳と言ったら、アメーバとミジンコぐらい違うはずだ。つまり、細胞が若干増えた以外は特に変わっていないし、すでに今は増えた細胞が、日に日に死んでいく段階だ。人の一生とは割とはかないものである。

小学生時代の私はどうだったのかだが、親によると、小学生ぐらいまで活発だったのに、中学生あたりから急激に暗くなった、とのことである。よほど嘆かわしいことだったのか、親が今でもそう言うので、私は小学生まで明るく活発だったのだ、と思っていたが、冷静に考えると、内弁慶が内でも覇気がなくなっただけのような気がする。

それでも今よりは元気だった気がする。今では床から立ち上がる時でさえ、「立志」というぐらいの気合いがいるし。白髪も増えた上、それを抜こうとしたら、ついでに30本ぐらい何の抵抗もなく抜ける。身体が重力をはじめ、全てに対し無抵抗主義になってきている。ある意味、平和に近づきつつあるのだ。

肉体的にもそうだが精神的にも、新しいものを取り入れるのが苦痛になってきた。子どもの時は前回書いた通り、新しい家電ひとつに毛穴を肉眼で見えるほど広げて喜んだものだが(今は何もなくても見える)、今ではまず新しいものを買うのが億劫だし、説明書も読まない。使って分からなければ「諦める」という状態である。

やはり、小学生の時は元気だった(当社比)。そして、何より小学生時代は人生で一番「男子と絡んだ」時期だと思う。

前にも書いたと思うが私の実家は塾を経営しており、そこにクラスの男子が通っていた。つまり、男子がうちに来るため、自ずと塾の時間まで一緒に遊んだりしていたのだ。ちなみに、生徒は全員男子だった。つまり、男の中に女がひとりという状態である。それ、なんて乙女ゲー? である。

なぜ、そういう現象が、高校2年生の時に起こらなかったのか。なぜ、よりによってアメーバの時に来てしまったのか(小6二学期ぐらいまでアメーバだった)。人生というのはうまくいかない。そう思った時期もあった。しかし、本当に高校2年生の時、この逆ハー状態になったらどうなっただろうか。多分「殺してくれ」と言っただろう。一緒に遊ぶなんてもっての他だ。

結局アレは、男子とか女子とか意識していないアメーバ期だったから成しえたことなのである。親が「中学頃から暗くなった」というのは、その辺りから男女差だけではなく、こんなことしたら恥ずかしいのでは、おかしく思われるのでは、という「自意識」が芽生えたからではないかと思う。だとしたら、遅すぎではないだろうか。

つまり、小学生まで恥という概念すらなく、大奇行祭りだった、ということになる。教室で蝉ぐらい食っていたのではないだろうか。しかし、その遅れを取り戻すがごとく、その後、私の自意識は急成長を遂げ、今も留まることを知らない。

異性との接し方も悪化するばかりだ。よく男女の友情は在り得るか、という論争が起こるか私にとっては「否」だ。だって相手は男だ。男であり男なのだ。そんな男との友情なんて成立するはずがない。

上記のような思想で、過剰に異性と距離をとりたがる人間のことを略して「気持ち悪い」と呼ぶのだが、本当に私は気持ち悪いのだからしょうがない。もちろん、教室でおやつ代わりにトンボとか食っていた時代も、相当気持ち悪かったと思う。つまり、気持ち悪さの種類が変わっただけで、気持ち悪い、という点は一貫しているのだ。意外と1本筋の通った生き様である。

しかし、今ここで言う「小学生時代の私」と「今の私」もあくまで私が考える私像である。つまり、他人から見れば今でも大奇行祭が全然閉幕していないかもしれないのだ。さすがに蝉は食っていないが、他人から見ると、蝉を食う以上のことをしているかもしれないのである。このぐらい、自分の考える自分と他人から見る自分には乖離がある。

そういうことを考え出すと、また自意識が成長するのである。そして、自意識というのは育てば育つほど「何もできなくなる」。よって、多分私は周りから「何もしないやつ」と思われていると思っているが、これももしかしたら「役に立つことは何もしないで奇行だけするやつ」と思われているかもしれない。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。
デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。