今回のテーマは「タンジブル」だ。しゃらくさいOLの新しいランチ形態のようだが、違う。

話は変わるが、当方もうすぐ35歳になる。女として35年も生きると、その間、さまざまな男が通り過ぎていくし、それらの男と学園生活を送るのはもちろん、一緒にトップアイドルを目指したり、タイムスリップしたり、世界を救ったりと色々やってきた。武将ともかなり付き合ったし、何故か人間の男の形をしている何らかの物体と恋したことも一度や二度ではない。

とにかく、Diaryに描ききれない思い出がある。ただ、そのMemoryはすべて画面越し、そして触れあいは全てコントローラーやマウス、キーボードの操作か、ディスプレイをタッチすることにより行われてきた。

何が悪い。シティーハンターのリョウ(正しくはけものへんに尞)と香だって、ガラス越しにキッスしていたではないか。それと同じだ。むしろあのシーンはガラス越しだからいいのだ。それと同じように、二次元の男とは、画面越し、キーボード越しに、接するのが一番いいのだ。素人はすっこんでいろ。

以上が個人の意見だが、画面越し、そしてデバイス越しの恋に対し「いつまでもそれに満足していてはいかん」と言い出した人もいる。

そういう人が提唱しているのが「タンジブル」だ。

もっと具体的に、データに「触る」

「Tangible(タンジブル)」とは元々「実体がある様」「触れられる、触知できる」という意味だそうだ。2000年初頭にマサチューセッツ工科大学(MIT)の石井裕教授が提唱したものだという。

PCなどの画面上でできることは目覚ましく増えた。しかし、それらのことは、前述の通り、マウスやキーボードを介して行われている。

最近ではスマホやタブレットなど画面を直接タッチして操作するのも一般的になってはきたが、触れているのは、ディスプレイの表面だ。「推しにパイタッチ^^」とか嬉々として言っているけども、所詮貴様がなで、さすっているのはガラスとかそういう類のものである、ということだ。

うるせえ、俺が推しに触っていると言ったら触っているんだ、と言いたいが、今回論ずるのはそこではない。

つまり、もっと具体的に触れるようにしようというのが「タンジブル」だ。実際触ったら逮捕ではないか、芸術品や未成年、成人でも許可が取れてない者はお手を触れちゃいけねえんだよ、ルールが守れない輩は帰れ、と思ったかもしれないが、触れているのはもちろんデジタル情報だ。

お前らはPCやスマホから多くの情報を得ている気になっているかもしれないが、所詮貴様がやっているのは指の上下運動であり、画面の向こうとこっちの世界は分断されてしまっている。「PCを使っている」というような状態から脱して、自然に、データに直接触っているかのような体験を目指していかなきゃダメなんだよ、ということだ。

だったら今すぐ、PC画面からへし切長谷部を出せよ、触るし舐めるわという話だが、先ほどから何と戦っているのかわからなくなってきたので、とりあえず、推しに触る触らないの話しはここで一旦置いておく。

では具体的に「タンジブル」というのはどのようなものなのかというと、「制約を取り払うための新しい仕組み」を試みるものであるという。例えば、キーボードを使って数式や化学式を書くのはやりにくい。こういう「道具による縛り」を無くし、より人とPCが近づくのが理想なのだという。

その「タンジブル」を実現するための例として「musicBottles」なるものが公開されたようだ。 ガラスの瓶の蓋をあけると音楽が流れるというシンプルなものである。つまり、スマホ上で言えば、音楽プレイヤーのアイコンをタップするという行為が、ビンの蓋をあけるという動作になったのだ。

ほかにも「I/O Brush」というものが発表されている。動画が公開されているので見てもらった方が早いのだが、これはパッと見、ただのブラシである。普通だったらこれにペンキなどをつけ、白い壁に「堕天使」と描いたりするものだが、この「I/O Brush」ではまず、ブラシで何かをタッチする。例えばトマトなら、ブラシがそのトマトの赤をコピーし、専用のデジタルキャンパスにその赤でドローイングをすることができるのだ。

単純に色だけではなく、模様などもコピーできる。もし私の肌をタッチしたら、キャンバス一面を、シミ、くすみ、吹き出物跡柄にすることができるのだ。そうすることで誰に得があるかは不明だが、技術として「できる」のだ。

つまりペイントソフトで言うところの「スポイト機能」みたいなものだ。今まで画面上の色を拾い、画面上に絵を描いていたものを、実物のブラシを使い、現実の物から色を拾いデジタルペインティングをするというわけだ。

確かに、従来のマウスなどの操作や、ディスプレイのタップに比べて、デジタル情報と使う人間との距離が近い感じがする。少なくとも、データのやりとりがガラス越しではなくなっている。

この技術が提唱されたのは少し前のことだが、これが最新技術によって進化すれば、本当に画面から出てきた推しを舐めることが可能かもしれない。

だが逆に、画面上で、指先だけで全部済むというのも素晴らしいことだ。

現在、多くの人が、布団の上でスマホをいじりながら寝ていると思うし、それが1日で一番楽しい時間、という人もいると思う。

それが可能なのは、スマホが掌サイズの機器で、さらに指先だけで操作できるからだ。もしこれが、お絵かきアプリにモノホンのブラシが必要など、現実で行われる物や動作が逐一必要になったら大変だろう。

つまり、推しが画面から出てきて舐められたらいいと思う反面、やはり出てこないことに良さがある、とも思えるのだ。


<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~)、コラム集「ブス図鑑」(2016年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2017年10月31日(火)掲載予定です。