今回のテーマは「シンギュラリティ」だ。

シンギュラリティ、その”三文字略語”の関係

最近、何か前にも見たことがあるようなアルファベット三文字の略語や、「IoTをしない国家は滅びるしかない」という話ばかりだったが、久しぶりに目新しい単語である。

まず、「シンギュラリティ」とは「特異点」という意味だ。

今この瞬間、カレー沢は全身から血を噴き出して死んだ。以後の文章は「カレー沢だった肉塊」が書くので、各々想像して気分を悪くしてほしい。

FGOじゃないか。

FGOとは人気ソシャゲ「Fate/Grand Order」のことだ。私は、キャラさえ萌えればそれで良いという性質の悪い萌え豚なので、正直ソシャゲのストーリーは読み飛ばすことが多い。だが、FGOはストーリーが面白いことに定評があり、これだけは私も読んでいる。そこに「特異点」が出てくるのだ。

読んでいると言っても、頭からっぽな方が夢(夢小説的な意味)つめこめるZオタクなので、「世界に特異点というやつが出来て、そこで何かヤバイことが起こっているから、それをこのマスター(※編集注: FGOにおけるプレイヤーの立ち位置。詳細は公式サイトにて)である俺が何とかしないと、世界終了のお知らせなんだな」というぐらいしか、その中身を理解していない。

そもそも特異点とはなんだ、俺は今まで何と戦っていたのだ。

機械が人を超える時=特異点

特異点(とくいてん、英: singularity)とは、ある基準 (regulation) の下、その基準が適用できない (singular) 点である。したがって、特異点は基準があって初めて認識され、「―に於ける特異点」「―に関する特異点」という呼ばれ方をする。特異点という言葉は、数学と物理学の両方で用いられる。 (引用:「特異点」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2017年5月29日 (月) 18:59)

わかったか、マスターども、俺はわからん。

結局、我々はよくわからない難しいものと戦っていたようだが、当ITコラムで言う特異点とは上記の特異点とはまた意味が違い、「技術的特異点」という意味だという。

技術的特異点とは、人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事。人類が人工知能と融合し、人類の進化が特異点(成長曲線が無限大になる点)に到達すること。 (引用:「技術的特異点」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2017年5月29日 (月) 18:59)

だ、そうだ、マスターども。

一転して、SFのような話になったが、実際2045年に、この技術的特異点が起こるといわれているようだ。簡単に言うと、人工知能が人間を超える。そして、もはや人間では予想がつかないことが起こるのでは、ということだ。

人工知能が人間を越える、と言われると、まずターミネーターのような世界を思い浮かべてしまうが(人間は割とすぐ世界を核の炎に包みたがる)、技術的特異点が起こることによって、人間の生活がもっと楽になるなど、肯定的な意見もでているようだ。

しかし、やはりロボットが人間を越えるというのは、さまざまな文献(漫画や映画)の例を見ると、なかなか恐ろしいことである。しかし、ロボットも、生物の中で最も言うことを聞かない人間なんぞを支配するより、犬とかと遊んでいたいんじゃないだろうか。人間より頭が良ければきっとそうするだろう。

そして、FGOの特異点はこの技術的特異点ともまた違うようだ。ゲーム中で人工知能とは戦わなかった気がするし、最後にフォウさんが親指を立てながら溶鉱炉に沈むということもなかった。

では何故私が今ゲル状の肉塊になっているかというと、別の理由がある。FGOは確かにストーリーが良いし、ゲームもなかなかやりがいがある。しかしやはりソシャゲであり、私はキャラさえ萌えれば細かいことは気にしない、クソ萌え豚である。

私にとってFGOの目的は、特異点をどうにかすることではない。JPEGを手に入れることなのだ。正確には、推しキャラが描いてあるJPEGだ。最近はPNGなのでは、という話もあるが、圧縮形式はどうでもいい。

それを手に入れるにはどうしたら良いか。レベルを上げて、仲間たちと力を合わせ、特異点を修正し、世界を救う? 否。

経済(ガチャ)を回すのだ。理屈、技術、努力、全く関係ない。すべて運と金だ。

私は今年に入ってから、あるJPEGを手に入れるため、かなりの経済参加をしたのだが、何と現在まで一切の成果を得られていない。

実体がなくとも、JPEGがほしいというのは物欲だ。普通の物欲なら、出した金の分だけ、ブランド物とか何かしら手に入るはずだ。しかし、ガチャはどれだけつぎ込んでも、何も手に入らないことがある。

私は今年に入ってからこのFGOで、数十万円相当の「無」を手に入れている。さすがに心が折れたためFGOは今休止中なのだが、引退したわけではないし、また戻ってくるだろう。

何回つらい目にあっても、人はまた恋をする。それは何故か、それは恋が素晴らしいものだからだ。つまりソシャゲは素晴らしい、みんなやろう。


<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~)、コラム集「ブス図鑑」(2016年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2017年6月6日(火)掲載予定です。